16話 告白/告白

このおはなしは、この場面のために存在するものです。






「もう大丈夫だよー、直人くん。 ………………………………よかったぁ、なにかされる前に早咲ちゃんと一緒に助けに来られて……ふぇぇぇ……」


早咲さんからの声に従ってもなお目と耳がやられて――まあ、あれだけのものだったもんなぁ……くらくらしていたけど、気がつけば俺のそばにはひなたさんしかいなくなっていた。


入り口と窓には銃を外に向けて構えたままのいつもの兵士さんたち、俺はベッドに腰掛けた状態、ひなたさんは……いつもよりもずっと離れた距離感とでも言おうか、俺から数歩は離れたところに立っている。


ぽつんと、体を縮めるようにして、いつもよりももっと幼い様子で。


………………………………俺は、助けられた。


ダメだって思っていたあの瞬間に、耳元からの声がしてから、すぐに。


ひなたさんは、制服を掴みながら泣きっぱなしで……ふだんの俺ならなんとか声くらいはかけられるだろうような泣きじゃくる格好になっているけど、今の俺にはそんな余裕はなくて。


「……ぐす。 えっとね、なんとかね、私たち、先生たちとがんばったの。 直人くんを誘拐しようって企んでた悪い人たちを騙して、運動神経がいい早咲ちゃんとちっこい私が通気口からここまでなんとかして来てぇ。 ……途中から、直人くんがひどい目に遭いそうだっていうのが聞こえてたのに、急いでも急いでもたどり着けなくってぇ――……」


よく見てみると、ひなたさんの制服……夜中なのに制服って言うことは、昨日の夕方辺りで俺を攫おうとした連中に捕まっていたんだろうか……ぼろぼろになっているし、膝やおでこには血のにじんだガーゼが貼ってある。


長い、いつも早咲さんに梳いてもらっている髪の毛だって、ぼさぼさで埃だらけだ。


「でもね、ひっく、早咲ちゃんがね、ここで気がつかれたら連れて行かれちゃってほんとうにおしまいだって、だからねっ、ひっく、こんなにぎりぎりになっちゃって……こわかったでしょぉぉぉごめんねぇぇ――――……」


「………………………………いや、助けられたし、助かったよ、ひなたさん……ひなた。 ほら、この通りに俺、服を脱がされるどころか薬さえ盛られずに済んで、なんともないからさ」


「でもこわかったでぇぇぇ――――……」


涙と一緒に鼻水が出始めた辺りから、さすがの俺も本気で泣いているこどもを前にしたような感覚でなだめようと、自然と声が出て来ていた。


いや、だって……一応は同級生のはずなのに、小学生みたいな泣き方するもんだから。


「ふぐ……すんっ、ずび」


「ほんとう、もうちょっとで俺……最初の頃言われてたみたいに、まずはアイツらに好きなようにされて……んで、これから先、ずっと俺の意志も生活も自由とはほど遠い飼い殺しみたいな人生送るところだったんだからさ。 だから、助かったんだよ」


「…………………………………………ほんと?」

「あ、ああ、ほんとうだ。 ほら、この通り」


まだ体に力があまり入らないけど、せめてってことで笑顔を作ってなだめる。


笑えているか心配だったけど……ひなたさんの表情がいくらか和らいでいるのを見ると、ほんの少しだけは取り繕えるようになってきたみたいだ。


「……よかったぁ。 男の子が……んと、襲われちゃうと、心が壊れちゃうって言うから、早咲ちゃんもすっごく心配してたの。 お薬使われちゃうと、もう、何にも思い出せなくなるって、違う人になっちゃうんだって。 ………………………………わぁぁぁん、かわいそうだよぉ、えぇぇん……」


………………………………そうか。


この世界では、男と女が逆だから……きっと、考え方も感じ方も、ほんとうに逆なんだな。


そう思えば、ついさっきに教われそうになっていたのが俺っていうのは……この世界で生まれ育った男たちと比べたら大したことはない。


そう、大丈夫なんだ。


ただ少し、恐ろしい思いと……いくら被害者な俺が男だとは言っても、加害者なあいつらが女からだとは言っても、無理やりに襲われるって言うのがどれだけこわいことなのかって言うのが分かっただけだ。


恐怖。


治安のいい場所で生まれ育って、学校だって荒れていなかったもんだから……そういうもの、映画とかマンガでしか、創作のものだってしか知らなかった感覚。


「……あのね。 あの人たちね? もうみんな捕まえたって聞いたけど……業者さんの人たちから直人くんのこと調べ上げて、海外の悪い人たちに目をつけられて、だからこんなにいきなりで、力尽くだったんだって。 ………………………………間に合ってよかったよぇぇぇん……」


収まったって思っていた、鼻をかんでせっかくすっきりしていたひなたさんの顔が、あっという間に真っ赤になって……やっぱりこどもみたいな泣き方を始めた。


「直人くぅぅん………………………………よかったぁ――――……」


で、ときどき見ていたように……早咲さんに抱きついてあやしてもらっているいつものクセが出たのか、俺の方に抱っこをせがむような感じに近寄ってきて。


それで、彼女の手が俺のそばに来た途端、俺は――――――――――――無意識に、反射で、しちゃいけないって分かっていたのに……その手を、はたいていた。


それも、かなり強く。


「ふぇ……? ………………………………あっ!?」

「っ、ごめんひなたさん、だけど俺っ、………………」


後ろに……下はふかふかの絨毯だから怪我はしないないって思うけど、倒れ込む音。


心配だけど、俺にはもうひなたさんを見る余裕なんてなくなっていた。


息が苦しくなって、何も考えられなくなって、ただただ俺の身になにが起きているのかを考えるのでいっぱいで、叫んでいるらしい声が理解できない。


けど、これは………………………………ただの、過呼吸。


保健で習った記憶のあるその状態になっているって気がついたのは、ベッドにうずくまるようにしてなんとか息をしている俺自身に気がついたときだった。


体じゅうから汗が止まらない。


平衡感覚がよく分からない。


………………………………目を開けられない。


「――――――――――――――――――っ!」

「………………………………――――――!!」


ひなたさんの声に、聞き慣れた兵士さんの駆け寄ってくる声と音が聞こえる。


けど、俺にはどうすることもない。


ただただ、これが収まるのを待つしかない……っていうのもまた、聞く気のない保健の授業で習った、たったひとつの、耐える、っていう方法だ。


「………………………………どうしよどうしよ、直人くん……」

「――はい、緊急です。 こちら護衛対象の寝室。 ご学友との不意の接触によりフラッシュバックを起こしたと思われ……過呼吸になられております。 恐らくパニックにもなられているでしょう、私たちでは迂闊に近づけません。 至急医師を……」


落ちつけ、落ちつけ。


ここにいるのは無害なひなたさん……さっきまでぐずぐず泣いていた小さな子と、これまで守ってきてくれていた兵士さんたちなんだ。


ここの外もきっと、守ってくれている。


首謀者たちも捕まったって言っていた。


だから、もう安心なんだ。


安心、なのに………………………………それでも俺の体は言うことを聞かない。


俺に色目を使わない……数少ない、友人になれる、いや、友人のひとりがいつものようにぐずって飛び込んできただけなんだ。


………………………………なのに。


「……ぇぇん、息苦しそうだよっ、どうしたらいいの!? お医者さん………………………………ぇぇぇん、早咲ちゃぁぁぁん、助けてぇぇぇん……早咲ちゃぁぁぁん、さきちゃぁぁぁぁぁん、たすけてぇ――…………」


「あ……須川様! お戻りください、ただでさえ直人様は――……」


ばたばたって感じの足音と一緒に泣き声が遠ざかっていって、兵士の人がどこかから声をかけ続けてくれている。


けど、俺の体……いや、心がそれをまだ受け付けていない。


情けない限りだけど、男の俺が女たちに性的に襲われそうになったっていうただそれだけのことで、同い年どころか年下にしか見えない女の子、友人の子にさえ怯えて、こうなるだなんて。


………………………………悪意。


俺が、そういうものと縁がないっていう平和な生活をしてきたからか。


したくもないマラソンをさせられているみたいに心臓が音を立てて、息が荒いままで、汗もだらだらと流れ続ける。


悪意っていうものに晒されて、ぶつけられて……欲望っていうものを一方的に浴びせられると、男女なんて関係ないんだっていうのが、分かる。


命の危険にかかわらず、……ケンカにすら巻き込まれたこともない俺だからこそ、か。


情けないけど、体に力が入らない。


だけど、こうして頭が働いている以上、いつかは収まるんだ。


手を出される前だったんだし、ほんとうに際どいところだったけど、でも大丈夫だったんだから……授業の内容を思い出せ、これは精神的なもの、呼吸が収まれば自然と楽になっていくもののはずだ。


だからなんとしても息を落ち着かせて、気分も……できるだけ落ちつける。


そうだ、こっちに来たばっかりで、なんにも分からなくて……っていう、あのときみたいに。


「………………………………野乃様! しかし!」


「大丈夫です。 ……私なら、彼をすぐになだめられます。 当直の方も間もなくいらっしゃいますし、もし私で駄目ならすぐに交代しますから。 ですから、部屋の外で待っていてくださいませんか? 鍵も掛けさせてください。 ………………………………榎本先生とローズ……ジャーヴィス先生から一任されました私を、学園主席としての私を、信じてください。 私で駄目なら、私の――である、ローズマリー・ジャーヴィス先生のことを、信じてください。 お願いします」


呼吸に……吸うのと吐くのに意識を向けてしばらく、汗が冷え始めているのに気がつける程度には落ち着いてきた気がする。


ついでに、耳元での会話が途切れ途切れじゃなく、はっきりと聞こえるようになって来たくらいには。


だけどまだ、俺の体が元通りになるには時間がかかりそうだ。


………………………………と、あれ。


今の声は、ついさっきに聞いて、なによりも助けてくれた、あの。


「………………………………大変な目に遭われましたね、直人さん。 まずは、「ご無事」でなによりです。 過呼吸で済む「程度」で、トラウマで済む「程度」で……です」


……早咲さんの声、か。


そういえばさっきの……光と音の直前に、両手が動かせない以上せめて目はってことで、つぶるように教えてくれた早咲さん。


ひなたさんと一緒に来てくれていたんだよな。


……けど、さっきまでいなかったはずじゃ。


「………………ほんとうは、私が――いえ。 「僕」が、この人生で死ぬまで」


いつもの早咲さんの声のはずなのに、どこか違う声が聞こえてくる。


「誰にも、言うつもりはなかったんです。 冗談抜きで、墓場まで持っていくつもり………………………………だったんです。 ですが、直人さん。 私の――――――――――――いえ。 「僕」の同類みたいな「君」を、見過ごすことはできません。 ですから、直人さんを信用して打ち明けますね。 たったひとりの、信頼できる君だからこそ」


いつもの落ち着いた雰囲気とはまた違うし、……それに、僕、とか、君、とか、ふだんとは違う呼び方をされて、心臓が少し落ち着いた感覚があって、呼吸が急に楽になってくる。


「……もし目を開けられるのなら、僕の方を見てくださいますか、直人さん……いえ、直人。 僕を見て、これを聞いたなら、きっと………………………………その体の反射も、きちんと癒えるには時間がかかるでしょうが、いくらかは収まるはずですから」


早咲さんが、俺の目の前で屈む雰囲気。


……俺もまた、単純な作りをしているらしい。


彼女の、これまでにないような声を聞いた俺は、不思議と楽になってきているのを感じながら……俺の目から涙が流れていたのに気がつきつつ、目を開ける。


顔を上げると、そこには、いつもの早咲さん。


どこか他の女子とは違う雰囲気を持ちつつ、なぜか安心できる、そういう印象を持ち合わせている彼女。


男とも女とも分からない、全てが中性的な同級生の女子。


男装こそしているけど、それでも近くで見るとやっぱり女子なんだなって分かる……分かっていた、その整った顔立ちが、俺のすぐそばにあって。


「っ!」


それを見て、無意識に体がこわばりそうになった俺に降ってきたのは――――――――――――想像もしていなかった言葉だった。


「これは、嘘ではありません。 神さまか仏さまか、それとも精霊、天使、悪魔……別の何かにかは分かりませんけれど、なによりも君と僕という存在に誓って。 ――――――――――――僕は、ですね? 直人。 僕は、……直人の来たような世界で生まれて育った記憶を持ったまま1度死んで、こちらに……男だったはずなのに女として生まれ変わったという、妄想としか思えない意識と記憶を幼い頃から持っている、元、「男」――――――――――――なんですよ」





榎本直人くん:巻き込まれ主人公。 野乃早咲ちゃん:「男装」している「女の子」。背は男子の平均な直人くんと同じくらい、髪の毛は肩に掛かるくらい。顔つきは中性的で穏やかな子。――または、野乃早咲「くん」。

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