第10話 ペンは踊る、されど進まず



 筆先は踊り、玄妙なインクの筋が縦横に走り回る。

一見して優美でさえある文字の群れの前に、顔を顰め頭を悩ませる姿があった。

青い肌の女。デヴィア=ジャックポットである。

唸り頭を悩ませながら拵えているのは報告の下書きだ。


 今更隠蔽を図った所で露見するのは目に見えている。

ここは包み隠さず言上する。その上で予定の調整を考える必要がある。

然しながら腕木通信の字数制限だ。緊急性のあるものに限ろうかしらむ。

問題解決。続行に支障なし。おおまかには郵送にて。

符丁塗れの手紙を突っ込んだ封筒に蝋を押す。

本来であれば直接係りの者を向かわせるのが一番であるのだが、

生憎ながら予算も人員もそこまで裂くことは出来ぬ。

何せ、人のお偉方のみならず、女の主の金でもある。

故に経費節約は圧倒的な正義に違いなく、無用の出費は厳に慎まねばならない。


 意識は流れペンは舞う。

一枚紙に彼是書き込み、黒の割合を増やし続けながら思考する。

全く以て、世界的にも初めての試みであるとの話だが、

現場において丸投げされる身の上としては面倒事が不発弾宜しく爆発を繰り返す。


 碌を食んでいる身で文句は言えない。しかし、ブラックオメーンとはどうなのか。

やはり人類共のネーミングセンスは極めて悪い。おおっと、それはともかくだ。

各国の遺物管理部局の寄り合い所帯というのがそもそも宜しくない。

ただでさえ秘密組織だ何だという奴は縄張り意識が強い上に、

情報開示なんぞもっての外というのが本能だ。

国際協力の美名を掲げた所でそんな連中を集めれば内輪揉めか

はたまた非協力からの水面下での足の引っ張り合いか。

現状を見ても凡そロクな事になっていないではないか。


 第一、この遺物というのが諸悪の根源なのだ。

どこのどいつが作ったのか知らないが原理も仕組みも解らない。

下手に壊す訳にも行かない。その癖現代文明由来よりもずっと高度で危険なブツ。

主として古代文明由来の意味不明オブジェクト群なんぞ完全に大いなる負債である。

曰く、BC、即ち黒歴史な案件とは良く言った物。埋葬しよう。

GGな案件、曰く灰色の幽霊と来たら、呼び名の由来すら不明である。

本音としては訴状を付してガラクタを製造元に送り返したい。速やかにだ。

が、連絡先は誰一人として知らない。知っている奴は墓の下だろう。


 主である所の魔王様に曰く、皇国のさる教会堂の廃墟から、

大量に出てきて以来の発足という。遺物は正に世界平和と秩序の敵である。

とっとと消滅させて北の国に帰りたいというのが本音であった。

本音ではあったが、どうもこういう代物は各地に人知れず埋まっているらしい。

その所在は国境の存在など知ったことではないが、

現実に奔走させられる側にとって国や組織は一大問題である。

つまりは平穏無事な日々は当面来ないと言うのが圧倒的かつ残酷な事実だ。


 我ら特務。特務と聞こえは良いが、やってる事は地雷撤去か不発弾処理か。

これが憧れのエリート組織と知っていたなら百年の恋だって冷めるだろう。

人員を各所からかき集め、やる事は兎に角ひたすら先人の後始末。ああもう。

積もる負の感情に、ペンの足取りは酔っぱらったようにふらつき始める。

今回もだ。勿論、言うまでも無く、危険物の後始末に駆り出されたという訳だ。


 大体なんだよ伝説の巨人って。地の底に埋まっていたなら、

そのまま世界の終わりまで大人しくおねんねしてれば誰の迷惑にもならんのだ。

思い出したかのように顔を出しおって。誰も扱い方を知らない玩具など。

種族の敵。種族の敵だ。滅んでしまえこの野郎。


 ──ええい、止め止め。

暗い思考を振り払う。紙片は文字で埋め尽くされ真っ黒になっていた。

新しい一枚を取り出す。考えを纏めるにはこうするのが一番だが悩みは尽きない。

一息ついた所ではあるが、ここから先にはレールがない。

野良の怪物だの野盗の類が跳梁する剣と無法の大地が待つばかりだ。

何と非文明的だろうか。とは言え、屈する訳にはいかないのであるから──


 筆が止まる。デヴィアは少しばかり考えるような仕草をすると、

丸と線を繋ぎ合わせた雑な絵を紙の上に殴り書く。

丸は村、ないし街。線は街道。一際大きな丸は目的地らしい。

直線最短距離で結べばよかろう物をぐねぐね蛇行し、奇妙な行路を辿っている。

それを睨みつけながら再びペンは動き出す。


 ──勿論、理論的には最短距離だってあるのだ。

補給の問題なのだ。大所帯な上に、現地での作業を考えれば十分な物資がいる。

移動中にも消費はする。その補充も必要になる。

レールの外の世界においては、十分な休養が可能で協力的な場所は自然の地形と

旧来の悪路の為に各所に分散しており──結果がこの有様だ。


 行路難し。行路難し。この難行を如何せん。良案無し。以上閉会。

いい加減に煮詰まり始めた思考を閉じるとドアが開くのが見えた。


「ハァィ、カワイコちゃん。天才のエントリーですよ」


 ポットを乗せたトレイ片手に姿を現したのは鉤鼻だった。

皇国側の代表であり、目下一番の頭痛の種である。

まず人格と面構えがおかしい。その癖能力だけはある。

つまり一番面倒臭い類の人間であった。


「あ、今シツレイな事考えてたデショ。まー、良いわよん。

そんな事よりこの予算の確認をですね。やー、流石陛下は太っ腹だ」


 どういう伝手か分厚いコネか。手前の趣味嗜好に

正当性を被せて捩じ込む事にかけてはこやつの右に出る者はいまい。

嫌になる程適切にまとめられた一枚紙を睨むとしぶしぶサインする。

デヴィアからみれば無駄とロマンと要らぬ拘りが捏ね合わされたようにしか見えぬ。

更に無理矢理繋ぎ合わせて空を飛ばしたり、地を走らせるに至っては狂人の所業だ。


「技術の進歩発展に理解のあるお偉方ってボクチン大好きヨ」

「本音の所は?」

「この世にッ、人の金を好き放題つぎ込んでの研究開発程楽しい物は存在しないッ!

予算、人員、書籍に資材!!流石天下の皇国だ、そんじょそこらのケチとは訳が違う。

くぅーっ、素晴らしい。ボクチンの天才がイレクションしちゃいそう!」


 何一つ臆面も無く、怒涛の如く鉤鼻は言い切った。そしてポーズをキメる。

金返せ税金泥棒と喚く重鎮共の顔が目に浮かぶ。その内、馘になるには違いない。

しかし、残念ながらそれは今日この日ではないのだ。重ね重ね実に残念であった。

かちゃかちゃ手際よくムッタ=クッターにより茶の席が整えられる。

優雅で上等であった。それが又顔面と不釣り合いで腹立たしい。


「どちらかと言うとお粗末をイレイズしてやりたいわね。それで、何かしらん?」

「お茶の時間って重要デショ。ベルトランの奴も来るし」

「ああ、西国騎士崩れの」

「本人気にしてるみたいだから言わないであげてね。

ま、崩れだかエージェントだか知らないけど、腕は立つし。角を立てても」

「ま、アンタよりはいい奴よね。顔はいい勝負だけど」

「それを言うなら両手に花デショ。さ、お菓子もタップリありますからね」


 さくさくとしたクッキー他焼き菓子だの、サンドイッチだの。

机一杯に陣取られてしまっては書類も一時撤退を余儀なくされる。

青肌の女は思考を一時中断すると、湯気立てる茶を口に含んだ。



Next.


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