第121話 現実。

 ……


「思い出した…春日…そうだったんだ…」


 俺は鏡が見せてくれた記憶から失ったものを修復した。事故から受けたショックが精神に影響を与えてその後遺症で体も壊れたのが原因だったか…

 俺は無意識の中からあの記憶を引き離そうとした…つらい時から逃げたかった…そうだったかもしれない。


「…春日。」


 鏡がなくなってから泣き沈んで、もう自分の感情すらコントロールできなかった。悲しい声で先輩の名前を呼びかけて会いたいその気持ちだけが心を埋めている、俺は自分の死を認めたくなかった。どうしても生きてまた先輩に会いたかったから…でもそれはただの願い、絶対叶わない夢みたいな話だ。


「はあ…」


 その後、もう鏡は現れなかった。俺は再びこの空間に残されて白い景色を眺めている。そして来るべきの「死」を待つだけ…生まれ変わったらまた…先輩に会えるかな。


「あ…面倒臭い…」

「誰…?」

「もうやつは来ないだろう…お前か春木は…」

「なんで俺の名前を?」

「…」


 白い姿、もう一人の俺かと思ったら全く知らない声の存在だった。鏡の中から現れた白い存在は俺の名前を知っていた。これが俗に言う死神と呼ばれる存在か…足元から盛り上がる黒い煙を見て確信を持った。


「連れて行くのか…」

「そう。」

「一つだけ、お願いしてもいいか?」

「何?」

「現実世界の春日を見せてくれない…?」

「…何を言ってるんだ。」

「ん?」


 白い存在が指で円を描いて、何かに反応した円はあっという間に扉の姿に変わった。でかい扉が現れた時、多い雑音とともにこの空間に罅がいる音がした。


 $^@&#$%$!き。

 は…^#$%@*る…


 何か…人の声が響くような気がした。


「何か…聞こえる。」

「ん?」


 は!%%*#!@…る…


「この声…聞こえないのか?」

「…」


 誰か…誰か俺の名前を呼んでいる。誰だ…この声は…俺は知っている、知っている声だ。懐かしくて忘れられない声、先輩の声だ…先輩の声なんだ。


『ハルー!!!』


「春日!」

「…」

「今の声は、今の声は!先輩の声なんだよ!」

「フン…」


 はっきり聞こえた先輩の声を忘れられない、もうあの声を聞くのもできないなんて俺は死にたくなかった…どうか…


「何してるんだ。早く行こう。」


 目を閉じて悲しみを堪えている俺に声をかける白い存在。


「時間がない…この空間ももう消えて行くから…」

「死にたくない…先輩に会いたいんだ…」

「何?」

「1日だけでもいいから…現実で生きる時間をくれ。」


 くっ…!

 白い存在が右手で自分の胸を掴んだ。


「行くんだ…空間が崩れている…もう時間がない。」

「俺の願いを…うっ…!」


 ますます崩れていく白い空間の中で開いた扉、もう時間がないと思った白い存在は思いっきり春木を扉の奥まで蹴った。


「何…」

「…お前は運がいいやつだ。向こうに行っても俺のことを忘れるな、いつかまた会おう。加藤春木。」

「誰だ…!」


 意識が薄れる…まるで何かに吸い込まれているような感覚だ。


「さよなら…春木…一緒にいてくれてありがとう、約束は守った。」


 吸い込まれる春木を見つめる白い存在は崩れて行く白い空間の中で自分の顔を見せてくれた。


「その…顔は…は…」


 薄れていく意識の中でよく見えなかったけど…確かにあの顔は…


 ……


「はあ…」


 体が痛い…?苦痛が感じられる…?ここは地獄なのか…?俺、誰かに蹴られて暗い何かに吸い込まれた記憶まで思い出せるけど…それからどうなった…?

 思い出せない…


 ピーピーと鳴る機械音、そして少しずつ聴覚が戻ってきた。


「はあ…」


 ここはどこだ…?俺は今どこにいるんだ…目を開けられなかった俺は聴覚に頼ってみた。けどピーピーと鳴る機械音以外に何も聞こえなかった。


「はあ…」


 指先に感覚がある…もしかして、現実に戻ってきたのか…?


 そして目を開けた。


「眩しい…」


 最初に見えたのは白い天井、それは病室の天井だった。腕に刺されている注射針は名も知らないリンゲル液みたいなものと繋がっていた。指先の感覚が完全に戻った俺は誰かに手を握られていることを感じた。


 そこには病室で寝落ちた先輩がいた。

 俺の看病をしてくれたのか、疲れた先輩がすやすやと寝ている。そう、俺は今現実に戻って来たんだ…ここは現実なんだ。本当に現実なのか信じられなかった俺は念のため先輩に声をかけた。


「…春…日。」


 声がうまく出ない…こんなに小さい声で先輩に聞こえるわけないよな。


「…」


 仕方ない、俺は震える手を上げて先輩の頭を撫でてあげた。手のひらで感じられる頭の感触と先輩の温もり…本当に戻ってきたんだ。


「ううん…お母さん…10分後に、10分…」


 先輩の寝言が聞こえる、そして再び俺は先輩に声をかけた。


「春日…遅刻するよ。」

「…ハルの声だ。夢はいいよね。フン…」

「そうだよ。」

「うん…?ハルの声?」


 またこんな先輩を見えるなんて嬉しい…また先輩に会えて嬉しいんだ。


 目を開けた先輩と目を合わせた。

 先輩の目を見た。震える唇と流れる涙を見てどれくらい俺のことを心配していたのか、その気持ちがちゃんと伝わった。


「夢…じゃないよね…?」

「うん…ただいま。春日。」

「ハル…ハル…あた、し、し、んぱい、して私…」


 湧き上がる悲しみのせいで先輩の日本語がよく分からないけどすごく嬉しいってことでいいかな。そしてその顔を見た俺は先輩が数日間眠れなかったことに気づいた。

 目の下にクマが出ていたからだ。


 先輩は一緒にいてくれたんだ…ずっと俺のそばから離れなかった。


「はいはーい。」

「う…会いたかった…会いたかったよ…」

「うん、俺も同じだよ。」


 震える手で止まらない先輩の涙を拭いてあげた。


「ずっと一緒…一緒だよ…離れないから…ずっとだよ!」

「うん…ずっと。」

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