第2話 酒は舞い降りた



 踊る白馬亭とは、エルフの名物女将が切り盛りする酒場兼宿屋である。

白い馬に月とサーベル。ぱっと見には貴族の紋章かと見紛う看板が揺れる。

勿論それには長い長い由来もあるが、そんな事など飲兵衛共には関わりもない。

遥か辺境、ペルーン卿の領地から運び込まれた焼いたエールが名物で、

泥炭の香りがするその酔い口と来たら雷鳴の様だと専らの評判だ。

尚、焼いたエールとは錬金術師共の娯楽から生まれた強い酒であり──閑話休題。


 扉を開けば、酒と焼肉の香りと歌と踊りにバカ騒ぎ。

見上げれば、宿の宝のサーベルが天井近くに飾られている。

視線を正して突き進み、チビとノッポの二人組は空いた席に尻を据え、

やおら一人のウェイターを捕まえた。


「お姉ちゃん!!焼きエール水割りと肉!!良い所を頼むぜ!!」

「んじゃボクはチーズとワイン、それとウナギの燻したの。

あー、でも油っけならもう少し強い酒がいいかなぁ」

「オイ、お前も焼きエールにしとけよ」

「強すぎるんだよ、ソレ。翌朝、嵐の後の袋ネズミみたいな気分になるし」

「ウナギの時に分けてやってもいいぜ。代わりにチーズな」

「ハイハイ、解ったって」


 ご注文はお決まりですかと問う笑顔。応、と答えてもう一度口上。

見目麗しい給仕女に鼻の下を伸ばすカジャ=デュローを横目に写し、

アンリ=カトルが溜息を吐いた。

そして周りを見る。どいつもこいつも揃いも揃って冒険者ばかりだ。

若者がいる。中年が居る。しかして年寄りは殆どいない。


流石は元冒険者たちの宿だけのことはある。

故に客と言えば冒険者(ゴロツキまがい)ばかり。酒が良くて飯が旨いとあっても、

自然自然と宿やカフェーの客層が偏るのは如何なる謎かあるいは仕来りか。

ともあれ世界には未だ解き明かされない謎が数多くあるのだ。


 アンリは他の客と自分達の姿を見比べる。

尾羽打ち枯らした──率直に言えば見すぼらしい自分達と比べれば、

周りの大人達は体格も装備も立派なものだ。

古風な鎧──汽車の発達で移動が楽になったのもあるが──を着た者がいる。

かと思えば、ラッパ銃をその辺に立てかけたつば広帽子の伊達男がいる。

得物も恰好も千差万別。統一感の皆無さが彼らの在り方そのものである。


 ええい、負けてなるものか。対抗心を内心で燃やし始める。

冒険者たるものいつ何時も舐められてはいけない。それは大原則なのだ。

如何なる不利益を押し付けられるかも解らない。常日頃から警戒が必要だ。

人慣れしない野良猫めいて周囲を警戒するアンリの前に皿と酒。

ついでに、カジャが委細構わず早速一杯やり始める。


「かーっ、この一杯の為に生きてんだよなぁ。飲まないなら貰うぜ」

「……時々、君が凄く大物に見える時があるよ」

「お、良く解ったな。俺は今にビッグになるからよ。将来の冒険王様だ」

「何だよそれ、訳解んね。騎士様なら兎も角冒険王って」


 木のジョッキを机に叩きつけるようにカジャ=デュローが置く。

酔いの回ったうろんな瞳で相棒を睨め上げると酒臭い返事を吐いた。


「馬鹿にしてんのか?夢はねーのかよ、ビックな奴」

「ボクはねー、お金儲けして貯金。

それから小さい家を買って、それからそれから……」

「へっ、小市民め。王になった暁にはそれは目出度く破壊活動しちゃる」

「何だとクソノッポ。鼻の穴にウナギ詰めて欲しいのか」

「そりゃ敵わん!!」


 燻製を一本引っ手繰ってカジャは自分の口に詰める。

お返しとばかり、飲みかけの水割りジョッキをアンリが奪い取って飲む。

と、酒に微睡む瞳を店の戸口に向ける。

冒険者ばかりの客層に酷く不釣り合いな美人が入って来るのが見えた。

二人して手を止めて同じ方向を見て、すぐに顔を見合わせた。


「スゲェ、俺あんな奇麗なねーちゃん初めて見たぞ」

「そりゃ美人さんだけどさ。ほら美人過ぎるっていうか、世間知らずそう?

眼鏡なんかかけてるし……髪サラサラだし。

こんなトコより窓辺でお茶飲んでそう」

「言えてる。じゃあ、ちょっと声かけてくるわ」

「お前は何を言ってるんだ」

「世間知らずならひょっとすれば出来るかも。

俺ちゃん美人なねーちゃんとお酒したい!」

「顔以外に見る所無いのか」

「乳、尻、ふとももの大いなる三位一体。故に至高である。かくあれかし」

「雷に打たれてしまえ大馬鹿野郎」


 立ち上がったカジャの首根っこを罵声と共にアンリが掴む。

他方、何やら店の主と話し込むらしく、かの女はカウンターに陣取った。

衆人環視もどこ吹く風か、はたまた店主の発する無言の圧力でもあるのか。


 ともあれ喧噪の中では詳しい会話の内容までは聞き取れない。

それよりも隙さえあれば立ち上がろうとするのっぽを制止するのに忙しくもある。

と、その時だ。盛大な轟音と共に白馬亭のドアが蹴り開けられた。


「全員、手を挙げろ!!ここに盗人が入り込んだと通報があった!!」


 突然の闖入者に一斉に酔客らの視線が集まる。

誰であろう。見まごう事無く紛れもなく、一目で解るあの黒服共であった。

顔を見合わせる冒険者共。瞬時にテーブルの下に身をかがめて潜るちびとノッポ。

そこで、カウンターの奥から女主人が荒い足取りで黒服目掛け歩いていく。


「お客さん、いや、警邏の方でしょうか?ご説明頂けませんこと」

「言った通りだ。この冒険者宿に盗人が入ったと通報があったのだ」

「それはそれは……ご存じで無い?勅令で冒険者酒場での捕物は出来ない筈」

「無論、知っている。だが、今回は特例なのだ」

「ハァ。しかし、それを認めては慣習による権利も失われてしまいますわ。

第一、ここに盗人が居るかどうかも確かじゃありませんよ」

「だから、今から調べるのです。冒険者如き!元々が後ろ暗い連中ですからな。

我々が調べとなれば、後ろに縄が回るやも知れず言い訳を──」


 そこで黒服の言葉が途絶える。店内から飛んできた熱々のシチュー皿を

頭から被ってひっくり返った同僚を見て、顔を見合わせる黒服たち。

ずい、と大股で姿を現したのは酒と怒りで顔を真っ赤にした年嵩の冒険者だった。


「その喧嘩買ったァ!木っ端役人共っ!!みんなァ、異論はねぇなッ!!」

「壊した分は弁償してもらうからね、アンタ等」

「ほどほどにしろよ、みんなァ!!」


 応、という雑多な酔っ払い共の叫びが応えた。

大乱闘の開催であった。強打である!!残念だが武器の使用はご法度に類する。

椅子は武器か。いや、凶器だ。そういう事になり、酒瓶を、椅子を手に殴り合いを

始める冒険者たちと黒服共──驚いた事に黒ん坊ども、どうやら公僕らしい。


「……不味い連中に喧嘩売っちまったんじゃねぇの?」

「そーかも。手回しが早すぎるし、どうしようか」

「どうしようかねぇ。そうだ、仕事に行こう。確か、鉄道警備受けてたろ」

「いや、何でさ。どーしてさ。警邏共から逃げるのが先じゃん。逃げるのが」

「だからだ。確か、僻地というか隅っコだろ。そう説明してた」


 善は急げである。乱闘騒ぎを尻目に勘定を済ませ、

二人組はこそこそと裏口から退散を決め込もうとする。

と、エルフの店主が冒険者たちの目の前に立ちはだかった。


「アンタ達」

「へ?」

「ん、店長さん。金は払ったろ。何ぞ用か?」


 エルフの店主は暴れる黒服共を親指で示した。

喧嘩騒ぎは冒険者の花だと客共は大いに張り切っている。

投げ飛ばされる客。宙を舞う黒服。破壊音を響かせて通りに人が転がっていく。

この調子であれば店内の調度一式新調できるかもしれない。

他人事であれば面白い見世物であったろう。


「ありゃ、アンタらの客かい?ウチは狼藉者と警邏は出禁なんだけど」

「いや、そんな。まさか。ハハハ……全然、全く。完全に無関係」

「顔に嘘だと書いてある。まー、良いけどさ。

冒険者のガラ悪さは今に始まったこっちゃないけど、ウチはカタギの店だからね?」


 飛んできた酒瓶を受け止めるや、ラッパ酒を呷って騒ぎを眺める店主は言う。

言葉と裏腹に彼女は懐かしい物を眺めるような目をしていた。


「そんじゃま、俺らはとっととオサラバ……」

「ちょい待ち。あんた等、さっき鉄道がどうのこうのっつってたが、仕事?」

「え、ええ。一応。俺と、こっちが鉄道の警備で」


 この時代において、それは典型的な冒険者の仕事の一つであった。

ドワーフが拵えた特殊で頑丈な鉄のレールはそれ自体優秀な素材である。

で、あるから当然にそれ目当てに色々な狼藉者が寄って来る。

ゴブリン、オークは言うに及ばず辺境の人間が失敬する事も珍しくはない。

為に、それを追い払う仕事は冒険者たちの重要な収入源の一つとなっていた。


「それならアタシからも追加で仕事。出来たらでいいけどね。

こう、金髪碧眼の飛び切りカワイイ子がさっき居たでしょ?

乗り合わせるかも知らんから、居たらその子を助けたげて。無理ならいいけどね」

「……報酬は?」


 金の話は何時だって大事だ。問われ、店主は小首を傾げて考えてから返す。

一瞬だけ頭上のサーベルを見上げた理由は解らない。が、冒険者も問わない。


「ここの無料券を二十枚綴りであげる。見たとこ、そんな金も無さそうだしね」

「マジ!?」

「そー、大真面目。ウチの大切なお客さんだからね。これからもご贔屓に」


 目を輝かせて身を乗り出すカジャに手をひらひらさせながら店主が応える。

乱闘は終わる気配も無い。いや、黒服が応援でも呼んだのか、

店の外からホイッスルの音と革靴の音。追加の警邏がもりもりとやって来たようだ。

おおっと。一瞬背後を振り向いてから、冒険者達は顔を見合わせ、向き直る。

店主は親指で裏口を指し、身をかがめて二人組は店を飛び出した。



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