第116話 俺の悪夢。−5

 ただこの人が俺にとって大切な人、それだけの関係ではなかった。前からずっと…ずっと何も思い出せない俺のことを考えてくれたんだ。


 ……


 俺が先輩と会ったのは事故があった後、病院に入院してからだ。初めて優しく話してくれる人ができて、とても嬉しかった気持ちはいまだに心に残っている。自分を「武藤春日」って言う女の子、俺より二つ上の人だった。


「懲らしめるのか神様、なんでこんなことを…」


 鏡によって先輩の人生の一部を頭に入れられた。今度は事故があった後の話を見せてくれるのか…鏡に映った施設には見覚えがある、そこは俺が入院していた病院の個室だった。

 

「ううん…」


 病室から目を覚める先輩は意識がない俺の手を握った。毎日見舞いにくる先輩はいつも夜までいてくれた、特に金曜日になると週末はほとんど家に帰らなかった。そばで勉強をしながら俺の様子を見てくれたり返事もできない俺に話をかけてくれた。


「早く…起きて…」


 たまには頬にチューしてくれてほほ笑むとか、頭を撫でてくれたり心臓の動きをチェックしたりして絶対そばから離れなかった。

 ニノさんもそうだ。病室の外でますます深まる夜を一人で過ごしている、俺はそんなに大した人でもないのに…俺なんか気にしなくてもいいから…


 そして数日が経った。


 やっと目を覚めた俺は重い体を起こして自分の姿を見た。隣で寝ている先輩を見てびっくりした俺は、とりあえず外に行きたくてゆっくりベッドから床を踏んだ。


「あっ…」


 足が痛くて立てることが精一杯だった。起きた時から自分の体が変だと感じていたけど、まさか歩くのもできないほど何かにやられたのか…どうすればいいんだ。

 病室の床を見つめながら震える膝を掴む。

 それでも諦めなかった。俺には走りしかいないから、体が壊れていた現実を認められるわけにはいかないだろう。どうしても歩きたかった俺は震える体に気合いを入れて耐えた。


 そうして踏み出した一歩、予想通り重心を失っていた。


「…」


 信じられない…体ってこんなに重かったのか。やっと病室の扉までついたけど、もうこれ以上に歩くのは無理だった。扉の取っ手に手を伸ばして息を切らす、顔をあげる力も残ってない俺はそのまま床に倒れた。


「何…?音が…?」

「お…母…さん…?」


 倒れる音を外から聞いたニノさんが病室の扉を開けようとしたけど、倒れた俺の体のせいで扉は開けられなかった。


「どうしたのですか!お嬢様!扉が開けない…?」


 寝ていた先輩が騒々しい音から目を覚める、ベッドに春木がいないことを確認して俺の名前を呼んだ。


「春木!」

「お嬢様!」

「ニノさん?」


 振り向いてニノさんの声が聞こえるところで倒れている俺を見つけた。急いで俺を起こした先輩がニノさんが入られるように扉から少し運んでくれた、次いで入るニノさんが俺の様子を見てすぐお医者さんに向かった。


「春木…大丈夫?心配したよ…」

「誰…ですか?」

「ん…?」

「私…知らない?武藤春日だよ?覚えてない?」

「武藤…春日…?」


 その表情をあの時の俺は知らなかった。今この鏡で眺めた先輩の顔は悲しみを笑顔に押し包んで、俺のために自分の気持ちを隠しているように見えた。


「うん…春木が私を助けてくれたの。」

「私があなたを…?」

「うん…」

「すみません…」

「まだ体が治ってないでしょう?ベッドに戻ろう。」

「はい…」


 先輩の気持ちを知らないとは言えない、どれだけ俺が目覚めるのを待っていたのか知っていたから…でもあの時の俺は何も知らないくせに先輩の手を繋いだ。


「手が…すごく震えています。」

「な、何でもないよ!」


 ……


「会いたいよ…春日。」


 消える鏡の前で先輩の名前を呼ぶ、いつまでこうしているんだろう。このままじゃ何もならない…むしろ死んだ方がいいかもしれないほど、意味もない時間だった。


 ……


「春日!今日も来たよー」


 でも先輩の声が聞こえる度、俺は一縷の望みにかけてしまう。だからこの空間に閉じ込められているんだとしても、どれだけ悪口をしても、この鏡から離れるのはできなかった。

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