第2話 崩れた日常
地下、大勢の人がひしめき合う駅構内よりも奥の方。そこに、俺は居た。
この地下鉄は、まだ非常電源が生きていたのか、小さな明かりが灯っていて、完全な暗闇ではなく薄暗い空間を保っている。電灯の数は決して多いとは言えなかったが、それは、この空間に居る人々の安心材料になっていた。
しかし、非常電源が切れれば、直にここも暗闇に包まれるのは明白だ。
元々、人混みに紛れる事が好きじゃない俺にとって、この空間はストレス以外の何物でもない。それは、俺に限った事じゃないだろうけど。
………我慢の限界、と言う訳ではなかったが、そろそろ外の様子を確認したくなったのも本心だ。
あの天災の後、この都市は一体どうなったのか。警察は、自衛隊は、国は対処に動いているのか。
辛うじてネットが生きている事で、SNSサービスは利用できていたとしても、今ここでスマホを開いて確認するような度胸は、俺には無い。
なら、外に出るしかない。
だが、本当に身の安全を確保したいのなら、この場で救助を待ち続ける事も正解なのだろう。だが、昨夜に感じた恐怖が、絶対に動いてはならない、気づかれてはならないという感覚が……どうしても胸中の不安を拭えずにいた。
今すぐに行動しなければ、何か大変な事態に巻き込まれるのではないか。
そうした理由の分からない予感に突き動かされて、俺は静かに移動を始めた。
・・・
・・・・・
・・・・・・・
薄暗い駅構内。地下鉄の壁に設けられた誘導灯を頼りに、身をよじらせて人の合間を縫うように移動する。
大勢が動かずに座り込むすし詰め状態の駅構内を、たった一人で移動する俺に向けられた視線の多くは疑問に満ちていた。
なぜ。
助けを待っていれば良いのに。
自ら危険に飛び込もうとしているのか。
好奇心に駆られた若者が。
どこに行こうっていうんだ。
不快そうなため息で、わざと俺の行く手を阻もうと意地悪する者もいたが、強引に進む事で事なきを得た。まあ、イラつかせただけで何も起こらなかったのだし、それで良いだろう。
いちいち気にしてられるか。
実際には何分経ったのか分からないが、内心では一時間近く時間が経ったように思えて、俺は漸く人混みを抜けられたという心境だった。
精神的に疲れていたのもあり、少し深呼吸をして気持ちを落ち着けようと一休みする。
明かりがあるとはいえ、この薄暗さだ。十分な視界を確保できていない今、この状況で怪我をするのは得策じゃない。
焦らず慎重に、ゆっくりと時間がかかっても確実に外に出よう。
短い休憩を終わらせて、膝を上げて手探りで壁際に移動する。幸いにも、誘導灯はまだ明かりを保っていたので、そのまま壁伝いに外を目指そうと、俺は地下鉄からの脱出を再開した。
◆◆◆
夜明けを迎えた、昨日の天災の翌日。
身体中の所々に小さな傷を負いながらも、しっかりとした足取りで俺は地下鉄の階段を上っていた。
「はぁ……はぁ……」
移動している時、途中で気づいたのだが……あの地震か何かの災害は想像以上の被害を齎したらしい。駅構内はめちゃくちゃの状態だった。
画面の割れた幾つもの電光掲示板が、天上からぶら下がっていたり、瓦礫に埋もれていた。改札は地面を突き破った土石流に呑み込まれて、通路は障害物しか転がっていない。
もちろん、生きている人の気配など在る筈が無い。道中、見たくもないスプラッターシーンを何度も目にした。
慎重に瓦礫の間を縫うように移動して、いつ瓦礫が崩れやしないかと冷や冷やしたが………それも、もう終わりだ。
眩しい程の光が、暗闇に慣れた目を容赦なく刺す。だが、不思議と不快感はあまり沸いてこなかった。
だって、漸く出口が見えてきて、外に出られるんだ。嬉しくない筈がない。
一段一段、嚙み締めるように昇り切った、その先で。
俺が目にしたのは――――
「………ふざけんなよ」
――――――地下鉄の出口を塞ぐ、一軒家だった。
・・・
・・・・・
・・・・・・・
マジか……。ここまで苦労して出口までやって来たのに、その出口が塞がれているなんて………脱出する事に必死で、出口が塞がれているという、考えが頭に浮かばなかった。
俺のミスだ。あんな大災害があって、出口が塞がれている可能性を考えないなんて、浅はかにも程がある。
……いや、ここはしょうがないと思う事にしよう。気持ちに余裕が無かったせいか、色々と冷静になりれていなかったからな。
言い訳のようにか聞こえないが、納得するしかない。
今はそんな事よりも、この瓦礫――――家をどうにかしないとな。
「窓……は、お?入れそうだな」
幸いにも、ひっくり返った一軒家は地下鉄の出口をそのまま塞いでいる訳では無く、地下鉄の屋根に寄り掛かるように鎮座している。
俺は階段を上り切り、身を屈めて家の中に入れそうな窓を覗き込み、そこらへんに転がっていた小さな瓦礫を拾って、一思いに窓ガラスに向けて振り下ろした。
ガシャン!と、ガラスの砕け散る甲高い音が鳴り響き、割れたガラスの破片の大半が内側へと飛び散る。
「非常事態だ。これも脱出の為」
瓦礫そのものとはいえ、人の家の窓ガラスを割ると、何か悪い事をしている気分になる。何だか強盗にでもなった気分になるのだから、人間はこんな状況でも良心の呵責を感じてしまうのだと思う。
なんやかんやと言っているが、平たく言えば自己防衛だ。これも脱出の為。俺は何も悪い事はしていないのだと、声に出して自分に言い聞かせておく。
「痛っ」
さっき砕け散った破片で、手を切ったらしい。小さな切り傷が、瓦礫を持っていた右手にいくつか刻まれていた。赤い筋がぷくりと浮かび上がる。
………こんな傷でも、化膿とかしたりしないだろうか。コートのポケットをまさぐると、ハンカチが入っていた。
取り敢えず、これで右手を結んでおく。簡易の包帯代わりだ。
「さて、行くか」
恐る恐る、俺は割れ残った窓ガラスの破片で傷を負わないよう、慎重に家の中に入っていく。ガラスの砂利を踏み砕く音が、静寂の家の中で嫌に耳に強く響いた気がした。
骨組みが歪んでいるのか、床が斜めに沿るように盛り上がっている。両側から迫るように歪んだ壁は、まるで中に入った者を圧し潰すような威圧感を感じさせる。
いつ崩れるのか分からない緊張感から、冷や汗が流れ落ちる。ポタポタと、どこからか水滴の落ちる音が聞こえる度に、俺の身体は強張って、自然と歩みを遅くさせる。
「はぁ…はぁ……」
歩くだけ、進むだけの筈なのに。急斜面の岩をロッククライミングしているような気分になり、疲労感が溜まっていく。
いつ出口に辿り着けるのか。そもそも、俺は脱出できるのか?
内心で自問自答を繰り返しながらも、俺は歩みを止めなかった。ここで立ち止まったら、もう歩けないような気がしたから。
狭い通路に身体をねじ込み、無理矢理にでも進もうと身を縮ませる。関節の外し方について、父親から叩き込まれていた甲斐あってか。意外と楽に狭い通路を進む事が出来た。
………なぜ俺が関節の外し方なんぞ知っているのかは、昔、親父に教えられたからとしか言い様が無い。いつか話すかもしれないが、今ここでは割愛しておく。
時に腕を伸ばし、身体を丸めたり、軽い痛みを我慢して雑巾を絞るように全身を捻りながら、俺は出口を目指して行く。身体中に壁や瓦礫と擦れた傷跡が目立ち、滲み出る汗で傷口が染みる。
だが、文字通り汗と血の努力により、漸くこの歪んだ家屋の出口に辿り着く事が出来た。
達成感や感傷に浸りたい気分だったが、それもここを出てからゆっくり浸ればいい。そう思い、俺は足に力を込めて全身を捻り、出口と定めた所へと蹴りを入れる。
「おらぁ!!」
埃で煤けて、蜘蛛の巣状に罅の入ったガラスが嵌め込まれた窓を、歪んだ窓枠ごと蹴破る。若干、ストレス発散の意味も込めて思いっきり蹴ったからか、思いのほか勢いよく飛んで行った。
割れたガラスが外に飛び散り、地面に破片が散らばる。履いている靴は汚れただけで無事だったので、安心して地面へと一歩を踏み出した。
舞い上がった埃を片手で払いながら、俺は外の光景を確認しようと、薄く閉じていた目を見開く。
そして――――――眼前の光景を視界に入れた時、俺はあまりの衝撃に言葉を失い……絶句した。
視界に入って来た光景は、あまりにも現実離れしていて………あまりにも、信じがたい光景だったから。
その光景を一言で言い表すなら、そう…………地獄。
血濡れた亡骸がいくつも転がり、幾つもの瓦礫に埋もれて、植物群に呑み込まれた都市に、かつての大都会たる面影はなく。
まるで映画のワンシーンの如く、廃墟と化したある種、幻想的な都市の成れ果てを目にした俺は――――
「嘘、だろ…………」
硝子の破片が刺さるのも気づかず、その場に膝から崩れ落ちた。
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