2話 須川ひなた(仮)と野乃早咲(確定)と……母さん(未確定)
「あ――……ひなたちゃん、いきなりなにかが起きるとパニックになってしまいますものねぇ……。 ……で。 えー、と。 そこの君、ごめんなさいね、いきなり。 ……よろしければ名前とか教えてもらってもいいでしょうか? ああいえ、分かるでしょうか? ……覚えていたとしても言いたくなければ、上か下どちらかでいいんですけど」
「ふぇぇぇん、早咲ちゃぁぁん……」
小さなひなたという女子をあやしつつ、早咲という……胸もかすかにある……ない?
いや、どうなんだろう。
よく分からないままだ……暗いし男の制服着てるしな……とにかく早咲という、男か女か分からない生徒が尋ねてくる。
「…………………………………………………………………………………………」
いや、ひとまず男だと思っておこう。
女顔だけど、それくらいなら学校にも何人かいる感じだし、さして珍しくもない……だろう。
髪の毛が長いっていうのは……ま、まあ、同じ学年にもいた気がするしな。
声も雰囲気も、男と言えば男って感じだし。
……俺、ひなたという子も目の前の男子生徒も、顔さえ見かけたことはないけど……そう思っておいた方が、ひとまずは楽だしな。
初対面なわけだし。
初対面の女子とまともに話すのは、特に寝起きのこの状況ではそれなりにハードル高いし。
「………………………………俺、は。 榎本……直人、だ」
「榎本、………………………………直人、君ですね」
「榎本……あれ、先生の」
「ああ、榎本美奈子……母さんの息子なんだ。 で、俺なんだが……こんなところで寝ていて言うのもどうかと思うんだけど、俺自身がどうやってここに来たのかとか、何も分からないんだ。 夢遊病としか思えないけどな」
「……そう、なんですか」
「そうなんだ……と、思う。 起きたばっかりで何も分からないけど。 それで、悪いんだけど母さん、榎本美奈子先生はいるのか? ああいや、今日当直じゃなかったし、夜家にいたからいないか……なら別の先生を呼んで来て欲しいんだ。 そうすれば、きっと」
キツいおしおきは待っているだろうけど、これ以上他人に迷惑をかけずには済みそうだと思って母さんを……って思ったけど、いないんじゃしょうがない。
とにかく、「榎本美奈子という教師の息子」として他の先生にも顔を知られているんだし、誰でもいい。
説教はとんでもないことになりそうだけど、こうして初対面で泣かせてしまった子と、男か女か分からない同級生……と、一緒にいるよりは、ずっと。
はっきり言って、ものすごく気まずいし。
あ、あとぼんやり考えていたけど早咲って……字は適当に当てただけだし、もしかしたら愛称かもしれないのか、女に見えるからって。
さき、さき……ナントカ崎とか、名字から取った可能性もあるしな。
男子だと思うと気が楽になる……から、「早咲」という奴には、そこまで緊張せずに話しかけることができたらしい俺。
……いや、さっきのひなたさんっていう子は中学生に見えるから楽だったけど、知らない同学年以上の女子とか女性に話しかけるのって、俺からは無理だし。
それができる度胸があれば、彼女は無理でも女友達くらいはできていたはずだもんな、俺。
クラスで話せるのが男子だけという寂しい高校生活は送っていないだろう。
こんなことを考えている時点で悲しいけどな、俺自身が。
「……えっと、これは…………………………。 いえ、でも……それはありえないでしょう。 そんな、まるで……」
「?」
「………………………………失礼しました。 とりあえず、榎本先生の「お知り合い」っていうことでいいんですよね? あなたみたいなお知り合いがいるだなんて、聞いたことはありませんでしたけど……。 で、ですね、先生はもう呼んであるので、少しだけここで……体に痛みとか吐き気とか、そういうものがないのでしたら静かに待っていてくださいますか? そうしたら、たぶんすぐに」
「……おい、野乃! 野乃早咲はいるか!」
「あ、いらっしゃいましたね。 なら、あとは大丈夫でしょうか。 ……私たちが側にいるといけないでしょうし、少し離れていますね」
と、そそくさという感じでひなたという子を抱えつつ離れて行く……早咲、という生徒。
私、……ってことは、やっぱり女子なのか。
作り笑顔だろうけど、俺に向けてきたそのついでに軽く首をかしげているし。
……なら、なんで男の格好なんかを?
………………………………。
待て。
今の会話に、唐突な疑問が浮かぶ。
会話と言うよりも一方的に情報をもらっただけだけど、今はそんなことは関係無い。
………………………………俺が母さんの、「知り合い」?
「聞いたことがない」?
……母さん、俺のこと、母さんの教えている学校に通っている「俺」っていう生徒のことは、さすがに伝えているはずだよな?
いくら俺に厳しいと言っても身内……しかも息子のことを隠す人じゃない。
まぁ、クラスは別だし、聞かれなきゃ言わない程度かもしれないけど……そうだとしたら少し凹むな。
けど、他の先生とか通りがかった知らない生徒から「榎本息子」とかからかわれることあるし、そんなわけはないか。
先生の知り合いの生徒なら、まず間違いなく知っているはずだ……俺という、母さんの息子という存在を。
……なら、なんで。
どうして、だ。
そうして頭がもやに包まれたようになっていると、遠くから砂を駆ける音が近づいてくる。
……ああ、教員室のある校舎からここまでなら、たしかに校庭をそのまま突っ切った方が早いもんな。
面倒くさいものには構わず、最短距離を突っ切る……そんなところは母さんだし、大丈夫だな。
ああ、きっと大丈夫だ。
「………………野乃! 須川! 通報と介抱と警護、すまない! 助かった!」
「いえ、平気です。 ね? ひなた?」
「……………………おでこ、いたいぃ」
野乃早咲と、須川ひなた……か。
後から来た早咲はともかく、ひなたさん、には悪いことしちゃったな。
明日にでもなにかお詫びしないと……いや、させられるか、まちがいなく。
だって、母さんだから。
「………………………………母さん!」
まだずきずきする……なら、ひなたさんはもっと痛いだろうな……頭をさすりつつ立ち上がり、薄明かりの中でようやくに見えてきた母さんの元へ走り出す。
……よかった、母さんだ。
これからの折檻が確定してはいるけど、それでもやっぱり、まったく分からない状態に肉親が、ただひとりの母さんっていう肉親が来るだけで、嬉しくなる。
今だけはマザコンだって噂されてもいいくらいには、安心しているんだ。
「…………………………………………………………………………………………」
「母さん! よかったよ! 俺、どうしてここにいるのか、どうして母さんまで……当直とかじゃなかったはずだよな? いるのか分からないけど! でも、よかった! ……ところで俺はともかく、母さんはどうして」
そうしてついまくし立てた……………………けど。
「――――――――――――ごめんな、少年」
「………………………………………………え?」
すぐそばまでたどり着いて、今年になってようやくに背で1センチ勝てた、女性としては高い方の身長の母さんは………………………………俺が、見たこともないような表情をしていた。
泣きそうな、ひどく傷ついているような、そんな顔をして。
そんな母さんを見て、俺の足は母さんにたどり着く少し前で止まる。
「今の君にこんなことを言うのは酷だろうけど、それでも伝えておかなければ……いけないというものだろう。 これは、必要な会話なんだ。 すまない。 ………………………………私には君と、どこかで会った記憶というものがないんだよ。 いや、そこまで親しく話しかけてきてくれているから、もしかしたらということもあるのかもしれない。 でも、な?」
そんな、母さんらしくない顔をして、声をして……壊れそうなものを抱きしめるように、優しすぎる口調で――――――――――残酷なことを言ってきた。
「ごめん。 ごめんよ、少年。 私には、君の顔も名前も……母親、という関係性も。 その、一切に……覚えがないんだ」
「………………………………え? ……か、母さん、いくら俺が夜中に出歩いたからって言っても、なにもそこまで言うことは」
頭がぐるぐるとする。
母さんから、俺の母親から……母さんらしくない冗談が、出てくるなんて。
冗談。
あるいは、……そうだ、俺を突き放そうと、…………それは、なぜだ?
……いや、やっぱりらしくない。
母さんなら、もっとストレートにゲンコツが先に飛んでくるはずで。
「……それで、彼の名前は? 覚えているもの、あるいは擦り込まれたものは聞き出せたか?」
「はい、それなんですけど……」
いつの間にか泣き止んでいて、俺の顔を見ていて、……哀れむとでも言いたげな目を向けていたひなたさんは、母さんをまっすぐに見上げて。
「…………………………この子は、その。 この子、自身のことを、………………」
俺と、ぴたりと視線が合って。
「「榎本直人」くん――――――――って。 ぐす。 それで、この子の感じ、しかも寝起きでなので、ひぐ、きっと、その通りだと思っているはず……ですっ。 あの、いえ、もしかしたら……うん、きっと、先生の思っているかもな通りで」
「……そう、思い込まされている……みたいですね。 私も、そう思います。 ………………………………そうですよ、そんなことはあるはずが……」
ひなたのあとを引き継いで、これもまたいつの間にか俺のそばに来ていた早咲が……ちょっと何かをつぶやいていたと思ったら見上げてきて、続けた。
「嫌な話ですが……記憶を改竄するついでに、適当……それらにとって、ですけれど……そのような記憶を植え付けて、前のものはすべて消して。 足がつかないようにして、捜査を攪乱して。 ええ、よくある……とまではないでしょうが、男性を拉致して……そのあとに解放するときに、使われることの多い、卑怯な手、です。 ……その対象を、よりにもよって榎本先生に押し付けるなんて」
………………………………。
俺には、さっきから。
この3人の言っていることが、さっばり分からない。
理解できない。
…………いや。
理解はしている。
事情は分からないながらも、はっきりと冴えてしまったこの頭が、理解を拒んでいるんだ。
「……困ったことになった、な」
母さん……が、俺のそばまで来て、恐る恐るという感じで手を伸ばしてきて、軽く肩に手を置いてきた。
「…………………………………………………………………………………………」
「…………………………………………………………………………………………」
「……なるほど。 私に対しては、恐怖心がないようにしていると。 まるで、私を容疑者に仕立て上げようとしているかのようだな。 あるいは体のいい保護者として後始末を押し付けようと」
「はい……です、たぶん。 あ、もしかすると先生と国との関係を使って……とか? です、か?」
「そうかもしれませんね、ひなた」
だから、俺に分かるように説明してくれないと困るんだ。
理解したくない俺の頭でも分かるように。
「……はあ。 記憶から改竄され、洗脳されていたりすると、下手人を見つける以前に彼のメンタルケア自体が厄介なことになりそうだな。 かわいそうにな、そんなことに巻き込まれていて……」
………………………………。
だから、さっきから母さんは、何を言っているんだ。
だって、俺は……母さんと俺は、つい数時間。
そうだ、寝る前、たったの数時間前までは一緒に。
……風呂の掃除が足りないとか怒られて、だけどいつも通りの夜を迎えて、仕事のために先に寝るって、俺よりも先に寝たけど。
でも。
…………………………一緒に、そばにいたじゃないか………………………………。
夜の校庭、わずかな灯りの下での邂逅。2話にして直人くんにとって残酷な事実が突きつけられます。序盤はこのように話が進みます。3話は21時前後の予定です。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます