誰かと一緒に寝るのっていいもんでしょ

 翌日は一歩も外に出ず、家の中でのんびりと過ごした。ゲーム機がないことを除けば、燃やされたアパートに住んでいた頃と大して変わりはない。スマホでネットを見たり、テレビやDVDを見ながら時間を潰した。それでも時間が余ったので千沙の洗い物も手伝った。

 朱莉は何か用がない限り自分の部屋から出てこなかった。千沙もやるべき家事を終えた午後の時間帯には、自分の部屋で昼寝をしていた。シングルマザーだから疲れが溜まっているのだろう。しかし俺は野放し状態だ。信頼されているのか、はたまた興味を持たれていないだけなのか。


 夜は昨日や一昨日と同じように、俺も千沙の部屋で寝床に入った。

 照明を消したあと、俺は千沙に話しかけた。


「なあ」


 真っ暗な部屋の中で横たわりながら、やや抑え気味に声を出す。


「何?」


「来週の土曜はクリスマスイヴだろ?」


「うん」


「何かするのか? 朱莉にプレゼント買ったりとか」


「うーん、どうしよ。欲しいものがあるなら買ってあげるけど」


「なるほどな。ところで、朱莉に千沙のことをママと呼ばせると言ったのは覚えてるか?」


「あ、うん」


「親子で素敵なクリスマスを過ごして朱莉ポイントを稼げば、きっと元通りの仲に戻れるはずだ」


「朱莉ポイントって何だよ……。で、何か作戦でもあるの?」


「まあ聞け。人を喜ばせる基本、それはサプライズだ」


「ん、まあ分かるよ」


「朱莉が欲しいと言ったものは俺が買ってやる。ボーナスだって出るしな。千沙は朱莉が予想だにしないものをプレゼントして喜ばせるんだ」


「はあ」


「イヴの日は俺が朱莉と出掛けて欲しいものを買う。その間、お前はとびっきりのご馳走とサプライズプレゼントを用意して待っててくれ」


「貞治が? あの子と二人で?」


「反抗期なら母親と出掛けるのも抵抗あるだろうしな。その点、俺なら何の問題もない」


「その自信はどこから出てくるんだか……」


 千沙は小さなため息を一つついた。


「サプライズなんて何あげたらいいんだろ。今までは欲しいって言われたものだけ買ってあげてたからなぁ」


「それはお前が朱莉のことを考えて決めろ。でなきゃ意味がない」


「うーん。クリスマスに一回怒らせちゃったことがあるんだよねぇ」


「どうしたんだ?」


「サンタクロースが親だって知ったとき怒っちゃって……」


「そりゃあ、騙してたわけだからな。別に怒ってもいいと思うぞ」


「そんなのしょうがないじゃん。どこの家でもやってるんだし」


「どうやってバレたんだ?」


「あの子が小三のとき、枕元にプレゼントを置こうとしたら、カッと目を見開いた。心臓が止まるかと思った……」


「ホラー映画かよ」


「ふふっ」


 夜風で鳴る鈴のように、千沙の笑い声が微かに響く。その声には昔を懐かしむようなニュアンスが含まれている気がした。


「そういえば、クリスマスツリーは飾らないのか?」


「もうそんな歳でもないでしょ」


「そうか」


 家のクリスマスツリーは何歳の頃まで飾ってもらっていただろうか。霞んだ記憶の中から掘り起こそうと試みるが、全く思い出せない。


「……クリスマスプレゼントは考えておくね。貞治の方こそ、イヴの日にちゃんと誘えるの?」


「任せとけ」


「うん、貞治なら大丈夫だよね……」


 千沙の返答が、段々とまどろみを帯びてきた。


「もう寝るか」


「そうだね」


 俺たちは話すことをやめた。聞こえるのは静寂だけだ。

 そのまま瞼を閉じないでいると、夜目が利いてきた。千沙が顔をこちらに向けていた。


「ねぇ、貞治」


「なんだ?」


「別に恋人じゃなくても、エロいことしなくても、こうして誰かと一緒に寝るのっていいもんでしょ?」


 そうかもしれない。長い間、忘れていた感覚だ。


「……悪くはないよ」


「うん……。それじゃあ、おやすみなさい」


「おやすみ」


 やがて千沙の寝息が聞こえてきて、俺もいつの間にか眠りの中へと落ちていった。



 月曜日の朝、俺を目覚めさせたのはスマホのアラーム機能だった。上半身を起こし、自分は今どこにいるのだろうと周囲を見回す。数秒後、ここは千沙の部屋だということを思い出し、ようやくスマホのアラームを止めた。この部屋で目覚めるのは三度目だが、まだ慣れない。


 千沙がカーテンを開ける。窓の外にはくすんだ色の空と雲が見える。寝ぼけまなこでリビングへ行くと、朱莉も既に起きていた。朝食のパンを出し、二人でテレビを見ながらかじる。画面に映っている中年男性が、今世の中で起こっている様々な出来事について喋っている。その内容について朱莉と話そうとしたが「うん」としか答えてくれない。


 俺の会社は千沙の職場や朱莉の学校より遠いから最初に出発することになる。

 食事が済むと、スーツとコートに着替え先にリビングを出ようとした。


「じゃあ、会社行ってくる」


「いってらっしゃい」


 千沙が微笑みながら返事をしてくれた。くすぐったいというか、なんか変な感じだ。照れくさくて「いってきます」とは言えなかった。


 寒空の下を歩きながら、せわしない朝の風景を眺める。出勤時間のせいだろうか、一昨日より歩行者の数が多い。そして自分もそれらの一部になっているのだと思うと、俺も大人なのだと改めて実感させられる。まさか千沙の家から出勤することになるなんて子供の頃は夢にも思わなかったけど。


 俺は短大を卒業したあと、敬愛する飲料水のメーカーに就職した。地元は埼玉だが、訳あって今は福岡で営業職の仕事をしている。会社は千沙の家の最寄り駅から地下鉄で三十分ほどかかる場所にある。


 その日、会社の上司に今の自分の状況を報告した。自宅のアパートが火事で全焼したこと、近くの親戚の家に泊まらせてもらっていること、仕事には支障をきたさないということ。上司は親身になって話を聞き、困ったことがあったら何でも相談してと言ってくれた。俺は何も問題ないということを伝えた。俺には千沙がいるから、多分大丈夫だと思う。


 昼休みの時間、アパートを管理している不動産会社に電話をかけてみた。賃貸借契約は解約となると言われたので、手続きの方法を教えてもらった。続いて保険会社にも電話をする。火災保険の申告に必要な書類一式を送るが、契約書類も焼かれてしまっている場合は通常より審査に時間がかかると言われた。金がすぐに貰えないのは残念だが予想通りの展開だ。俺は千沙の家の住所を伝えてから通話を切り、自分の業務に戻った。外回りをするついでに郵便局へ行き、旧自宅宛ての郵便を千沙の家に転送する手続きもしておいた。


 仕事から帰り千沙の家で晩ご飯を食べるとき、朱莉にクリスマスの件を話すことにした。


「朱莉」


「何?」


 朱莉は千沙が作ったカレーライスをゆっくりと味わうように食べている。


「今年のクリスマスイヴは土曜日だろ? 俺と買い物でも行かないか?」


「貞治君と?」


 朱莉は首を傾げた。


「ああ。この家には世話になってるから、今年は俺がプレゼント買いに行ってやるよ」


「うん……。いいけど」


 普通ならここで「ママは来ないの?」とでも言いそうなもんだが、朱莉の口からその言葉は出てこなかった。千沙の顔を一瞥すると、ちょっとだけ寂しそうな顔をしていた。


「じゃあ決まりだな。何か欲しいものとかあるのか?」


「ええと……」


 朱莉はスプーンを持つ手を止め、少しの間考えた。


「じゃあ、時計」


「時計? 目覚まし時計か?」


「違うよ、腕時計に決まってるでしょ」


 決まってるでしょ、じゃねえよ。クリスマスに腕時計をねだるなんて、OLか貴様は。まさか高級ブランド品とは言わないだろうな。

 さっきから黙って話を聞いていた千沙がケラケラと笑い出した。


「ははは、いいじゃん。貞治に食費分の時計買ってもらいなよ。高級ブランド品とか」


「まだそこまで食ってねえよ」


「貞治君、大丈夫? お金ないの?」


 朱莉が心配そうに眉をひそめた。それを見た千沙がまた腹を抱えて笑う。俺は朱莉に動揺を悟られぬように言った。


「お前は心配しなくても大丈夫だよ。ま、正直に言えば、プレゼントなんてせいぜいクマさん人形あたりだと思ってたけどさ」


「朱莉はそういうタイプじゃないから……」


 千沙が間髪を入れずに突っ込む。


「うるせえな。とにかくクリスマス、朱莉は俺と買い物に行く。それでいいな?」


「う、うん」


 朱莉は小さく頷いた。心なしか、口元に喜びが浮かんでいるように見えた。千沙も、嬉しそうにしている朱莉を見て嬉しそうに微笑んだ。


 これで俺の今年のクリスマスの予定は決まりだ。

 小さなレディーをエスコートし、腕時計をプレゼントする。

 それだけ聞くと、古い洋画の筋書きみたいだなと思った。

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