三段重ねの雪だるま

 夢を見た。

 俺は小学生、千沙は高校生に戻っていて、どこかの田舎で遊んでいる夢だ。

 夏の青空の下、高校の制服を着た千沙と田園地帯を歩いたり、川の浅瀬に入ったりした。

 現実では有り得ない光景だ。

 俺は千沙の制服姿を見たことがないし、俺たちの地元はこんな田舎ではない。どちらかといえば都会っ子だ。

 第一、その制服はどこの学校の制服なんだ。

 敢えて表現するならば、夢の高校といったところか。

 夢の高校。俺がこれまでの人生で聞いてきた言葉の中でトップスリーに入る胡散臭さだ。

 夜に見る夢は、見た人の願望と関連性があるという話も聞く。

 これは俺が望んでいる情景なのだろうか。

 分からない。

 いずれにせよ、ただの夢だ。


「貞治君」


 夢の中の千沙が俺を呼んだ。

 肩まで伸びた髪が風になびいている。

 この点は現実と同じだ。

 学生の頃、あいつは今より髪が長かった。

 だがしかし、千沙は俺を君付けで呼ぶことはなかった。

 所詮は夢か。


 そう思ったところで、視界の映像がテレビ画面のようにプツンと消えた。

 目が覚めると、いつもとは違う部屋にいた。

 目の前に女の子がいる。


「ねぇ、起きて」


 体が揺さぶられている。


「ひっ」


 寝起きの頭では処理できない情報量。思わず変な声を上げてしまった。


「起きた?」


 さっきから声をかけていたのは、親戚の朱莉だった。

 なんで朱莉がいるんだろうと寝ぼけまなこで考えた。俺は昨日までずっと、一人で寝て一人で起きていたのだ。

 だが、すぐに思い出した。昨日俺のアパートが火事になって千沙の家に泊まらせてもらったんだった。

 状況を理解し、上半身を起こした。


「ああ、起きたよ」


「おはよう」


 左を向くと、枕元に朱莉が座っていた。既にパジャマではなくセーターに着替えている。


「おはようさん」


 右側を見てみると、千沙の姿はなく彼女の布団だけが残されていた。


「もうご飯あるよ」


 朱莉はそう言って立ち上がり、開かれた引き違い戸からリビングへ行った。その方向からテレビの音声が聞こえてくる。布団の傍に置いておいたスマホの画面には、今は午前九時であると表示されている。俺もようやく立ち上がり、リビングに行った。


 千沙はキッチンにいた。俺の顔を見ると、昨晩の話などなかったかのようにケロッとした口調で言った。


「おはよう」


「おはよう」


「朝はパンでいい?」


「え? ああ、お構いなく」


 朱莉はコタツに入り、テレビのニュース番組を見ている。俺はとりあえずソファーに座る。千沙がパン屋の袋とコーヒーのカップを俺の前に置いた。俺が寝ぼけている間に日常というものがくるくると回り始めているような感じだ。


 それから千沙は牛乳と二人分のグラスをコタツの上に置いた。朱莉が自分のグラスに牛乳を注ぎ、パン屋の袋の中からピザパンを取り出し、もそもそと食べ始める。俺と千沙もいただきますとか言うこともなく、適当に好きなパンを選んで口に運んでいく。テレビのニュースが次の話題に切り替わる。


「あ、これ貞治の家じゃない!?」


 昨夜、福岡市にあるアパートが全焼したというニュース。映像を見てみると確かに俺の家だった。


「やば、めっちゃ燃えてるじゃん」


 千沙が驚きの声を上げる。朱莉も黙ったまま目を丸くしていた。

 不幸中の幸いだが、犠牲者は出なかったようだ。火災の原因は放火の可能性が高く、消火活動は深夜までかかったらしい。早々に見切りをつけてここに来て正解だった。


「はぁ、貞治が無事で本当に良かった」


 脱力したように息を漏らす千沙。

 映像として改めて見てみると、俺も心臓が縮み上がりそうになった。


「はは、そうだよな……」


「貞治、今日はどうするの?」


「しばらくはどうにもならんだろうから、不動産屋と保険会社には週明けに電話するか。よって、今日はやることなし」


「そう、じゃあ適当にゴロゴロしてて。私はあとでスーパー行くから」


「え、じゃあ俺も行くよ。どうせ暇だし」


「うん、別にいいけど」


「スーパーは近いのか?」


「すぐ近くだよ。いつもは自転車で行くけど、今日は雪積もってるから歩きかなぁ」


 千沙がそう言ったところで、テレビの画面が天気予報に切り替わった。今日の九州地方は概ね曇りらしい。


「そういえば昨日はずっと降ってたな。やっぱり積もったのか」


 そう言いながら、朱莉が何も喋らないことにふと気が付いた。テレビに顔を向けたままピザパンを少しずつ齧っている。


「朱莉も一緒に行くだろ?」


 声をかけてみるが反応はない。

 と思いきや、ワンテンポ遅れてこちらを振り向いた。


「え?」


「朱莉もスーパー行くだろ?」


「私はいいよ。いつも行かないし」


 朱莉は困ったような表情を浮かべた。千沙の方は、不思議そうな目で事の成り行きを見守っている。


「たまにはいいじゃん。ペロペロキャンディ買ってやるから」


「そんな、幼稚園児じゃないんだから……」


 千沙がすかさずツッコミを入れる。

 だが、意外にも朱莉は迷っているかのように首を傾げた。


「ハーゲンダッツのアイスならいいよ」


「お高い女だな。まあ、いいけど……」


 こんな風にして女は男に金を払わせる術を学んでいくのか。朱莉は将来美人になりそうだから引く手あまただろう。成長した朱莉が男におねだりをする様を勝手に想像して、勝手に悲しくなった。


「私はバニラ味ね」


 千沙が平然とした顔で便乗した。だが飯まで食わせてもらっている以上、文句は言えない。一応金銭的な埋め合わせはするつもりでいた。


「お、おう。任せろ……」


 給料日前なので、正直今はちょっと心細い。ハーゲンダッツなんて、俺にとっては高級品だ。


 朝食をとったあとは、各々が休日の時間を気ままに過ごした。朱莉は部屋に引っ込み、千沙はベランダで洗濯物を干した。

 十一時になると千沙が身支度を済ませ、声をかけてきた。


「そろそろ行くよ」


「ああ」


 ソファーから立ち上がってテレビと照明を消し、リビングから出る。

 朱莉は先に玄関で待っていた。暖かそうな赤いコートを身に纏っている。

 玄関扉を開けて一緒に外へ出ると、俺は思わず声を漏らした。


「おおー」


 二階から見える街の景色が、白い雪に包まれていた。

 頭上には雲に覆われた灰色の空。

 あらゆる音が銀世界に吸い込まれ、静謐な雰囲気すら漂っている。


「いやー、寒いねぇ」


 あとから出てきた千沙が玄関の鍵を閉めながら言った。

 たしかに身が縛られるような寒さだ。八百屋の店先から冷蔵庫の野菜室に収監された白菜の気持ちが理解できたような気がした。


 俺たちはアパートから出て、雪の道をザクザクと鳴らしながら歩いた。


「こんなに積もるの久しぶりだね」


 千沙は朗らかに言った。

 朱莉は何も言わなかったが、表情からは楽しそうにしているのが窺い知れる。

 途中で公園の前を通り掛かると、見知らぬ子供たちが雪合戦をしてはしゃいでいるのが見えた。


 千沙の言う通り、目的地には数分歩くだけで着いた。

 どこにでもある普通のスーパーだ。店の前の駐車場では、客の車がまるで色彩豊かなカエルの群れのようにじっとしている。

 暖房の効いた店内に入り、千沙は買い物カゴをカートに入れ先頭を歩き出した。

 すると、朱莉がいきなり俺のコートの袖を引っ張った。


「貞治君、例の物を」


「ハーゲンダッツを危ないブツのように言うな」


 千沙と一旦別れ、アイス売り場へ行った。朱莉は小学生の分際でマカデミアナッツとかいうオシャレな味を選んだ。


 二人でレジに並んでハーゲンダッツを買い、千沙と合流した。

 千沙の買い物が済むと、俺は家まで買い物袋を持ち運ぶ係に任命された。

 ハーゲンダッツが入った小さな袋は朱莉が持ち、俺たちはスーパーを出た。


 帰り道、再び公園の前を歩いているときにふと思いついた。


「なあ、折角雪降ったんだから、俺たちも遊んでこうぜ」


 二人に向かってそう言うと、千沙が目を輝かせた。


「そうだね。朱莉、雪だるま作ろうよ」


「えぇー。寒いから帰る」


 朱莉は口を尖らせる。


「千沙、子供にやらせるには、まず大人がやって見せればいいんだよ」


「いいねー。貞治と雪遊びなんて、なんか昔を思い出すっ」


 年長者である千沙が真っ先に公園の中へ入っていき、雪の玉を転がし始めた。

 俺も両手に持っていた買い物袋をベンチに置き、千沙に続く。

 足元の冷たい雪を両手で掬うような形で転がしていくと、段々大きくなっていった。

 朱莉はベンチにハーゲンダッツの袋を置いてその隣にちょこんと座り、いい歳してはしゃぐ大人たちを眺めている。


 我を忘れて雪玉を転がし続けていたが、やがて千沙が根を上げた。


「重くて、もう無理っ」


 千沙の作った雪玉はめちゃくちゃデカかった。七十センチはありそうだ。あいつがここまで本気でやるとは思わなかった。俺の雪玉はそれより少し小さい。


「じゃあ俺のやつを千沙の玉の上に載せるか」


「わ、分かった」


 千沙が息切れしながら答える。

 俺たちは二つの雪玉を公園の隅の邪魔にならない場所へ移動させた。

 すると朱莉がようやく重い腰を上げ、こちらへやって来た。


「全く二人とも、子供みたいなんだから」


「いいじゃないか。楽しそうだろ? 千沙、これ持ち上げるぞ」


「うんっ」


 俺と千沙は雪玉を挟んで向かい合い、両手で持ち上げた。


「重っ」


 千沙は歯を食いしばるような顔になっていたが、なんとか千沙の雪玉の上に俺の雪玉を載せることができた。

 朱莉の方に目をやると、少しだけそわそわしているのが顔に出ていた。


「ほら、お前も雪玉作って一番上に載せろ」


「それだと三段になっちゃうよ」


「別にいいだろ」


「変だよ。雪だるまは普通二段でしょ」


 そうだ。これは本来お前ら親子が二人だけで完成させるべきものだ。でも今はそれができないから、俺が雪玉一つ分、間に入ってやっているだけなんだ。

 もちろんここでそんなことをはっきりと言うつもりはない。だから、代わりとなる豆知識を教えてやることにした。


「西洋では三段が多数派なんだよ」


「ここ日本だし」


 まだ折れないのか。なかなか強情な娘だ。


「ああ言えばこう言う奴だな。じゃあ、これは雪だるまじゃなくて鏡餅だ。雪で出来た鏡餅。お前はその上に雪の蜜柑を載せろ」


「なんだそれ……」


 朱莉は深いため息をついた。十二月の凍てつく空気が、ため息すらも白く染める。


「やっぱり雪だるまでいいよ」


 そう言って、朱莉は足元にある雪を両手で掬い取って持ち上げた。

 ブラウンの手袋に包まれた手のひらでポンポンと固める。

 雪玉は人の頭くらいの大きさになった。

 俺と千沙はその工程を黙って見守っていた。

 朱莉は最後に、雪玉を俺が作った体の上にそっと載せた。


「はい、これでいい?」


「よし、雪だるまの完成だ」


「結構大きいね。朱莉の背と同じ」


 千沙は両手を腰に当て、達成感に溢れた表情を見せる。


「朱莉、兄弟ができてよかったな」


「嫌だよ、こんな兄弟」


 と言いながら、朱莉は思わず頬を緩めていた。

 俺たちは満足し、雪だるまをそのまま残して家に帰ることにした。

 朱莉が先に歩き出したので、俺は千沙にだけ聞こえるように声をかけた。


「よくあんなに大きい雪玉作ったな」


「朱莉に喜んでほしくて、張り切りすぎちゃった」


「はは」


「朱莉、喜んでくれたかな?」


「ああ。すました顔してるけど、そうじゃないのがバレバレだったよ」


「そっか。良かった」


 千沙は目の前を歩く小さな背中を見つめながら、優しく微笑んだ。俺も思わずふっと息を漏らした。


 ちょっとだけギクシャクした親子と、夫でも恋人でもないただのいとこの俺。

 歳はちょうど十歳ずつ離れている。

 三段重ねの雪だるま作りは、そんな三人の間で何かが芽生えたことを感じさせる時間となった。

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