第7話 朝食は奇譚の前に
部屋の窓を開ける。朝日が差し込み、カーテンがそよぐ。
肌着一枚のカジャ=デュローは、宿の二階から眼下の市を眺めた。
汽車に揺られて半日、徒歩の強行軍ならばほぼ一日。
皇都近郊の物資集積都市の夜明け時であった。
薄青い空には白んだ三つ子月が浮かんでいる。
荷馬車が早くから忙しなく行きかい、彼方此方の大きな棟から朝餉の煙が上る。
かと思えば荷役夫が立ち売りの屋台に文句をつけ、始発の汽笛も騒がしい。
冒険者らも旅立つであろう。ご同業よご苦労様。そしてようこそ新しい日。
のっぽは鼻歌をがなった。
途中下車も旅路の香辛料。爽やかな風に思わず現状を放擲し、現在を優先する。
さぁ顔でも洗って服を着るかと振り返る。戸を殴りつけるような音。
豪勢にも別部屋となったアンリ=カトルであろう。
「何だ。朝からうるせーな。まだ服も着てねぇんだぞ」
「始発で行かないでどうすんのさ!!追われてるんだよ!!」
「まだ本数にゃ余裕があんだろ。大体、準備しねぇと仕事になんめぇ」
返答に若干の沈黙。
火薬は水没、糧食はふやけ、武装やら何やらも手入れをしないと錆が来る。
使える物を救出したとて、補給が無ければ話にならない。
そして金づるのアテはある。無暗と急いだ所でリスクが増すだけだ。
「それに、ツクヤさんを急かしちゃ気の毒だろう」
「またそれだ!!……まぁいいけどさ。君のいう事も解らんではない。
ボクは寝る前に点検済ませてるよ。お前どーせまだだろ。例によって例の如く」
「良く解ってんじゃねぇか。流石ガキの頃からの大親友」
「非常に不本意だけどね。ボクとしては。それで、やるの、やらないの?」
「そらやるさ。すぐやるさ。三分間だけ時間をくれ」
「百秒で。数えるのが楽」
ちぇっ、と舌打ち。猛然とシャツを着こみ、勇壮にズボンに足を突っ込み、
剣帯付けたベルトを締めて、乞食袋を引っ提げれば冒険者一丁出来上がりである。
競うようにドアを開け、向き直ってみればアンリが指を折りながら待っていた。
「百秒引く五!!大した早業だろ」
「ズボンがずってるよ。さ、あの人も起こさないと……」
「じゃあ俺が」
うきうきと走り出しかけたカジャの襟を飛んで掴むアンリは呆れ顔であった。
そうして、かの女の活躍についてひとくさりくどくど述べ立てる。
皆目意味が解らないらしいのっぽに言葉を探して沈黙し、ちびの冒険者は向き直る。
「あの腕力、まるでオーガだよ。
寝起きを襲って雑巾みたいに捩じられても知らないよ」
「なぁに。俺は優しく、積極的しかも紳士的だ」
「特級の馬鹿が抜けてるよ。一番見られたくない時間だよ、寝起き」
「ふぅん。そんなもんか」
ぎぃ、と軋む音。二つ先の戸が開く。湿った服のせいかクシャミを一つ。
ツクヤ=ピットベッカーであった。寝ぼけ眼もそのままに片手をさっと上げる。
「みゅ、んむ。おはやう。皆皆様様、早速朝ごはんにしよう」
「それより出発の準備を。急がないと……」
「朝ごはん。大切だよね。とっても」
変人や腕力などの他に一つ、アンリはこの女の特徴を脳裏に追加する。
どうやら余り人の話を聞かない人物らしい。
奇妙な道連れを一人増やして一行は宿の食堂に雪崩れ込む。
どうやらそれなりの宿らしく、朝餉の支度に煙が上っていた。
どん、一行が陣取ったテーブルの上に湯気立つ皿がそれぞれに。
トーストされたパンに煮豆、プディング、ベーコンは勿論分厚く力強い。
更には目玉焼きまでついている。薄い、軽い、カリカリ。
そんな軟弱な要素など介在しない。
何処からどう見ても完璧な肉体派朝食であった。
ともあれ他人の金で食う飯は旨いのだ。
経費で落ちるとは女史の言であるが、流石大貴族に縁あるだけの事はある。
小躍りしながら朝食に襲い掛かるカジャを傍らに、ちびはツクヤを改めて眺める。
猟犬のように食うのっぽとは真逆のお上品な所作だ。そして一言も発しない。
全く自分達とは不釣り合いな階層の人間という事だけは理解できる。
あっさりとボリュームを片付けたかの女におずおずとアンリが口を開いた。
「散々聞こう聞こうと思って聞きそびれてたけどさ。
お姉さん、私らと同行してどうするつもり?」
「あ、そう言えば説明してなかったっけ。今度ね、私たちの所から
調査隊を出すんだけどね」
そうしてツクヤ=ピットベッカーはまるで世間話のような口調で語りだす。
曰く、今では忘れられた古の巨人達、その遺跡の発掘調査を行うのだという。
「古巨人!?凄い、凄いよ。
魔物生態図鑑にも存在した事しか記載されてない種族じゃないか」
「そ。所謂古き悪魔たちの方はウチの所長とか、
北の魔王様とかの証言で大分解って来たんだけど。こっちは未だに全く未解明で」
「さらっと爆弾発言!?何それ面白い!!っていうか話していいのそれ!?」
興奮して身を乗り出すアンリ。ツクヤは優雅に食後のお茶を傾ける。
そこで冒険者は首を捻った。趣味の陰謀論にあわや火が付きかけた所で、
怪しげなその話が自分たちに直接関わりがある事に気づいたのだろう。
「それで、そこまでの旅のしおりを作るんだけど、それが私の仕事でね。
レールの続かない道の先をこれから調べに行くところ」
「……ええと、魔物とか出る?」
「レールの外は人類の勢力外。冒険者なら知ってると思うんだけど」
この時代、国家の実効的な力が及ぶ範囲はレールの及ぶ範囲と概ね一致する。
魔物と言う脅威に対し、既知の外めいた強者達や、純粋な軍事力よってのみ
辛うじて版図を維持していた時代は皇国においては過去になりつつあった。
鉄道は荒れ地という海原に浮かぶ小島の群れを一つの国家に統合しつつあるのだ。
──しつつあるのだ。つまり、様々な理由で未だに未開の地も多くある。
僻地、地形上の困難、はたまた単にレール敷設の予算や業者の不足等々。
無礼にも揶揄を込めて剣と無法の大地などと呼ぶ者も無いではない。
実際、辺境と中央の時代は百年以上ずれるのが相場である。
かの勇猛なる東国などは未だに人間の物理力腕力騎士団力で国家を保っているとも。
閑話休題。
ともあれ、事実上とんでもない僻地へと赴くことが知らぬ間に決定していたらしい。
二つ返事で早まった事を、と後悔した所で時すでに遅しだ。
「レールの外には魔物が住むの。頼れる仲間の目が死んでる。
まぁ、俺ちゃん頑張るし冒険大好きだから大丈夫大丈夫」
口の周りを拭き終わったカジャが調子のいい事を言った。
誰のお陰でと喉元まで出た罵倒を飲み込む。生活が首の皮一枚繋がったのだ。
見方を変えれば願っても無い好機であろう。かもしれない。だといいな。
「未だ実体を知られない伝説巨人の遺跡を探求し、真実に挑む。
正に冒険者冥利に尽きる。まるで愛読の小説みたいで嬉しくなって来たぜ」
「三文、が抜けてるよ。でも、前向きに考えた方がいい、かしらん。うん。
絶対にそうだよ、そうに違いないよ。破滅の罠なんかじゃない」
盛り上がるカジャ。ぶつぶつと自己暗示をかけるアンリ。
何とも楽しい道中になりそうだと目尻を下げるツクヤ=ピットベッカー。
件の黒服連中についての報告も既に投函を終えている。万事順調滞りなし。
と、いきなりカジャが掌を叩いた。
「あ、そうだ。良い事思いついた」
「ん、どうしたのカジャ君?」
「ツクヤさん、ここでデートを申し込みます。今から僕とお買い物しませんか」
「あらあら情熱的。でも、私も予定が」
「そこを曲げて。今から真の冒険者のショッピングというものをお教えしますよ」
「じゃあ、じゃんけんで勝てたらいいよ」
結果はツクヤの七連勝だった。泣きの一回を含めての見事な完敗であった。
まるで最初からそう運命づけられたかの如くに、全く勝てない。
フェイントは即座に見切られ、矢鱈滅鱈振り回しても、まるでダメであった。
呆然とするのっぽに、女史は舌を出して片目を瞑っておどけてみせる。
「んふふふ。実はね。私、こう見えてもちょっとした特技があって。
ジャンケンだけは生まれてこの方負けたことがないの。ごめんね、冒険者君」
そういう事であった。初めから負けないと解った上での勝負だったのだ。
軽く手を振る女史の背中を恨めし気な視線が追いかけていた。
Next.
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