第6話 ソノウソホント、女学士はかく語りき
川の流れは絶えずしてまた元の流れにあらず。
百年変わらず下流へ注いでいたであろう水の片隅がぶくぶくと泡立つ。
直後、水飛沫を上げながらずぶ濡れの姿が現れ、
やっとの思いで岸辺に這い上がった。
「ぶはっ!!げほっ、ゲホゲホッ、オェッ……や、やった。やったぞ、成し遂げた!」
「うー……酷いよ。何するの。びしょびしょだよ」
「お、これはこれは奇麗なお姉さん。
先程お助けしましたカジャ=デュローでございます」
「いや、そんな事より。アレいいの?」
びっ、とずぶ濡れのまま女性が川を指す。
そこにはぷかぷか浮かんだまま下流へゆったりと流されていくアンリがあった。
カジャが引き上げるまでしばし。気付けば夕刻を過ぎ、とっぷりと暮れ始めていた。
ずぶ濡れのままいう訳にも行かない。体が冷えればあっという間に衰弱してしまう。
車座に座るのは冒険者と自称学者。焚火がばちばちと音を立てている。
「……」
「おい、何か喋れったら。間が持たないだろ」
「うーむ、何がなんだかこの状況。良く解らないけど、助けてくれたの、かなぁ」
垂れ込める気まずい沈黙。
何やら半笑いのカジャと三角座りのまま動かないアンリ。
何やら思案しつつ二人組を眺めていたツクヤが沸かしていた湯を啜る。
「まぁ、私のお節介だし。行きがかり上文句は無い。で、君らは?」
「えーと、そう仰いますと?」
「自己紹介、まだだよね。私はツクヤ=ピットベッカー。
学者見習い……と言うよりただの学士かな。そっちは?」
「僕はカジャ。カジャ=デュロー。コイツはアンリ=カトル。
どっちも冒険者です。仕事に行く最中で、ハハハ」
笑顔を作って台詞を区切るカジャの口元を見て、
ツクヤ=ピットベッカーと名乗った女は疑わし気に軽く眉を寄せる。
「……それだけじゃ無いよね?詳しい事情は知らないけど。
アレ、多分陛下の特務か何かだよ。そんなのに追いかけられるって只事じゃないよ」
訳知り顔で女学徒は何やら物騒な事を言いだした。
慌てて両手を振って打ち消そうとカジャは言葉を続けた。
「それは、その。ホラ、お姉さんを巻き込みたくないし、詳しくはなー」
「否定はしないか。何しでかしたの。ただの冒険者仕事じゃないでしょ」
「……しゃーない。首突っ込むのは良いけど、後悔すんなよ」
観念してぼやくカジャに、それまで黙っていたアンリが慌てて立ち上がる。
生乾きのそばかす顔が血相を変えて焦っていた。
「ちょっと!何勝手に決めてるの!!」
「とっとと吐いた方がいいだろ。この調子だとすぐにバレる。
助けてくれた以上解ってくれるだろ、多分。
……お姉さんはいいんか?一応言っとくけど、巻き込んだ後の保証はないぜ」
「私の所は一応陛下からは独立してるから、大丈夫だよ多分。
それに、度々こういう巻き込まれの前例だってあるし」
「どういう学者なんだそれは」
魔物生態学者、と自信たっぷりにその女は言った。
がちゃん、とアンリが口をつけかけたマグを取り落とす。
「や、や、厄ネタだ!!歩く厄ネタ共じゃないか!!」
「何だ。またお前お得意の噂話とか陰謀論か。失礼だろ」
「お前が無頓着過ぎんだよ、馬鹿ッ!!もう我慢出来ない、今すぐ逃げないと」
「そうかい。それじゃあ、納得いくよう教えてくれよ」
尋ねると、アンリは口火を切って捲し立てる。
曰く、魔物生態研究所とは大戦前から続く由緒正しい変人の巣窟である。
少なくとも、アンリ=カトルはそのように認識しているそうだ。
冒険者であれば誰もが一度はお世話になる魔物生態辞典、その発行元でもある。
しかし、調査の為と理屈を立てては騒動を引き起こしているのも明確な事実だ。
その癖、大戦前後とその終結での活躍からこれら逸脱は伝統と居直っている。
信頼と実績と能力、そして冗談めいた発想を兼ね揃えた、実に面倒臭い集団らしい。
東の方に未踏の秘境があれば身一つで飛び込んで騒ぎを起こし、
西に宗教国家の困りごとがあれば行って厄介ごとに首を突っ込む。
その存在する所、トラブルと騒動が絶えない、と見做される連中。
しかも、その元締めたる女伯爵は北に座す魔王とも深い親交を結んでおり、
仮に皇帝陛下と言えどおいそれと手を出す事が出来ない厄の特異点。
それが魔生学者なる皇国一のトラブルメーカー共だ、とちびは一気にまくし立てた。
困ったような顔で女学徒は抗議とも悲鳴ともつかぬ物言いを聞く。
「……そんな事言われてもナァ。人の事を化け物か何かみたいに」
「嘘をつくな嘘を!ボクは騙されないぞ!奇麗なその顔の下には策謀があるんだ!
いや、魔王の手先だ!人類を混乱に陥れようとしているに違いない!」
謂われなき非難に努めて友好的な微笑みを浮かべるのは育ちの良さの証拠か。
それが又胡散臭さ、胡乱な印象を与えているらしく、ちびの冒険者は警戒を強める。
心的外傷を負った野良猫のようなアンリにツクヤが近づき、実に親し気に言った。
「まぁ、全体として噂は八割ぐらい正しいけど。諸先輩方、愉快ですっごいんだよ」
何が凄いと言うのか。しかも概ね事実であると明言するとは何を考えているのか。
ともあれ、国家の頭上を華麗に行き来する連中である。
ただの冒険者風情にとっては関わり合いにもなりたくない手合いだ。
「やっぱり特大の厄ネタじゃないか!ボクは絶対に嫌だからな!」
「じゃあ一人で歩いて帰るけ?黒服共が見逃してくれるか知らんけど」
うっ、とアンリは言葉を詰まらせる。
線路を辿って徒歩で返るにしても都まで何日もかかるだろう。
香辛料を握りしめた男が顔を真っ赤にして近づいてくる様子も脳裏に浮かぶ。
「……ちょっと考えさせて貰ってもいい?」
「ああ、一晩ゆっくりな。それで、だ」
「うん、見せてくれるかな?」
胡坐を組んだままカジャは件の箱を取り出した。
一見すると何の変哲もない黒い小箱のようにも見える。
手に取ると、焚火に照らしながらあちこち検める。
「全く継ぎ目が無い……随分不思議な作り方。素材も解んないなぁ」
「開けてみな」
一体中身は何だろな。箱から剣を取りだすや、女学徒は目を細めた。
夜の闇の中でもうすぼんやりと光る刀身を矯めつ眇めつ確かめる。
ほぅ、と溜息とも感心ともつかぬ吐息が漏れる。
「これは凄いね。間違いなく、紛れもない、大戦前からの鋭き刃だ。
相当な人の持ち物だったんじゃないかな。この様式、300年は前のだよ」
「流石は学者先生。お詳しい」
「ただの一般教養。でも、この剣は大切にね。本当に凄いから。
剣士一生ものの一品だよ。それ以上詳しい事は専門の人に任せるけど」
大げさに押し付けられかけた名剣を鞘が無いからとカジャが押し返す。
しょうがなしに再び押し込んで、それからしばし箱を眺める。
何かに気づいたのかもしれない。のっぽが怪訝そうに尋ねる。
「どした。変なもんでもついてるのか?」
「……ううん、何でもない。ほら、返すね」
黙っていたアンリがその様子にうさん臭いものを見る目を向ける。
じろじろと不躾な視線に居心地悪げにツクヤも向き直った。
「……どうかした?」
「なーんかおかしい。引っかかる。キミさ、ボクらを騙そうとしてない?
都合が良すぎる。人が良すぎる。身なりからして卑しい身分でも無し。
学士様なんぞがどうして木っ端冒険者なんか手助けするのさ」
「ああ、それはね。ほら、白馬亭の。あそこ、私の親戚に馴染みが深くって。
それで放っておけなくて。ほら、良い事だし、大丈夫大丈夫」
要領を得ないが、単なる善意と言う事らしい。尚も警戒を緩めないアンリに
のっぽの冒険者は呆れ顔を浮かべて見せた。
「おい、アンリ。お前だって店主さんに話は聞いてるだろ?んで、請け負った。
なら冒険者の領分じゃねぇか。お客さんにケチをつけてもしょうがない。
第一、もう引き返せないだろ。だったらよ」
「行きつくとこまで行くしかない、ね。ああ、やだなぁ。帰りたい」
しかし、白馬亭の店主の言は見かけたら助けてやれ、だ。
期限も内容の指定も無い。意地悪く解釈すればこれで達成お役御免でも良かろう。
精々口八丁で丸め込んで──などと、アンリが小狡く考え始めた瞬間だ。
「文句垂れんな。それに期日まで間がねぇよ」
「あああああ!!そうだった!!」
忘却していた現実にぐっさりぐさりと背中を致命的に刺された。
アンリは慌てて手帳を取り出す。
破かないよう慎重にめくり、穴が開くほど日付を眺める。
続いて薄い財布の中身を確かめ、絶望して頭を抱え込んだ。
「結論から言うと、あと三日しかない。僕らはここが何処かも解んない。
おしまいだぁ、もう終わりだぁ……路頭に迷うぅぅ」
冒険者と言う身分にとり、十分な蓄えなどは無縁の話だ。
手持ちが底をつけば借金生活の末にろくでもない未来が待っている。
債務監獄、救貧院かはたまた単なる野垂れ死にか。選択肢などあってなきが如し。
その言葉を受けて、ツクヤが地図を取り出し、星を眺め、地形を眺め、
方位磁石を片手に紙面を睨む。
「明日から三日ね。大丈夫。強行軍で何とかなるよ。何とかしよう」
「ほへ?」
「読図。荒野歩きの基本技能だよ。冒険者続けるなら知ってて損はないと思うけど」
「本当!?本当に間に合うの!?助けてくれるのお姉さん!」
「一日急いで、線路沿いの街から汽車。時刻表とズレが少なければ行ける筈──」
そこまで聞いて、アンリは飛び上がって喜びだす。
それまでの態度などどこ吹く風と感謝の言葉を繰り返すちびの冒険者に、
女学徒は苦笑を浮かべながらも旅は道連れ世は情けと返す。
こうして。二人と一名の即席パーティーが結成される運びと相成った。
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