第32話 人+関係。−3

「体育か…」


 クラスに戻ったらジャージーに着替えた康二と夕が俺を待っていた。


「遅いぞー」

「え…先輩が…あれで…うん、そうあれだ。」


 笑いながら誤魔化した。


「へー」

「まぁーそれはそうとして行こう。」

「うん。」


 体育館に集まった俺たちの前に香先生が来た。

 ジャージーを着た先生の姿から俺の中学の時代を思い出した。走りに専念したあの頃には先生にお世話ばかりかけちゃったな。

 てか、先生なんで俺を睨んでます…


「全員、揃ったな。」

「はい。」

「今日は来月の体育祭のため、100メートル競走をする。」

「えー?」


 女子たちが嫌がる声をあげた。確かにこの年頃の女子は運動なんかあんまり好きじゃないから、ほとんど男子しか興味を持っていなかった。

 その下準備で、俺は先生に呼ばれて運動場に100メートルのラインを引いた。


「期待するぞ、春木。」

「え…走りませんよ。適当にやります。」

「少しでも走った方がいい、お前を見ていると俺がイライラするんだ。」

「ひどい…香ちゃん…」

「誰がちゃんだ!クソが!」


 後ろにいる先生に尻を蹴られた。


「痛っ!」

「うるさい、戻れ!」

「はいはい…」


 そして100メートルの予選が始まった。委員長はゴールラインで時間を記録し、先生は呼び笛を持ってスタートラインから待っていた。


「俺、走り苦手なんだけど…」


 康二が弱気を出した。


「普通に走ればいいじゃん。」

「それは春木だからそんなことが言えるんだよ。」

「え…俺、別に上手くないけどな。」


 足が壊れたから…壊れたから…けれど俺のプライドが折れる発言などは口に出せなかった。

 運動場に並んで待っていた生徒たちに先生は出席番号順にして二人一組で走る予定だと言った。


「へー、夕1番だな。」

「え!俺1番なの?」

「夕、頑張れー」


 呼び笛を鳴らした先生が1番と2番を呼んだ。


「行ってこい、夕。」

「頑張れよー」

「よーし見せてやるぞ。俺のスピード!」


 スタートラインに立った夕、隣の人と姿勢を取る。


「真剣な顔してるなー、夕。」

「自分を乗り越える感覚はいつもドキドキするだろう、男は。」


 体力と体力の戦い、俺は自分の限界を超えるその瞬間が好きで走りを始めたのだ。俺たちが話しているうちに先生が呼び笛を鳴らした。


「お!始まる!」


 二人は一瞬に走り出した。


「走れ…夕。」


 心から言う言葉がつい口に出してしまった。

 全力の走り、夕はそのまま前向きでゴールラインに着いた。


「12秒14。」


 しばらく息を整えた下谷が委員長に話しかけた。


「えー!12秒14って!」

「はいはい、戻りなさいー」

「はい…」


 夕が前髪を上げながら戻ってきた。


「お!夕ーどうだった?」

「12秒14…てっきり11秒台だど思った。」

「速かったぞ、心配しなくてもいいさ。」

「そう、夕。速かった。」


 生徒会室に戻っている途中だった二人は廊下で生徒会の書類を検討していた。4階で外を眺めながら歩いている3年生が春日に話しをかけた。


「へー会長、1年生たち走ってる〜」

「うん?そう?」


 興味なさそうな答えで書類を次のページにめくる春日。そこに吹いてくる風のせいですごく揺れている彼女の髪の毛、油断したら持っている書類まで散らばるとこだった。


「急に風が吹いてびっくりした…」

「あれーあっちにいる1年生、会長の好きな人じゃない?」


 生徒会員は人差し指で加藤がいる方向を指し、横髪を耳にかけた春日は書類をしっかり掴めて答えた。


「え?そうなの?誰?」

「会長がよく連れて行く人。」


 窓から顔を出して生徒会員が指している方向を見つめる。


「わぁー!春木だー!」

「そうか、春木って言うんだ。」


 ほほ笑む春日は窓枠に腕をかけたまま外を眺めていた。


「ね、ちょっと休まない?」

「うん…じゃ少しならいいよ。」

「ちゃんと見て!春木は速いから!」

「そうなの?」

「うん!」

 

 生徒会員は「なぜそんなことを知っている」見たいな顔をして春日と一緒に1年たちの走りを眺めた。


 走りは順番通り進んでいた。


「康二、行ってこい!」

「頑張れー!」


 ついに来た康二の番、スタートラインに立っている康二を見るだけで心から何かが動いていた。それは俺があの道に置いてきた「夢」の欠片だったかもしれない。

 康二も中学の時は速かった。毎回、弱音するのがやつの口癖だけど俺は康二の速さを知っている。


「…」


 準備の姿勢を取る康二から感じられる、本気で走る気だ。


 呼び笛を鳴ってから走る康二、その数秒の間に相手との距離差を完璧に作り出した。たかが100メートルの距離だけど康二の速さで少し慌てた相手は結局、確実な距離差で康二に追いつけられなかった。

 高校生のレベルか…


「11秒17、お疲れさま。」

「委員長、ありがとー」


 ゆっくりストレッチングをしながら俺たちのところに戻ってきた。


「どーだった?」

「11秒17!」

「速っ…」

「康二、11秒17かー惜しいな…もうちょっとで10秒台に入ることだった。」

「まぁー惜しいけど陸上には興味ないからさ、ただただサッカーで鍛えたスピードだ。」

「えー!康二速いな!俺より1秒速い!」

「驚くのはまだだ。夕、春木の方がはるかに速いぞ。」

「え…俺は普通よ…事故でそんなに速く走られないし。」


 そう話しながら俺たち三人は地面に座ってクラスメイトたちの走りを見つめていた。たまに速いやつもあったけどほとんど康二より少し遅い記録だった。


「今の状況じゃ康二がクラスで一番速くない?」


 みんなの記録を見てきた夕が隣に座って言った。


「そうかい?」

「そう、康二を除いて一番速い記録は11秒59だ。」

「へーそうか。」


 康二が一番速いか…残った人数は少ない、そろそろ俺の出番だ。


「春木の出番さ。」

「じゃ行ってくる。」

「頑張れ〜春木。」

「期待してるぞ。」

「何を言ってる…普通に走るつもりだ。」


 そう言ってスタートラインに立ったら後ろで騒ぐ人々の声が聞こえた。暗いやつだから速く走れるわけないとかオタクっぽいやつに負けるんじゃないとか…普通に無視していた。

 康二と夕が俺をかばってやつらの非難に反論した。

 なんか二人にすまない気がした俺みたいやつに気遣ってくれて…


「ああーよかった、相手が加藤だから。」


 適当にやるつもりだった。

 でも、隣のやつが言ったその一言につい苛立ちを感じてしまった。


「うん、よろしくね。俺、走るのが苦手だからお手柔に。」

「そっか。まぁーな。」


 笑顔を見せながらポケットの中に入っていたヘアゴムを出した。前に先輩から髪を縛ってくれた時のものがまだ残っていたそうだ。

 俺にとってもウザい横髪を後ろに流して縛った。少し残った前髪に手を出す方法がなかったからとりあえず邪魔になる横髪を整えた。


「準備はいいか、最後の走りだ。」


 姿勢を取る…あの時のように…

 気にしない…何も…


 そして最後の呼び笛が鳴る。


「…!!」


 手加減はしないよ、お前が俺のスピードについてこられると思ったのか。


 生意気なやつが…!

 出発と同時に相手を抜いた。


「なんだ…これ…」


 相手がどう走っているかは分からない、けれど君が俺を追い抜くのは不可能だ。

 空気を切るような気分、久しぶりだ。一歩一歩が軽くて心地よい…地面を押す時の感覚…足が「速く行け」と言っているように俺を押してくれた。

 

 縮まらない二人の距離。

 春木のスピードを見たクラスメイトたちがその驚きを隠せなかった。


 今、走ったばかりなのにゴールラインがすぐ前にあった。もっと楽しめたかったけど100メートル…これで終わりだ。


 そうだ、これだった。

 俺が置いてきた「夢」ってものだ。体の中から心臓の激しい鼓動が感じられる、この気持ちを…俺は今までずっと忘れていた。


「か、加藤くん…10秒48…」

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