第127話 全てが夢のように。−3

「春日…?」


 下を向いている先輩の顔が悲しそうに見えた。多分、母親との話で何かあっただろう…その内容は言わなくても分かりそう。

 廊下のベンチから落ち込んでいる先輩は近づいている俺の気配すら気づかない、その前でしゃがんだ俺は先輩を見上げた。


「どうした?」

「…」

「病室に戻ろう。」


 じっとしている先輩が手を伸ばす。


「ん?」


 俺は思わず手を繋いだ。


「お手?」

「ううん…戻ろう!」

「なんだよー心配した。」

「へえ?なんで?」

「なんか落ち込んでるように見えたから?」

「別に…母親との電話はどーだった?」

「え…心配していたけど、忙しいから仕方ないし…むしろお母さんに大丈夫って言った。」


 笑顔で頭を撫でてくれる先輩が優しく言ってくれた。


「うん。大丈夫、私がずっとついているから心配しなくてもいいよ。」

「へえー本当?」

「うん。疑うの?」

「全然!それと春日学校は?」

「そうね。後でニノさんが迎えにくるって。」

「ならちょっと休んで、まだ眠いだろう?」

「うん…そうする。」


 そして二人は病室に戻った。


 先輩はベッドに横たわってニノさんがくる前まですやすやと寝ていた。寝ている先輩は本当に可愛い、その姿がとても無防備だからたまたま寝ている間に口づけをしたくなる。


「本当に可愛いね…」


 人差し指で先輩のもちもちする頬を軽く刺した。


「うう…」

「ふふっ…」


 しばらく一人で窓の外を眺めていた俺は先の電話内容を思い出した。

 武藤さんと先輩が病室を出た時、俺は母と話をしていた。初めてから母の「ごめん。」が多かった。とある理由で離婚した母は再婚せず一人で北海道に行った。それから一人でずっと遠い北海道から息子を育てて、母に負担をかけたかもしれない。

 けど夢のための高山だから俺は一人でここに残っていた。


「春木、やはり高山にある家を整理して北海道に来ない?」

「なんで?」

「お母さんは心配だよ…いつも忙しいから…見に行く暇もないよ。春木が入院してもお母さんは仕事のせいで…本当にごめん。」

「別に気にしない、むしろ俺のせいで巻き込まれたし。」

「北海道に来てお母さんの後を継いで。」


 どこで聞いた話、先輩の父親と同じことを言ってる。


「それは…困る。俺はまだ…はし…る。」

「そんな体でできる…?ねえ、春木。よく考えてみて…」


 その時、俺は自分の体を見て考えた。正直言えば厳しい状況ってことは変わってない、むしろ今度の事件で前よりもうまく走られないかもしれない。

 だから少し緊張した。母の話に俺は確信を持って答えられるのか…せっかく先輩との記憶が全部戻ってきた時点で北海道かよ。


「…」

「春木?」


 少し考えた俺は確信を持った。


「うん、やはり俺はまだ走りを辞められない、だってお母さんの息子だから必ずできるよ。」


 そう、できる。まだまだ機会がある、そしてあいつを超えるためにはここから出られないんだ。

 だろう、桜木。


「そう…?自信あるね。」

「うん。」

「本当に来ない…?春木にとって高山よりいい場所になるよ?」

「お母さんの気持ちは分かる、だからもう心配をかけない…大丈夫だ。これからまたやり直せばいいんだよ。」

「へえーそれとなく探ってみたけど、春木がそう思うならお母さんも安心。そして…」

「…そして?」

「あの子とどこまで行った?」

「プッ…ケホッ…」


 いきなり変なことを言われて持っていた紙カップを落としてしまった。飲んでいた水を吐き出した衝撃で背中が痛い…


「大丈夫…?」

「それこそ変な話じゃ…ない?」

「え?なんで?二人は付き合ってるでしょう?」

「それはそうだけど…」

「もう…二人が同じ家で寝たことも由利恵から聞いたよ?」

「え?」


 武藤さん…勘弁してください…


「ほぼ…」

「へえーそう?春木もあの子、好き?」

「うん。」

「一緒に寝るなんて青春だよねー」


 俺の思考が固いのか、母がアメリカンスタイルなのかマジで分からない。普通はいやらしいことだと思わないのか…武藤さんもそうだし母も同じだ。

 友達って似てるもんか…

 

「じゃあ、いつ結婚する?」

「どこまで行くんだ!」

「はははっ、冗談だよ。」

「体じゃなくて頭が痛くなる…」

「でも、よかったね。一緒にいられるから。」

「普通に一緒だけど…?」

「フフッ、そのうち分かるよー」

「何が…」


 電話の向こうから職員の急ぐ声が聞こえる。


「ここまでかな…久しぶりに電話ができてよかった。そしてごめん…だらしない母親で…」

「もういいよ。忙しいだろう?携帯は充電しておくから早く行って。」

「うん、また電話するからお大事に。」

「うん。」


 ……


 もう10月か…時間は速いな…

 そして少し後、ニノさんが病室に来た。


「春日、起きてニノさん来たよー」

「うん…」


 先輩の荷物は俺がすでに用意して机の上に置いた。


「いつもありがとう、春木くん。」

「いいえ。」

「じゃ…ハル、バイバイ…明日来るから…」

「うん。」


 一人の時間ができた俺が横たわる時、先輩を連れて行ったニノさんが再び病室に戻ってきた。


「ニノさん…?」

「大事なものを渡さなかったから。」


 机に何かを置いてニノさんが急いで病室を出る。


「あ、春木くんお大事に!」

「はい、ありがとうございます。」


 ニノさんが机に置いて行った大事なものは俺が先輩に渡そうとした指輪だった。現場に落としたと思った指輪をニノさんが預かってくれたのか、それを見てほっとした。指輪をなくすなんて…すごく恥ずかしいけど、まぁーこれでいいんだ。


 指輪ケースを触りながら変な違和感を覚える。


「なんか…ケースが綺麗に見えるけど…」


 気のせいか…中身は同じだけどケースだけがちょっと違う気がした。

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