3話 追加でローズマリー・ジャーヴィス先生(顔だけは知ってるから確定?)


………………………………疲れた。


俺、病院とか……軽いケガとかカゼとかでしか来たことがなかったから……精密検査、ってやつは、生まれて初めて経験したんだからな。


何時間かかったんだろうか。


退屈だったから余計に長く感じたんだろうけど。


それにしても、病院でもない保健室……の裏側に、ものすごくたくさんの機械があって、こんな夜中なのにお医者さんとか看護師さんとかが常駐しているとか。


……ここ、俺の学校だったはずだよな……?


校舎の感じとかはそのまんまだし。


……母さんに言われるままに勉強して、この春にどうにかして入った……けっこうに偏差値の高い、いい高校。


俺にしては相当無理をしたなって思うけど、結果的にはよかったんだろう選択。


……受験勉強は母さんが仕切っていたから、そりゃあ酷いもんだった。


おかげで無事に入学できたんだから文句は言えない。


酷かったけど。


……だけど、この高校にこんな施設があるだなんて、知りもしなかった。


ああいや、たしかにこの機械が詰まっている部屋への入り口自体はあったけど、でも、ここは当直の先生たちの寝起きする場所だって噂だった気がするんだけど……?


と、検査を受けるための微妙な服に着替えさせられていた俺は制服を着直した……うん、シャツもパンツも、寝る前に来たものだったな、たぶん……と、昨日の夜に着たはずのそれらの上に、ハンガーに掛けていたはずの制服を着ているっていう奇怪極まる状態になっていたっていう事実にもやもやしていたところで、保健室の方から入って来た母さん?……母さん、から声をかけられた。


「検査はひとまず終わりだ、お疲れさまだな、直人君。 すぐに結果が出るよう急かしているから、じきに出ると思う。 保健室の方のベッドでしばらく楽にしていたらどうかな?」


「………………………………分かりました」


……やっぱり、他人行儀……いや、きっと、母さんが生徒たちに対して接している、ごくふつうの態度だ。


母さんの、……外行きじゃなくて、こうしてふたりのときだったら、こんな態度は絶対に取らない。


機嫌が良くったってもう少し言葉づかいも荒いし、あれをやれ、それを取れってせっついてくるんだから。


なら、名前も見た目も同じだけど、他人の空似……ってやつか?


いやいや。


ここまで……どう見ても母さんなんだ、そんなことがあるはずは。


母さんに言われるままに保健室へ向かおうとしていたら、こんこん、とノックの音がして、母さんのいいぞという声の後に入って来たのは……えっと、早咲さんって名前だったか、あの中性的な男……女子生徒だった。


さっき校庭で見た通りに一部の女子にものすごく人気が出そうな中性的な顔で、髪の毛も長めで、……だけど制服は男のそれのままで、俺と一緒な生徒が。


でも……さすがに明るいところで見たら分かる、こいつ、いや、この子は女子だ。


男だと思いたかったけどな。


でも、少し話した記憶があるからか、そこまで困る感じもしなくなっている。


思い込みってすごいな。


「……はい、直人くんもこれ、どうぞ? なんにもできなくて退屈で眠くなったり冷えたりしているでしょう? こんな夜中ですがまだしばらく起きていないといけないでしょうし、カフェインは大切ですもの。 私も眠いし、この缶コーヒーはついでですっ。 あ、先生もどうぞ」


「うん、……ええと、早咲、さん。 ありがとう」

「………………………………。 野乃、助かる」


そうして手渡された、見慣れた缶を……熱いくらいのそれを受け取り、ぷしゅ、と空け……いつもの味と香りが、昼を学食で食べた帰りに買って飲んでいるそれが、口から喉へと流し込まれる。


その液体は、さっきまでの機械から聞こえてきていた轟音や金属の冷たさと同じように、俺が紛れもなく現実にいるんだと言うように、口から喉までを暖かく……苦く、染める。


「けどっ、さっきの話は……なんていうか、すごいねっ。 想像もしたことないよ、そんなのっ。 ……あ! あの、あんまり信じられないわけじゃないけど、でも、えっとね、実感が湧かないっていうかっ」


幼い声が下の方から聞こえたと思ったら、ひなたの長い黒髪が目に入る。


俺の視界に入ろうとしてか、ぴょんぴょんと跳ねているちっこいのが。


………………………………。


……こうして俺が座っていてこの子が立っていても、いくら母さんたちと話していたから顔を上げていたとしても、それでも小さいってことは……初めの印象どおり、この子は相当に幼い見た目……背丈なんだな。


「あ、ごめんね? 直人くん。 だけど、そう思えるの。 ……やっぱり先生が言っていたように、記憶をぜーんぶ。 一般常識っていうものからぜんぶ、書き替えちゃうことで直人くんが思い出すまでの時間を稼いでいるのかな? だとすれば……っ、て、あわ、ごめんなさいっ、大変な直人くんの前で、ひなた、悪いこと言っちゃってっ」


「………………………………いや、いいよ」


俺に話しかけていたと思ったら次第に考えていることが口から出たのか、ちょっと声のトーンが下がったかと思いきや、あわあわという感じで慌てだしたひなたという女子。


……控えめに見ても中学生だ。


いや、下手したら。


「落ちつけ、須川」


と、いつの間にか横まで来ていた母さんが、ぽん、と俺の肩に手を置く。


「……だが、直人君も、私たちの言うことに不快なものがあったりしたら遠慮なく言って欲しい。 遠慮なく、な。 大丈夫、私たちは味方だ。 むしろ遠慮されてしまうと、どこまで配慮したらいいのかが分からないからな。 ……だが、こちらが思っているものも納得はしなくてもいいが理解はして欲しいんだ。 なにせ、君の常識……というものは、たしか。 「男女の出生割合がほぼ同じままという奇跡が起きて世界が今日まで来ている」……という、私たちで言うところの戦前までの状態のような……理想の世界そのものなんだからな。 まったく、あるとすればうらやましい限りで、みなの不安など一気に吹っ飛びそうなものだからな。 ………………………………それが、そんな世界が、存在するとしたら、だが」


………………………………。


……さっきまで検査中の雑談ということで白衣を着た人たちにあれこれと、ヘンなことを聞かれていた。


誰でも知っているような常識だとか、歴史だとか……まあ俺はそこまで歴史で良い点取ってなかったから、詳しくもなければ間違っているところもあるだろうけど……だとか、今の世界情勢だとか、少子化だとか、遺伝子技術だとか。


ちょうど受験で必死こいて勉強したから、他の生徒並には答えられはしたと思う。


受験が終わった途端にかなり頭から抜け出たから、自信は無いけどな。


………………………………。


……とにかく、母さんたちも、冗談とか悪ふざけとかじゃなくて、本気で俺のことを心配してくれているみたいだし、ひとまずは話を合わせてみよう。


そうでもしないと話が進まなさそうだしな。


「……え、ええと。 それならこの……世界?は、ちがうんですか? その言い方ですと、まるで……その、男と女のバランスが悪い、みたいな? いや、そんなまさか。 たしかに江戸時代は男余りだとか聞いたことはありますけど、でもそれはずっと昔のことですし」


と、口にしてはみたけど、やっぱりないな。


たしか生物の授業とか何かで、どの生物も、よっぽど特殊な環境じゃない限りは男女、オスメスの割合はほぼ同じだったはずだしな。


よっぽどのことがなければ。


……そんな話は俺でさえ知っているんだ、いくらなんでもダマされたりはしない。


「……あ、あはは、ありえないですよ。 俺、あんまりニュースとか見ないし、熱心にそういうのを勉強したりもしていないですけど……あるいは、もしかしたら最近の少子化で、今年生まれたこどもの割合が……たとえば男が少なかったりしたり、かもですけど。 でも、それだって精々が数%くらいで」


「1対1000……です」


透き通った声が響く。


響いたように聞こえる。


早咲っていう子の口から。


俺と同じ缶コーヒーを、両手で持っている彼女が。


「……………………え?」


そう返すマヌケな調子の俺の声も、部屋に響くように聞こえる。


口が、……笑った形のままで、けど、どう反応したら良いのか分からない数字を聞かされて、俺はその声の主――野乃早咲へと振り向いた。


そんな早咲さんは、……いつの間にか後ろを、部屋の入り口を振り返っていた。


「あ、いえ、最近また急に変わったから、そろそろ1対1500くらいになりそうなんでしたっけ? ねぇ、ジャーヴィス先生?」


「……そうですねー、少なくとも数年のあいだにはそうなりそうですねー。 私の国ではもーとっくになっていましたがー」


………………………………また人が増えた。


しかも、また女の人だ。


だから、もういちど居心地が悪くなって来ている俺がいる。


俺、母さん以外の女の人や女子と話すと緊張するんだよなぁ……。


……そう勝手に落ち込んでいるところに入って来たのは、外人の先生だ。


たしか、今早咲が言っていたように、ジャーヴィス先生とか。


うちのクラスの担当じゃなかったから残念だってクラスの誰も(男子はもちろん女子も)が落ち込んでいた、美人な……いわゆる金髪美人な人。


もちろん面識なんてないし、廊下で見かけたことがある程度だから、俺だってよくは知らない。


「ハイ! こんばんは、直人サン。 私はローズマリー・ジャーヴィスと言います! 英語と物理化学を教えています! よろしくお願いしますねー!」

「…………………………………………………………………………………………」


………………………………。


……見た目よりもずっとナチュラルな話し方だった。


というか、イントネーションが完璧に日本語だ。


「でー。 さっきまでねー、私が君の遺伝子情報とか調べさせていたのでー、ようやくにお会いできましたね? よろしくお願いしますねー? あ、これからは私が直人さんの健康管理担当にもなりましたー、お仕事いっぱいですよー」


けど微妙に言い回しが変で…………………………そして、やけにフレンドリーだ。


いや、これが外人の距離感なんだろう、英語の読解とかであった気がするし。


で、ジャーヴィス先生は他の人たち……母さんと早咲……野乃さんとひなた……須川さん、だっけ……あとは他には白衣の人たちくらいしか会っていないけど……とは違って、スキップするように近づいて来ては俺の前まで来て、じぃっと見つめてくる。


ものすごく整った顔をした人が、俺を。


香ってきたのは香水なんだろうか、それともシャンプーの匂いなんだろうか。


そんな衝撃が急に来たもんだから思わず顔を背けてしまったけど……そりゃあ人気も出るわけだな、ただでさえ男子どころか女子までの憧れなんだろうし、そんな人が外人特有の距離感で話してくれたら。


見つめられるだけで惚れそうなのは、きっと俺だけじゃないんだろう。


けど、今おかしな言葉が聞こえた気がする。


「……こちらこそ、ジャーヴィス先生。 で、えっと。 今の、は」


「……hmm、その反応からしますと、ちょろい、ではなくちょろんっと聞いていましたように、ほんとうにメモリーを、それも、かなりにいじられちゃってますねー。 徹底的ですねー。 ………………………………。 あ、ハグしてあげましょうか? みなさん、ハグ好きですよねー? 毎朝と下校のときにハグしましょうって言うとぎゅうって来てくれるんですよー。 ……あ、男の子は初めてですけどー?」


「………………………………………………………………いえ、お構いなく」


このお方とふたりきりだったらまだしも、ここには他にもいるんだ、さすがに断らざるを得ない。


……俺の理性は相当だからな、この程度は態度に出さずに流せるんだ。


使う機会がほとんど無い理性だけど。


「かわいそうだけど、いろんな検査機器に入ってもらったり、血をもらったりしましたねー、ごめんなさいねー、痛かったですかー? でもろーほーですっ、体に害のありそうなモノは、とりあえずでは検出できませんでしたし、バイタルも正常でしたからー。 ……あ、ちょーっとやせ気味かもなのはダメですよー、もりもり食べてくださいっ」


「…………とりあえず何もなさそうで、よかったです」

「そうですね。 よかったです、直人さん………………………………ほんとうに」


心持ち近づいてきていたらしい……背が低いからな、気がつかなかった……ひなたさんと、彼女と寄り添うようにしている早咲さんが、ジャーヴィス先生と二言三言交わしている。


「……………………………………ええ、そうですねー。 これからは時間をかけながらカウンセリングと……必要ならヒプノ……催眠療法、でしたかー? ……を使って、地道ーに時間をかけながら洗脳を解いていくしかありませんねー。 …………その過程であまりにもかわいそうな記憶があったなら、中止してこのままを維持するという選択肢もありますねー。 でもそれは私のメイン分野ではありませんし、専門家の人を呼びたいところですー、けどー」


改めて見ると、ジャーヴィス先生って、その、スタイルが……じゃない、今は集中だ。


「……やっぱり、ですか?」


「ですねー。 この話、直人サン……さん、のことをこの学園から漏らしてしまいますとー、絶対に「連れて行かれる」のはまちがいありませんからねー」


………………………………。


連れて、行かれる?


どこへだ?


警察か?


……、いや。


俺だって、バカじゃない。


これだけの人たちが、真剣に……俺について話しているんだ。


母さんまでが、俺を知らないだなんて……冗談でも口にはしないはずのことまで言って。


だからきっと、これは。


「……やるしかないですねー。 大変そうですー」

「大丈夫ですか、ローズ……ジャーヴィス先生?」


「はい――……ここまで来ますとー、たぶんですが。 テロ組織やどこの国の権力……私の国も含めて……などの、お偉いさんとかが――……そですねー、直人さんだけでなく、他の男の子もまとめて「管理」してー。 ……完全に外から閉じ込めていたのか、お薬を使っているのかは分かりませんけどもー。 ヘタをしますと、たくさんたくさん、こどものころからずーっと洗脳しつつ閉じ込めていたーと、そういう考えまで浮かびます。 やですねー」


「……ひどい話ですね、ジャーヴィス先生」

「そですー、けど、私の国でもしょっちゅう起きているようなものですからー」


「…………………………………………………………………………………………」


ほんとう、なんだろうな。


ほんとうにこの人たちは……俺のことを、母さんも含めて知らなくて。


たぶん、……俺の記録とかも、なくて。


それで、「どこかから連れ去られてきた」と、本気で考えていて。


それは、分かってしまう。


分かってしまうんだ。


……だけど、それでも俺は、か細い希望に縋って言うしかない。


分かっているのに、でも、嘘だって言ってほしくて口から出て来てしまう。


………………………………そんなの、物語のキャラクターの情けないセリフだって思っていたのに。


「……あの。 みなさん? これ、ドッキリですよね? 文化祭とかで使ったりするための……で、その、俺のリアクション、どっかから撮っているだけ、ですよね? ほら、よくテレビでやってるみたいな? あ、はは………………………………」


と。


現実じゃないはずのことを、現実だと思いたくて。


現実を、現実じゃないって思いたくって。


そう、思いたかったから。




外国語訛りってかわいいですよね。あまりに現実離れした話を聞くと、嘘だと思いたくなる心理でいっぱいの直人くん。助けが来るのは16話あたりです。4話からは1日1話、この時間に投稿です。

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