5話 男の少ない/ほとんどいない世界というもの


「……………………………………………………………………………………」


さっきから俺の目に映っているのは、ばかに高い天井。


俺がこのベッドに立っても届かないだろうその天井からつるされている、これまたバカでかいカーテンのすき間からは……朝の光が漏れている。


周りの壁を見ると、至る所にパネルだったり絵だったりが模様みたいにくっついている。


これが高級仕様というものなんだろうか。


そんなことを思いつつ頭を後ろの方へ……枕に沈ませながら見てみると、母さんに無理やり連れて行かれる家族旅行とやらで泊まるようなホテルにある、時計とかラジオとか……小さいモニターまでがあって、昨日いじくったボタンとかがいくつもついている機械のようなものがある。


もっとも、俺がいつも見ていたようなものよりずっと大きいし、明らかに高級品だけど。


………………………………こんなことを観察するくらいには、目が覚めてから時間が経っている。


ただ俺は、目が覚めてからずっと、それを認めたくなかっただけ。


でも、観察するものがなくなった以上には認めないといけないようだ。


こうして、きちんと朝に起きた感覚があって、意識がはっきりとしている以上には受け入れざるを得ない。


なにしろ2度目の寝起きだからな。


……俺が横になった場所は、環境は、夢だと思っていた世界で寝たときと少しも変わっていなかった。


俺は、十数年慣れ親しんだ……くたびれて微妙に曲がっているマットレスなベッドがあって、どこもかしこもが俺の物だけで占められている狭い俺の部屋じゃなく。


豪華……すぎて、柔らかすぎてよく眠れなかったバカでかいベッドと、バカでかい部屋で寝ていたんだってな。


「………………………………………………………………、はぁ…………」


これからどうしたら、という気持ちで思わずため息が出た。


ため息なんて、少ない小遣いと悪い点数と……母さんの説教のときくらいしかしないのに、な。





「ぐっもーにん直人さん直人サン! ずいぶんと早起きでしたねー、あ、眠ってからの時間的に? ですけどもー。 まー、いきなりだったのでしょうがないですかねー? 無意識ではまだまだ緊張しているでしょうけど、それはそれとして直人さん、あれからまだまだ……えーと、数時間しか経っていませんが、記憶の方はどーですかー? まだあのときの、真夜中に会ったときと変わりないですかー? イセカイ出身ですかー?」


寝る前にもちらっと見えた、テーブルに作り置きしてあったやけに豪華……過ぎて、朝にはちょっと重すぎる感じのものを適当に食べ、壁に備え付けのモニターから連絡したところ、じゃあ開けますね……と、心の準備もなしにドアを開けてきたのは昨日の武装した女の人たちだった。


心底縮こまる勢いだった。


あの、俺、パジャマだったりしたらどうしたんだって。


あ、いや、そうじゃなく……一晩中警備ってのをしてたんだって、分かって。


俺だけのためにって。


…………………………………………………………俺が、なにをしたってんだ。


俺はただ、俺の部屋の本やマンガで狭くなったベッドで寝ただけだったはずなのに。


……すぐに呼ばれるかもって着替えたり顔を洗ったりしていたおかげでなんとか平常心のままに、適当な相づちを打ちながらその人たちに案内されることができたけど……着いたのは、校長室かって思えるような、これまた豪華な部屋だった。


なんか鹿の剥製とか壁にあるし。


んで、そこにはすでに……寝る前に会った人たちが揃っていた。


時計を見ると、まだ10時。


学校はとっくに2時間目に入っている時間だな。


あれが深夜だったとすると……少し寝不足ってところなんだろう。


だけど俺には、そんなことを感じている余裕がない。


だって、俺は今みたいに注目されている状態は苦手だから。


だから、なんとか用意して置いた言葉を絞り出す。


こういうのは得意な方なんだ、だからここも、何とかやり過ごそう。


「え、ええと……おはようございます、みなさん。 まず、昨日はありがとうございました……、で、あの、俺、やっぱりどうしても…………俺は昨日、あそこで起こされるまでは昨日話したとおりの世界ってので、俺にとってのふつうの世界で、そこの母さ……榎本先生」


……と思ったけど、すぐに頭がぐちゃぐちゃになって訳がわからない話に。


「先生、ではなく母さんでいいよ、直人く……直人。 それに、「偶然」とはいえ君の名字も私のものと同じなんだろう? わざわざ自分の名字を他人に言うのも落ち着かないだろうし、かといって下の名前で呼ばれても……その、いきなりだしな、私が困る。 君のメンタルのためでもあるし、ひとまず、落ち着くまでは「母さん」でいいさ。 そう呼ばれて嫌な気持ちはしないからな」


「んー、でもみなこー? みなこ、高校生のお子さんがいるにはちょっとばかり産むの早すぎませんかー?? その設定ですとみなこがまだ……えと、小学生のときに」


「別にいいじゃないか、ローズ。 あくまで設定だ、それに彼のことは親戚の子とでもする予定だしな。 母さん呼びは……おばさん呼びが癪に障るからという理屈でどうだ? ああ、引き取った先の義母という意味での母さんもいいかもな?」


「ん――……そーいうものですかねー?」


と、美奈子さん……母さんとよく似た人とジャーヴィス先生が話しているのを聞いているうちにひとつ、気づいたことがある。


母さんが、この人が……………………………………とんでもなく若いって。


いや、若いなんてもんじゃない。


夜にはまだ動揺していたし、なによりも暗かったからよく分からなかったけど……ここの母さん、いや、美奈子さん、下手したら20代なんじゃないかって見た目なんだ。


若作りとかじゃなく……そうだ、昔のアルバムにいた母さんみたいな感じなんだ。


うん、少なくともおばさんよりはお姉さん寄りの歳って感じ。


だから母さんとは思っていたくても、やっぱり別人なんだって俺の意識が認識している。


……ってことは、つまり、ここが俺のいた世界じゃないっていうのは。


………………………………。


「んんっ、話を戻そう。 ということはだな、直人。 君は厄介な状態に置かれているということになるんだよ。 なにせ君の記憶は、少なくともひと晩寝た程度ではまったく動揺しないくらいには徹底的に変えられている……暗示されていると想定できる。 あえて君を、この学園という場所に置き去りにしたくらいだ、よほどの理由があってのことで、よほどの方法で……数ヶ月程度では解除できないようになっているだろう。 その自信がなければ、連れ去って記憶を改竄した男子を解放なんてしないはずだものな。 それに」


「すとーっぷですよ、みなこー。 いっぺんに話しても理解が追いつきませんよー? それに、直人さんはまだ、私たちの知っている現実というものを受け入れられていませんのでー」


「済まない、直人。 つい、熱が入ってしまって」

「…………いえ、平気です」


俺は、連れ去られて記憶を改竄された……ということで、このふたりは話を進めている。


ジャーヴィス先生は俺を擁護してくれているように見えるけど、あくまでそれは先生たちが言っている……言っていたような「世界という設定」を、俺がまだ信じていないっていうニュアンスなんだ。


だけど、昨日の話からするに、俺以外の全員がおんなじことを考えていて……俺ひとりが、別の記憶、別の世界の記憶を持っていて。


だから、俺の方がここでは………………………………異質。


「んー? すまーいるですよ、直人さーん?」

「………………………………、はい」


にー、っとジャーヴィス先生が指で自分の口元を上げるのに釣られ、少しだけ……演技だけど笑ってみせる。


「……ん、いいですねーっ、まだ硬いですけどそれでもぐっどですー。 あ、それで、直人さんはこれからどうしたいですかー?」


「これから、ですか?」

「ですー、これからですー」


……………………………………………………………………………………。


……そうか。


この人が、美奈子さんが、俺の母さんによく似た人が母さんじゃないんだったら、下手をすると……俺が住んでいた家すらも、家ならまだしも部屋もないってことになっている。


ということは、俺は着の身着のまま何も持たず、誰も知らないままにここへ連れて来られたのも同然っていうわけで。


「そですねー、私たちとしてはー、学園の先生している私たちとしてはですねー? 直人さんをいちばんに安全で自由にできるという環境な、ちょーっと特殊なこの学園の敷地内で暮らしていただいてー。 あなたの記憶が戻るか、あるいは戻らなくてもここでの生活に慣れて……暮らせるようさぽーとしてあげたいと考えているんですねー?」


さっきから黙ったままだけど、優しく接してくれるとは言っても若返ったようで、……まるで俺の、年の離れた姉さんとでも思える母さん。


でも、俺の知っている母さんと性格は似ているようで、話し方がところどころ厳しいのは一緒だ。


真剣になるとこうして眉間にしわが寄ったままになるのも同じ。


それに対してジャーヴィス先生は……前に会ったことが、残念なことにクラスがちがったばかりにないから分からないけど、この人はのんびりした話し方……聞いているだけで落ちついて、だから人気があるんだろうなって思える。


………………………………。


母さん……みたいな人、については、俺が知っている母さんの印象が強すぎるっていうのがあるんだろうけど。


「ただですねー、直人さん」

「はい」


「直人さんにとって、私たちの言うことが信用できるかどうか分かりませんですね?」


「…………………………………………………………え? いや、別に、あの」


「だってー、直人さんにとって私たちはアカノタニンというものでー、しかも私たちは直人さんのこと、記憶を書き替えられた、何かの事件の被害者さんと思っているのですから……ですよねー?」


「………………………………………………………………………………」


ずい、と顔を近づけてきたジャーヴィス先生に、思わずどきっとする。


……金髪碧眼……って言うんだっけ、な美人さん、それも胸元が開いた服装の人がいきなり近寄ってきたって言うのと、俺が考えていたことが筒抜けだったみたいな気がして。


「正解でしょーか? ……なのですねー、なら、聞いてくれたらいくらでもいつまでもご質問にお付き合いしますよー? この世界……直人さんにとっては、最近生徒さんたちがよく勧めてくれますイセカイもの?というものでしょうからねー。 なので、どんな情報でも。 あ、教科書とかならもちろんいっぱい揃っていますし、テレビもウェブも好きに使ってもらっていいのですけども――……それは、直人さんに決めてもらわなきゃなんですねー、結局のところー。 人って、自分で調べて自分で経験して、自分で納得したものしか判りませんものー」


「……ローズばかりまくし立てても直人が困るだろう。 私からもいいか?」

「はい、どうぞー。 ……あれ? 私、まくし立てしてました? はぇ?」


と、ジャーヴィス先生の独特の口調でぼーっとしていたら、母さんがこの部屋……昨日この人たちに囲まれながら話をした部屋だ……の真ん中のテーブルには、いつの間にかなにやらのパンフレットが揃えられていた。


それも、俺の知っている名前の高校……なはずなのに、「学園」とだけ変わっていて……そして、写真に写っている校舎の様子とか、なによりも。


「表紙から見ても分かると思うが、この学園は少しばかり特殊なんだ、直人。 君は、同じ名前の高校……同じ場所で、校舎も見慣れたもので、そして、……偏差値も少し高め程度のものだったんだろう?」


「え、ええ……まあ……」


程度って。


……ま、家に近いからっていう理由で選んだんだしな。


去年にそう言ったら、母さんは……とりあえずでゲンコツを落としてきて。


『だがまあ……悪くはないところだし、しっかり勉強すればお前なら入ることができるだろう。 私が教師をやっている学校に息子が入ってくるというのは、少しばかり、同僚からいじられそうで嫌だがな』


………………とかなんとか言っていたっけ。


俺の知っている、受験に入る前のころの母さんは。


「だが、ここはちがうんだ。 君の知っている学園ではない。 ……恐らく立地も異なっているはずだしな。 というのはだな、ここは各国のエリートや上流階級……無論うちの国の生徒の割合が多いんだがな……が集まっている。 だから、世界の」


「トップテンのひとつにランクインしていますねー。 私も働きがいがありますー。 やー、がんばって新しい言語をちょいちょっと勉強して来た甲斐があったというものですねー」


………………………………。


は?


進学校じゃないから雰囲気が緩いって評判だった、この学校が?


偏差値……家から無理なく通える範囲ではいちばんだったけど、そこそこ止まりな高さだったはずの、この高校が?


嘘だろ?


トップテン?


………………………………………………………………。


……ああいや。


学園、なんだっけ。


それも、兵士さんとかがうろうろしているくらいには重要な。


つまりは、ここと俺の知っている学校とは別物ってわけで。


「だからだな、世界中のお偉いさんの子女が集まっているというわけだ。 理由については、理解が追いついてから改めてにしようと思っているが……だが、先に言っておく。 ここは、一種の治外法権が適用されている、半独立国……のようなものなんだ。 だからこそ、セキュリティに察知されずに君が運ばれてきたルートを探すので、裏では大わらわなんだがね」


「みたいですねー、私の下の人たちも、直人さんの警護の人がうらやましいってずーっとインカムでぶつぶつ言ってこられるくらいには大変みたいですー。 あー、ずーっとお耳がきんきんしてますよー、みなこー、後でお耳をふーって」


「と、いうことで、だ」

「What!? ……ひどいですよ、みなこー」


「……仮定としてだけでも、なんならそういう設定だとでも思ってもらってひとまずで理解してもらいたいところなんだがな? 直人。 この学園の敷地内は、この国の法律ではなく、この学園の法律と……私たち教師陣の判断でどうにでもなるんだ」


「……まるで、よくあるマンガに出てくるみたいなものですね」

「うん、そう考えてもらって構わないよ。 今はそう思っておいてほしいだけなんだ」


「なんならハリウッドのB級ものでもいいですよー? 今度おすすめ貸しましょうかー? あ、後でお部屋のおすすめ配信こんてんつに載せて」


「……ローズ。 それは後にしてくれないか?」

「ぶーぶー。 みなこずるいですー。 けちんぼー」


「こほん……すまない。 そういうことでだ、直人。 君がここにいると、残ると決めるのであれば、私たちが全力で君の男性としての人権を守る。 なにがあってもな。 だから、直に嗅ぎつけてくるだろうマスコミや各国の権力者からも……しばらくは守ってあげられるだろう。 …………もっとも、これは君が私たちの言うことを信用してくれて、安全だと思ってくれて。 仮にでも……そうしてくれて、ここに留まってくれるのであれば、だがな」


「そですねぇ、直人さんにとってはここではなくここから数キロ先の故郷の方が馴染みがありますからねー。 あちらの政府の方に保護していただいた方が安心はできるかもですねー。 ……私としては、私の祖国と同じくらいに信用できませんけど、東側よりはずっとずっとずーっとマシですよー?」


「……………………………………………………………………………………」


昨日、夜、目が覚めてから。


初めに幼い声、次に頭の強烈な痛み、そんでもって校舎の先にあったいかめしい建物と、その中の広さと。


まるで俺の方が間違っているかのような説明を次々と浴びせられ、ようやくのことで寝心地の悪いベッドで寝たかと思ったら、もう1回……今度は、よりドッキリというよりも電波な説明を浴びせられて。


………………………………だけど。


目の前には、確かに。


母さん……のはずだけど、でも、10歳以上は若返っている女性が、いて。


そして、なによりも。


昨日から、ずっと感じていたけど。


………………誰も彼もが、俺から、必要がない限りには、俺から距離を取る。


それが、あたかも当然のように。


俺と、絶対に触れない距離に……母さん、美奈子さんとひなたさんのあのときのそれ以外は、それはもう絶妙に、間違って触ったりしないようにって離れているようで。


……まだ俺が知らない「何か」が原因で、そうなっているかのように……。






ひと晩眠っても見知らぬ世界にいたままどころか、さらにどんどんと知らない「設定」を聞かされる直人くん。美奈子ちゃん(推定20代後半の髪の毛を短めに整えて凜とした表情と態度な女教師)とローズマリーちゃん(話し方がかわいい、ザ・きんぱつで服装がいろいろとゆるいほわほわとした女教師……?)に囲まれていますが、事態はそれどころではありませんね。TSっ子の助けはまだまだ先のようです。

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