第122話 現実。−2

 止まらない涙を流しながら俺を見つめている先輩は目を離さなかった。先輩の涙を拭いていた手がいつの間にかびしょ濡れになって、拭いても拭いても先輩の顔がびしょびしょになるだけだった。


「もう泣かないで…うん?」

「うん…」


 泣き染み付いた頬を触る時、いきなり感じられた肩の痛みに手を落とした。


「ハル…?」

「肩が痛い…」

「大丈夫…?お医者さんが弾丸は取り出したけど…完全に治るまで痛みは残るって言ってたよ。」


 そうだ…俺は銃に撃たれたからここに横たわっているんだ。気絶した後、現実から離れた俺は白い空間で失った記憶の欠片を集めた。そしてその中から漂っている間に手術が終わったとしたらずいぶん時間が経ったはずだ。


 なら今日は何日だ…?


「春日…今日は何日?」

「今日…」


 少しためらう先輩はなんか言いづらい顔をしていた。


「うん?春日?」

「うん!いや、なんでもない…今日は…」

「うん。」

「今日は…10月2日…」

「えっ?」


 10月?今10月って言った。確かに俺は6月に先輩とデートしたから、事故があっておよそ4ヶ月間気絶していたことになる。最後の鏡に映った季節は現実の季節だったのか、もう秋じゃん…

 あの空間から過ごした短い時間は現実の4ヶ月分だったことに驚いた。

 

 先輩の話を聞いて頭が真っ白になった俺はぼーっとして壁を見つめた。そして隣の先輩が俺の手を握ってくれた。先輩は優しい人だから何を考えていたのか、なんとなく分かりそう。もう心配をかけたくない。


 まぁーいいだろう。生きているだけでもう十分だ…


「…」


 あの夜、先輩は黙々と俺を見守ってくれた。隣の先輩はいつの間にか寝落ちて、風邪を引くかもしれないから毛布をかけてあげた。窓の外を眺めているとなんか懐かしくなる、多分先輩と一緒に病室にいた思い出があったからか…あの時を思い出してしまう。


「前にもこうやってくれたよね…春日。」


 ベッドに横たわった俺はなぜか眠れなかった。撃たれた背中は痛かったけど体を起こすのはできるみたいだ。痛くて重いけど病室の天井を見るのが嫌だった俺は腕に刺されている注射針を取って病室を出た。


「寒っ…」


 涼しい風が吹いてくる夜に一人で出かけた。先輩と一緒にデートした時は夏だったのにもう10月になってしまった。

 時間はとても速い、でも俺なりには意味ある時間だったかもしれない…今はなぜこうなってしまったのか、その理由を分かっているからだ。


「フウ…この病衣だけじゃ寒いな…」


 前に入院した病院と同じ病院だったことを知っていた俺は少し歩いて先輩が連れて行ってくれたあの場所に向かう。1年ぶりかな、ここは俺にとって意味がある場所だ。記憶が戻ってきた俺はその場所に立って先輩との思い出を思い出した。


「…そう、この記憶だ。」


 思い出せる、あの時の先輩の顔と感触を覚えている。


「君は…」


 一人で感傷に浸る俺に誰か話をかけてきた。


「誰…?」

「あ、紹介が遅かった。武藤英夫むとうひでお、春日の父だ。」

「え?」


 俺に話をかけた人は先輩の父親と称する男だった。スーツを着た武藤さんは外でタバコを吸っていたのか、近づいている武藤さんからタバコの匂いがした。でも武藤英夫ってどっかで聞いたことがあるような…そうでもないような。


「何を考えている?」

「いいえ、なんでもありません。」

「そうか。」


 少しの沈黙が続いた。俺は気晴らしに来ただけなのに…いきなり先輩の父親と会えるなんて知らなかった。武藤さんがこんな時間に病院にいるのはやはり先輩の迎えに来たんだろう。


 話がしたいけど、なんか息苦しい…どんな話をすればいいんだ。


「10月って寒いんですね…」

「そう、寒くなってきたな。」


 なんだこの空気、まじで息苦しい…

 黙々と立っている武藤さんを見て、俺も夜空を見上げてゆっくりと息を吐いた。そして武藤さんから話をかけてきた。


「娘が世話をかけたな。」

「いいえ…」

「加藤くんと言ったか。」

「はい、加藤春木です。」

「そうか…すまない娘のせいで、あの事件に対して謝罪する。」


 武藤さんが俺に向いて頭を下げた。


「いいえ、全然大丈夫です…か、顔を上げてください。」

「これは俺のミスだった…あいつを…大山を逃した俺をせいだ。」

「大丈夫です。もう…犯人は捕まえました。大丈夫です…どうか顔を…あげてください。」

「…」


 大人から頭を下げるなんて…やめてほしい。もう大丈夫だから…こんなことはいいんですよ…

 早めに話の主題を…


「もう時間も遅くなりましたから…」

「あ…そうだな。もう3時か…」

「はい…」


 この方、思い出した。武藤さんは武藤グループの会長だった。いけない会長と思ったらさらに緊張してしまう。


 グループの会長+先輩の父親。


 このまま気絶してもいいかな…ますます緊張感が高まるんだ。


「加藤くん、座らないか。」


 着ていたジャケットを脱いだ俺に渡してくれた。


「涼しいからこれでも着ろ。」

「はい。」


 隣のベンチに座って二人、しばらくためらう武藤さんが口を開けた。


「娘のことをどう思ってる。」


 深まる夜+グループの会長+先輩の父親+「娘のことをどう思ってる。」か…強いて平常心を維持する俺はどうしてもこの場所から逃げたかった。


 先輩…どう答えればいいんですか…?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る