名前のない、

(ET-ATL)



 まず前置きとして、たぶん知っているかもしれないけど、同じ機体記号なまえの航空機は2機といない。

 私達に割り振られる機体記号は、どの国のどの組織が擁しているとかいういわば個体識別も兼ねているので、自然人のように同名が複数人存在するという状態にはならない。誰かが退役や移籍をするなどして一旦抹消されて空いた機体記号を再び使うことはあるけれど、その場合も「同じ名前の航空機が同時に2機存在する」状態にはならないのだ。


 長くなるけれど、私の話をしようと思う。


 私はボーイング787-8型、ドリームライナーの12号機で、量産機にあたる。思い出せる限り一番古い記憶は、煌々と明かりのついた工場の中、昼とも知れず夜とも知れず、そしていつ終わるとも知れず、人が右往左往していた景色だ。ある人は項垂れ、ある人は疲れ果てて私の燃料タンクに蹲り眠った。みんな恐ろしく急いでいたが、裏腹に進捗は一歩進んで二歩下がるような感じだった。パパのもとへ海を渡る前、日本にいた頃からそうだったのをおぼろげに覚えている。

 そのせいで自分は、私達飛行機の翼は人間で贖われているのが普通だと思っていた。そしてそういうふうに生まれる私達が人命第一に努めるなんてちょっとふしぎなことだなと個人的に思っていたのだけど、飛行機が生まれる時、必ずしも人が死ぬわけではない(量産機なら尚更)らしいことをわりかし最近、運用に入ってから知った。

 私達はまだ飛行機として組み上がらないパーツの頃から、何型機の何号機でどこそこのエアラインに行くみたいなことがあらかじめ全て決まっている。…基本的にはそうだ。私はボーイング787型12号機、全日空行きの機材になる。名前をJA805Aという。そういうふうに傍らの書類には書いてあった。

 やつれた工員が一人、つくりかけの私の主翼をぺたぺたと叩き、「君も日本の空を飛ぶんだね」と誰にともなくぼんやり言った。まだ存在からして不確かな私は、彼には見えていないらしかった。私は、いつか彼やこの国の誰かを乗せて飛ぶんだなあ、早く飛びたいなと思いながら、座ったままうつらうつらと居眠りをはじめた彼の隣で、その作業着の裾をそっと握っていた。



 ドリームリフターに乗りアメリカへと渡ったあと、相変わらずひどく遅れていた私の進捗状況そのものとは別に…いや、実際には何もかも地続きだったのだから別とは言えないのかもしれないのだけど…ともかくなにか不都合なことが起こっているらしい、となんとなく察したのはいつだっただろうか。


 話が前後するけれど、もともと私達ボーイング787の量産機の運用入りは、2008年の北京オリンピックに間に合うはずだった。私達のパパことボーイングにとっても、拡大を続ける中国の航空需要は重要な市場と位置づけられていたし、私達「787」の機種名のナンバリングにも多分にその影響が見られる。そんなわけで製造初期ロットは中国のエアラインに優先配分されており、実は後々私となる「12番めの787」も、本当は海南航空さんとこに行く予定だったという。

 結論から言うと、この通り私達は北京オリンピックには間に合わなかった。間に合わせないといけない用事はもう他にないので中国の各社は受領を後回しにし、空いたぶんの枠はローンチカスタマーのANAさんや、ロイヤル・エア・モロッコ、チリのLATAM航空などに割り振られ、選択式のエンジンを含め製造時の最終的な仕様もそこで決まった。そこまではよかった。

 …たぶん問題の根幹が明らかになったのは、長姉であるところのZA001や試験機の兄姉たちをなすことになる各パーツが世界各地のメーカーから父のところに上がってきてから、そして私たち初期製造の量産機についても、エアラインの求める仕様で発注がかかり製造が始まってしまってからだったのだと思う。あいにく、実際にそれが表面化するまで当の私たちはおろか製造現場の人々にもそれが伝わることはなかったけれど。


 時間がかかりながらも私の胴体がそれぞれ接合されて主翼がつき、いよいよ飛行機らしくなってきて私の機人としての存在もだいぶしっかりした頃、エバレット工場をある法人が訪れた。父に案内されながら煌々と明るい組み立て建屋を見渡しているその姿をひと目見て、私は直感的にその人だと確信したし、実際にそのとおりだった。

「現在は製造と同時進行で改修を進めており、納入は…ああ12号機、ANAさんにご挨拶しなさい」

「はじめまして、お会いできてうれしいです、ANAさん!」

 眉根を寄せながらいかにも難しそうな顔で父の話を聞いていた彼は私の姿を認め、ちょっと驚いたようで、幾分ぎこちなく笑みを浮かべた。

「初めまして。君が12号機か…、私は全日空」

 私が差し出した手をとるのに少し躊躇いがあったように思ったのは、あとから思えば気のせいではなかったのだろう。彼の手は大きくて、少しひんやりとしていた。パパの手よりは少し小さかったけれど、日本の工場で私の翼にふれていた人々の手ともちょっと似てる気がするなとなんとなく思ったのを覚えている。

 彼もまたローンチカスタマーとして787という機種の誕生を決定づけ、また私の旅客機としての心臓を含めた仕様を選択した、いわば親の一人とも言える存在だった。いずれ部下として彼のもとで働くためばかりでなく、初めて会った彼に特別の親愛を感じたのは、きっと飛行機としての私の意識に最初から織り込み済みだったことに違いない。なにも彼から人一倍の寵愛を受けたかったわけではなくて、ただ私は、彼の選択した50機のうちの一員であることが、私が飛ぶことがエアラインとしての彼を助け強くするだろうことがなにより誇らしかった。

 そのとき彼と交わした言葉は決して多くはなかったが、「787には期待しています」と父に語る彼の横顔をよく覚えている。


 そこからまたしばらく日が過ぎた。私は少なくともガワの方はすっかり出来上がって外に移動され、ANAさんのところの塗装に身を包んだ状態で日がな一日空を眺めて過ごしていたが、心配なことがあった。

 いつまでたっても機体にエンジンが装着される気配がないのだ。12号機の私から数えて更に下に10機ほど、上にも何機かそういう787がいて、機体の窓にはビニールの覆いがかけられ、エンジンの代わりに大きな錘をパイロンにぶら下げられたまま、あるものは中途半端なエアライン塗装、あるものは真っ白な塗装で組み立て建屋からでてきては、みんな外で困惑していた。父は「前に言った改修にまだ時間がかかる、後続生産分よりあとの順番になってもいいから受領してもらえないかと掛け合っている」と俯きながら話した。ANAさんのもとに行けるのは、一体いつになるのだろう。


 ある晩のことだ。私達量産機よりも先に生まれていた飛行試験機の兄が、私達のところに来た。5号機なので「ZA005」と呼ばれていた彼は、思いつめたような顔でしばらく押し黙っていたが、一言「ごめん」と絞り出すように口に出すなり、泣き崩れた。実際のところ彼も私達も今よりずっと幼くはあったのだけれど、座り込んで頭を掻き毟るように慟哭する兄の様子は、ただならぬことがあったのだと察するには十分だった。

 しゃくりあげながら、ぐしゃぐしゃの顔のまま彼は数枚の書類を私に差し出した。父の机からひったくってきたというそれは、彼が握りしめていたせいでひどくシワだらけになっていたものの読むことは十分できる。初号機の姉から現在建造が進んでいる機体までが製造番号順に並んだ、私達ボーイング787型機のプロダクションリストだ。

 初号機の姉から下に20機強、その全ての機体の発注者欄とレジ番、受領時期などにどこかしら、多くは複数箇所に打ち消し線が引かれ、乱れた赤字で修正が入っている。

 受領時期延期、受領時期未定、受領エアライン未定、レジ番未定……。私、12号機の欄も、受領するANAさんの名前とJA805Aのレジ番が消され、続いて受領未定の文字が並んでいた。


 兄が拳を握りしめたまま、言葉をつまらせながらとぎれとぎれに話すことには、「自分たち787型試験機は重量超過で商用運用に供するにはスペックに大きな問題がある」「しかし、ただでさえ開発スケジュールが大幅に遅れていた中で父は生産を急ぎ、量産機製造までに設計変更が間に合わなかった」「この問題を自分たち試験機だけで終わらすことができなくて本当にごめん」……。

 それが試験機の兄のせいではないことは火を見るより明らかだったが、いざ明らかになったそれは、新型旅客機として生まれてきた私達の生まれ持ったアイデンティティみたいなものが脆くも崩れてしまったことを意味していた。


「……005兄さん。それじゃあ僕らは、ANAさんやエア・モロッコさん達に迎えてもらえる可能性は、もうないの? 改修をしても?」

 私のひとつ上、11号機の兄がおずおずと訊く。005兄さんは下を向いたまま、静かに一つ頷いた。

「今からできる改修は、あくまでも安全性や最大離陸重量を向上させるものだけだ。できることは限られてる。重量超過の問題はいわば俺らのからだの根幹からくるものだから、もう生まれてしまった飛行機のそれをあとから改善するってのは、ほとんど作り直しか、それさえ上回るような時間と金がかかるんだ。それで得られるのがやっと人並みそこらのスペックだとして、会社が出来損ないの飛行機にそこまでのことをすることはきっとない」

 たとえばハンバーグを作るときに、なにか材料の配分や、使う材料を間違えてしまったとする。出来上がってしまったまずいハンバーグを別な料理にアレンジしたりせず「ハンバーグであること自体は変えずに材料を一部差し替えておいしいハンバーグにする」ことは、技術の粋を結集してすごい時間をかければすればできなくもないのかもしれないけど、普通はそこまでせず新しくおいしいハンバーグを作ると思う。

 私達みたいな工業製品でも、そういうことが起こる。今ある完成品を直すより、新しく作ってしまったほうが早いし安い、なんてことが。こんなふうに。


「あーあ、まだ飛んだこともないのに、宙に浮いちゃったんだねえ、私達」

力なく笑って、22号機が肩を落とした。

「一応、お前ら量産機のスペックは俺たち試験機よりはだいぶマシだ。時間をかければきっと、お前らのことを迎えてくれる会社が現れるって信じてる」

 祈るように005兄さんは言って、私達を元気づけようとしてか、憔悴しきった顔を歪め微笑もうとした。あのとき既に、兄自身の性能ではエアラインでの運用は絶望的なことがきっとわかっていたのだろうと、後になってから気づいた。


 その年の9月には、ANAさんのもとに初めて787型機が迎えられた。初号機から数えて約20機、その中に彼が受領するはずだった機体は私含め11機いたが、このうち彼が実際に迎えたのは3機だった。その中に選ばれた8号機の華やかな初受領式典のあとの、そこに同席していたZA002兄さんの顔は忘れることができない。彼もまた青い制服を纏いながら、日本の空でお客さんを迎えることはついになかった。



 彼女、31号機に出会ったのは、2011年も終盤に入った頃だった。相変わらず私はエンジンを付けられないままエバレット工場敷地の片隅にほったらかされていたが、そこに彼女が唐突に物陰からひょこりと顔をのぞかせたのだった。まだほんの目覚めたてといったあどけない顔立ちで、完成前の機体の例にもれず、纏っているのもエアラインの制服が支給される前の仮の作業服だ。こんな仮置きスペースに生まれて間もない機人が来るのは初めてのことで、迷子だろうかと戸惑いながらも声をかける。

「…君は? 見たところ、塗装もまだみたいだけど、君も787かな?」

「うん! いまかくれんぼしてたの」

 ニコッとした彼女が妹の一人だとわかって、塞いでいた心が少しほどける。

「そっか、ここならパパもそうそう来ないけど、おこられないように程々で戻るんだよ」

 そう言いながら、匿うようにそっと彼女を機内に案内する。実際、もう何週間も父の顔を見ていない。ANAさんは9月の末に8号機をエアラインとしては世界で初めて迎えてからも、エバレット工場には何度か足を運んでいるようだったが、私達のいるところにはついぞ顔を出さなかった。工場の人は時々整備に来てくれていたのだけど、それでも人恋しいと思ってしまうのは「旅客機」の性なのだろうか。

 小さな妹は一緒の787型であることが嬉しかったらしく、はにかみながら、でも元気よく私を「おねえちゃん!」と呼んだ。それから、二人して照れて笑いあった。

「おねえちゃんはいつごろできたの?」

「うーん、ホントはまだできてないんだよねえ」

「そっかー。わたしもまだできてないよ、今しっぽくっつけてるとこ」

 妹は、はやくとびたいなあ、とぶってどんなかんじかなあ…と、いかにも楽しみといった調子で足をぷらぷらさせた。きっとすてきだよと語りかけながら、指先で髪を梳く。今はまだ飛べないけれど、くすぐったそうに首をすくめている彼女は、たぶん私よりも先に青空を駆けることになる。

「ちびちゃんの受領は来年かなあ」

「うん、おくれそうだってパパもゆってた」

「はは、しかたないよねえ」

 すこし不安げに下を向く彼女の肩を、励ますようにぽすぽすと叩いた。

「心配しないで、君ならきっと大丈夫」


 どれくらい二人で遊んだろうか、わずかに射し入る西日が赤らんできたのに気づいて、そろそろ戻る?と声をかけると、もう夕方近くになっていたのに気づいたらしく、妹も素直に頷いた。来てくれてうれしかったと、彼女にお礼を言う。

「これから初飛行に向けて忙しくなるだろうけど、運用入りしたらまた会おうね。よかったら君の名前を教えて」

「わたし、JA805A! おねえちゃんとおそろいだよ!」

「え」


 一瞬、何を言われたのかわからなかった。彼女は私の機体に書かれた「JA805A」の機体記号を、心から嬉しいというような顔で指差していて。同じ名前を持つ機体は二機とないことを、彼女はまだ知らなかったのだ。ああそうか、この子が、この子が私の代わりなんだと、今このときになってやっと気づいて。私がその名前を貰うことはもはやないのだと、改めて眼前に突きつけられて。

 ……でも気の利いたことも、嫌味も、わたしには思いつかなくて。できたのは、話を濁すだけだった。

「……そっか。私はもう少し直さないといけない場所があるから、君よりもデリバリーは遅くなりそうなんだ」


 頭を優しく撫でながら、受領されたらまたこうやって一緒に遊ぼうねと約束を、

約束ではない。それが嘘になることを、私は知っていたのに。

「きっと時間がかかるから、先に行って待っていて。これは早くまた会えるようにのおまじない」

 絡めた小指の柔らかい感触。別れ際、彼女がにっこり笑ったのが眩しくて、胸がどこかキリキリした。君のことが本当に羨ましくて妬ましくて、君なんかいなければと思って、だけど、私の破れた夢の一端。それを君に託すのをどうか許してほしいと、なぜか心の奥で願っていた。

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