第146話 その6
すでにワインボトルは空になっていた。ソムリエに追加を頼もうとすると、
「このあとのメインディッシュに、お薦めの赤がありますが、よろしければそちらを試してみませんか」
(赤か……)
千秋は少し迷った。というのもタンニンかポリフェノールか分からないが、赤ワインを呑みすぎると胃が受け付けなくて、もどしてしまうからだ。
その事を素直にソムリエに告げると、
「では、グラスに少量にしましょう。もし危険を感じたらお伝えください」
そう言うと奥に引っ込み、デキャンタされた赤ワインと、それ用のワイングラスをワゴンに載せて戻ってくる。
続いて、メインディッシュである肉料理がやってきた。
「牛もも肉の低温ローストでございます」
皿の上には、スライスされた牛肉が5枚、扇状に並べられている。付け合わせのニンジンのグラッセとほうれん草のバターソテーが、扇の要のように置かれている。
「きれい……」
「まわりは焼かれていて、中身は火の通った生のようだね。赤身の部分がじつに艶やかだ」
2人は獲物を見つけた肉食動物のような目つきで、最後に残ったナイフとフォークをとる。
その横で、ソムリエが赤ワインをグラスに注ぐ。
差し出されたグラスの中にを見ると、思ったより薄い感じの赤色だったので、千秋は少しほっとする。
「思ったより若そうなワインだね」
護邸は少々不満そうだった。というのも護邸自身はフルボディのものが好みだからだ。
「おためしを」
ソムリエの自信ありげな言葉に、2人は興味半分疑い半分、ワインを口にする。
千秋は、薄味で呑みやすいなとホッとし、護邸は、やはり若いなと不満顔となる。しかし、牛もも肉を口に入れた途端、2人の表情が同じになる。
「えっ」
「なんと」
2人は同時にグラスに残ったワインを口に流し込み、そのまま無言で咀嚼する。
口の中のものを呑み込むと、2人は無言でソムリエを見る。早くワインを注いでくれと目が訴える。
ソムリエは、もちろんですとも、とデキャンタの赤ワインを注いでグラスを戻す。
千秋は、すぐに牛もも肉を口に入れて、ワインを呑む。口の中いっぱいの幸せに、食べながら悶絶している。
「そうか、しょう油か」
護邸が問いかけるようにソムリエを見るが、無反応である。秘密は秘密かと断念する。
「しょう油ってなんです」
「この牛もも肉の低温ロースト、表面が艶やかだろう。肉が火の通った生状態だからと思ったが違う、ソースというかタレが塗られているんだ、それもしょう油ベースの。それが牛肉の旨味を引き立て、さらに赤ワインが赤身の鉄分を引き立てる、だから合うんだ」
「ええ、しょう油なんですか、赤ワインとしょう油って合うんですか」
「合うから君は悶絶していたんだろう」
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