第9話 芸術と爆発
「さて、お前たち」
辛子をタップリと塗り付けたへらを片手に、一人の黒服がにっこりと笑った。
いや、正確には笑ったように見えた。その口元は引き攣っている。
彼の前には椅子に荒縄で縛り付けられた冒険者たちの姿があった。
それはもう見事な縛りぶりだ。一歩二歩と近づく都度、悲鳴を上げて椅子が揺れる。
「止めろ、止めないか変態!!役人のくせに拷問とか何考えてんだ!!」
「これは拷問ではない。調理の最中に少し手が滑ってしまうだけだ」
「嘘だッ!近づけるな!!あっ」
ぺちゃっ、と音がしてアンリの頬に辛子が付着する。
その黒服は目線を合わせると、殊更優し気な笑みを作って冒険者に言う。
「さぁ、おじさんに先ずは謝ってくれないかな」
「え、えっと。その、ね。そのね。……顔が怖い」
「はっはっは。そうかそうか。
これはおじさんの地顔なんだ。口の中に詰めてやろう」
やめろ、やめろー、とじたばたするアンリの悲鳴が響き渡る。
そいつが自分を売り渡そうとした事をはっきりと記憶していたカジャはと言えば、
隣で縛られたまま、煮込まれた具沢山のシチューを口に詰められていた。
「熱いけどんまいなこれ。もっとくれ、もっと。辛子があるともっと怖えーな」
「一応尋問なんだが」
「おう、何でも聞いてくれ。我が身さえ安全ならどんどん喋るぞ」
「言うのも何だが、どうしようもないクズだな、お前」
「何とでも言え。死んで実花が咲くかっつーの」
言い返しつつ、カジャは状況を観察していた。
べそをかいてのたうち回るアンリはさておき、聞きたい事がある様にも見えない。
下調べした情報と自白を照らし合わせているのだろう。咀嚼、嚥下する。
さて、どうやって逃げ出そうか。死ななければ何とかなるだろう。
考えつつ傍らに視線を動かすと何やら怪しげな椅子が運ばれてくるのが見える。
一目で解る。尋常の椅子ではない。丁度逆さの体勢で固定でもするかのようだ。
尋問していた黒服が感極まって目尻を押さえ、愛おしげにその奇妙な椅子を撫でた。
それから、向き直りちびの肩に手を置いて微笑む。その表情は柔らかであった。
「君の為に特注したんだ。私のポケットマネーでね。喜んで欲しい」
ひっ、と恐怖に息を飲む声が聞こえた。
未来図を予期したのだろう。変態とすら言わぬ。
必死の態で謝罪の言葉を繰り返し始めるアンリ。冷ややかに見つめるカジャ。
のっぽの冒険者もいい加減気づいた事ではあるのだが、この黒服連中といい、
先程の三人組といい随分と特殊な人々の集まりであるようだ。
「ありゃ、あいつの趣味か?」
「大変遺憾ながら、そうだ。アレほど止せっつったのに……」
「どう座るんだ?なんか、穴が開いてるんだが」
「逆立ちさせて固定するんだと。ベルトがあるだろ。芸術的らしい。
全く、ビィ=ビックマンの奴と来たら……常識を疑うぞ」
そういう事らしい。のっぽについていた黒服が顔をしかめて言葉を投げる。
「ちょっといい加減にしろ。隣の部屋には淑女も居るんだぞ」
「ダメか?後で表通りにさらし者にしようと思ってたんだが」
「不許可だ不許可。誰だってそう言う。俺だってそうだ」
その一言に振り返った辛子男は何とも残念そうな顔で肩を落とした。
引き続き、生真面目にも辛子を用いた尋問を再開するや、
実に従順になったアンリはある事ない事口から滝のように吐き出し始める。
なるほど。効果自体は抜群であったようだ。
「そう言えば。冒険者だったな。どんな依頼だったんだ」
「怪物退治だよ。良くある話さ。終点駅にはな、まだ襲ってくるのが居るんだ」
「ほー、面白い。ついでに喋って貰おうか」
「へいへい、そうだな──」
喋りかけた瞬間だ。安普請の壁が突如として何者かにぶち抜かれた。
埃や砂煙が盛大に巻き上がる。その中にランプの灯に照らされた目が見えた。
人の腰ほどもある爬虫類であった。しゅうしゅうという呼吸音が聞こえる。
驚いて壁の穴に視線を移す。何対もの瞳が爛々とこちらを伺っているのが見えた。
「──うん、そうそう。これだよ、こういうのだ」
「言ってる場合か!応戦するぞ!!」
「あっ、馬鹿、下手に撃ったら──」
制止を遮り、拳銃が轟音と煙を上げる。化け物の絶叫が響く。
ばたばたと大きな塊が暴れまわり、どすどすと棚に据えられていた道具が落ちる。
「やったか!?」
「やってねぇよ馬鹿!!興奮させやがって!!」
「えっ」
果たして。のぞき込んでいた群れが堰を切ったように小屋に雪崩れ込んで来た。
轟音と火薬、それから血の匂いで狂乱状態になったのだろう。
スタンピードめいた集団突撃であった。嘆く暇も無く、
あっという間に部屋中で蜥蜴共が大暴れを始める。
アンリを脅かしていた黒服も棍棒を抜くが如何にも分が悪い。
残りの黒服と例の三人組が突入してくるに至り、騒ぎは収集不能となった。
跳ね蜥蜴に顔面を蹴りつけられて一人の黒服が吹き飛んで来る。
そのまま縛り付けられていた冒険者に直撃。
音を立ててひっくり返ったカジャの視界に揺れる金色の髪の毛が映る。
「……おい。アンタ、無事だったのか?」
「魔生学者の卵だもん。それより早く逃げよう」
言いつつ、縛られた縄をナイフで切るのはツクヤ=ピットベッカーであった。
比較的無害な類、との言。ウロコヂバシリとかいう冗談みたいな名前らしい。
群れを成して過す甲鱗種の一で、雲掻きなどと同じく有り触れた魔物なのだという。
ポケット辞典を閉じて解説を終えた学士に続き、カジャ=デュローも立ち上がる。
「すげーな魔生研」
「日々の学究と鍛錬の賜物です」
「ちょっと、ボクも助けてよ!!死ぬ!踏んづけられたら死んじゃうから!!」
横倒しになった椅子からアンリ=カトルの悲鳴が上がる。
器用に回転回避を繰り返すが、その内木っ端みじんになるだろう事は確実だ。
「だとさ、どうする?」
「どうするじゃないッ!この薄情者!!裏切り者!!人殺しぃぃぃー!!」
さて、それじゃあ帰ろうかとカジャは情けない悲鳴に背を向けかける。
ザクザクと騒動を無視して無言のまま縄を切るツクヤ。
跳ね起きたアンリが顔を真っ赤にしながらのっぽに詰め寄った。
「なーんだ。何とかなったじゃねぇか」
「こ、このッ。この野郎、クソ畜生タレ!!後で覚えてろよ!!」
「ハイハイ。良いから良いから。とっととお暇しよう?
ご主人方はお忙しそうだしね。手間を取らせない、ね」
囁くようにツクヤが言う。一方で安普請の事務所は既に限界を迎えつつあった。
板壁は来襲する魔物の群れと応戦する黒服共に土埃をまき散らしながら軋み、
砕け、遂に柱諸共盛大にへし折れて天井までも落ちてくる。
平たく言うと、建物自体が崩壊寸前である。後一息でぐしゃりと行くだろう。
「先生!出番です!!魔物なら倒しても全く無罪!!」
「誰が先生よぉ。全く、どいつもこいつも困った奴ばっかりで」
果たして。黒服に引っ張り出され青肌の女が姿を見せる。
何事か小声で呟き──それは魔法の詠唱なのであろう。
聞くや早いか哀れな小屋の末路を直観し、冒険者たちは一目散に逃げ出した。
/
数分の後。件の小屋は破片と瓦礫を方々まき散らし、物の見事に爆発四散した。
速やかな報いを受けた手配師のキャリアも同じく終焉を迎えた事であろう。
何とも胸のすく思いを抱きつつ、のっぽの冒険者は彼方を眺める。
「あーあー、偉い騒ぎになってんぞありゃ。アッ、爆発だ。また爆発した。
ありゃ誰かの魔法かね。すげーな魔法使い。おい、見ろよ。面白れぇぞ」
「……」
「おーい、どうした?へたり込んで。
小便でも漏らしたか。ブルブル震えたくなったか?」
「う゛」
「う?」
「う゛ぇぇ゛ぇぇぇ……ごわ゛がっだよォォォ……」
実に濁点の多い泣き声であった。のっぽが懐からハンカチを取り出す。
「ほら、鼻かめ鼻。春の嵐みてーな顔面になってるじゃねぇか」
「ぞんな芸術的じゃない゛ぃぃぃ……ヴぇえええん」
泣き叫ぶちびの冒険者を何とか落ち着かせるとカジャは学士に顔を向けた。
「……アンタ、これからどうするんだい?」
「そりゃ予定通り旅を」
「頼む、俺達も連れて行ってくれ!!荷物持ちでも飯炊きでも何でもする!!」
「そんな事言われてもナァ……あれでも相手は皇国だよ?
都に戻った方が。選ばずに仕事の口は探せば何とか……」
「今更泥ひばりの真似事なんて御免だ。俺は学者先生の考えてる事なんて解んねぇ。
でもよォ、長旅するなら供の一人や二人いてもいいんじゃねぇか?」
「実際考えてる事と違うよね?」
「この男の子がこうも舐められて黙ってられるか!!国や特務がなんぼのもんじゃい!!
冒険者の上前跳ねた報いは百倍千倍にして返しちゃる。目指せ謎の大巨人!」
問いかけに胸を張ってカジャが返す。
虚を突かれてぽかんと口を開け、続いて学士は眉間を押さえて俯いた。
「それが本音……薄々思ってたけども。君、馬鹿だよね」
「勿論です、お姉さん!奇麗な声でアリガトウございます。それじゃあ今後とも」
「ちょ、ちょっと待って。待ってよ。勝手に話を進めないで」
遮り、ツクヤはしばし思案などする。
封の空いた手紙を二枚取り出す。その片方の文面を眺め、溜息を一つ吐く。
腕木通信経由の手紙である事を示す印章が片隅に押された文面は酷く簡潔だ。
曰く、関係各所に事実確認中。追って連絡す。職務続行されたし。
例によって君も我らの伝統に従え。その差出人はリカナディア=アーキィとある。
「つまり、どういう事だ。さっぱり解らんぞ」
「一つ。学問の自主独立と自由の為。二つ。我らの調査対象保全の為。
三つ。いよいよ不味くなったら止めに入る。存分にやれ。
……嗚呼、所長ったら相変わらず」
「何だか知らんが兎に角良いのか。皇国のお偉方はエラく自由奔放だな。それで」
「う、うーん……まぁ、若い割にはそれなりに腕が立つみたいだけど……
手癖の悪い冒険者を信用するのもなぁ」
「あ、言ってくれたな。でもよォ、俺は馬鹿だが冒険者だから今の立場は解るぜ」
「うん?どゆこと?」
「バレた以上ほとぼりが冷めるまで都にゃ戻れねぇ。そして俺たちゃ金がねぇ。
スリはやっても追剥じゃねぇんだ。それに債務監獄送りとか死んでも死に切れん」
何やら熱弁を始めるのっぽの冒険者に押し切られたのか、
手帳の切れ端に一筆認め、学士はカジャに差し出した。
「……解ったよ。じゃあ、これにサインしてくれる?雇用契約書は後で作るから」
「おう。オイ、もう一枚の手紙は見なくていいのか?」
「良く知らない人からの苦情だもの。ギルドのシャルヴィなんとかさんだって。
クレイジーだから今すぐ止めろ学者馬鹿って書いてあった。学問の自由の侵害だよ」
「確認するぞ。お前ら自由ってつけば何でも許されると思ってねぇか?」
「まさか」
匙加減匙加減、そう繰り返してツクヤ=ピットベッカーは手紙をしまい込んだ。
一方のっぽは書類を検める。考えても始まらないのは確かであり、
明日なき暴走であろうと進む他ない。崖っぷちかどうかは何れ解る話だ。
全く。とんだ大冒険である事よ。
「強制の魔法か何か仕込んでるんじゃねぇだろうな」
「その方が良かった?」
「さらりと違法行為。そこに呆れる愚痴が出る」
「そりゃどうも。ね、そっちの子。だいじょぶ?落ち着いた?」
ぶつぶつ呟き精神的外傷を癒しているアンリにツクヤは水を向ける。
反応は鈍い。のっぽの服を握って動かない辺り、幼児退行したのやもしれない。
「んー……それじゃあ、少し早いけど何処かでご飯にしよう」
「ほんと図太いな、アンタ。もし追いかけて来たら?」
「その時はその時。お腹が空いて疲れてたらいい考えも出ないよ。
どこかでカフェぐらい。人通りの多い所の方が襲われにくいし」
「それじゃ改めて飯に。おい、行くぞ。大丈夫か。しゃあねえ。おぶってやる」
「仲良き事は素晴らしきかな。旅は道連れ世は情け。私の席は空いてるかしらん」
「冒険者に任せとけ。愉快な旅路をご提供、ってなもんよ」
「何だか大昔の冒険物語みたいで楽しい。魔物狂いの三博士が色々するの」
「おー、アレな。尾ひれがつきまくって……ん、そういや。アンタ」
「お察しの通りの魔物学者。そして依頼人ですので。
かの物語のように丁重にお願いしますわ。冒険者殿」
ツクヤ=ピットベッカーは改めて冒険者に一礼し、微笑んでそう言った。
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