第17話 記憶の欠片。

「う…やはり夜更かしするのはだめか…頭が痛い…」


 昨日の夜は雑念が多くてよく眠れなかった。

 コーヒーのせいもあるけど康二との話で俺は記憶の向こうに置いてきたある少女のことを思い出した。

 思い出って言えばいいか、それは俺にとって初恋と同時に失恋だった。


 …

 確か、中学の頃。

 俺は矢川やかわ中学校で陸上競技をやっていた。高山県は昔から陸上競技で知られた地域だったから俺も友達も他のスポーツより走ることだけを楽しんでいた。

 それは中学1年の時だった、かすかに…心に残っている記憶。

 中学陸上競技大会、矢川中学では二人が出た。

 中学の1年として参加する大会、俺は自分で言える。速いってことを。

 一緒に出る他のクラスの友達も早かったけど、俺は実力とプライドはしっかり守っていた。


 記録、10秒52。


 俺の100m記録だ。

 陸上をやってる時だけはこの世の全てから走り抜ける感じがした、苦しみも雑念も心配も何もかもその100mの中で忘れることができる。

 初めては予選とかで出会ったかもしれない、双子コーデをした女の子二人が陸上競技を見に来た。

 見た目で綺麗な双子だと思った俺はいつの間にか二人に気を取られていた。


「陸上競技なんか見て楽しいかな…」


 一言呟いた。

 俺は出発前に腕を大きく振って応援しているあの子の姿を見た。誰の応援をするのか分からない、でもあの子と目が合った気がした…

 少し気になるけど、どうせ俺とは関係ない人だから予選に集中した。


 そして聞こえる出発の銃声。

 みんなが一斉に走り出す、俺も走った。その結果、予想通り予選は軽々通過した。


「おい!春木、まじめに走れ!」


 終わった後は今井先生に叱られた…


「いや…先生あの…」

「0.02!遅い!」

「え…それぐらいは勘弁してください。先生…」

「今度だけよ、早く休め。」


 0.02で怒るとは思わなかった…厳しいな今井先生。

 緊張して疲れた俺は友達の順番を待つために大きい桜木の前に座った。先生からもらったイオン飲料を飲んで息を整える。

 あの時、誰か俺に話をかけて来た。


「速いね!」

「ん…?」


 この子は…確かにさっきの…


「速いよ!」

「あ…りがとう…」


 ぎこちない、俺はちゃんと話しているのか自分の言葉を理解できないくらいに慌てていた。

 

 女の子は自分のポケットから何かを出した。


「これあげる。」

「これは…?」

「お守り!春木、すごく速いから怪我するかも知れないよ、怪我しないようにこのお守りが春木をちゃんと守るからね。」

「お守り…」


 …あの子はなぜか俺の名前を知っていた。理由を聞こうとしたら連れがあの子を呼んでいた。

 あまりにも遠い場所から呼んで俺に聞こえたのは「ムト…」くらいだった。

 

「もう行く時間だよね。じゃ!次の大会も頑張ってね!応援するから!」

「うん!ありがとう…」

「いつかまた会えたらいいね!春木…バイバイー」


 そう言ってあの子は自分を呼ぶ連れのところに戻った。その時、突然吹いてくる風が桜木を大きく揺らした。あの子が気になった俺はもらったお守りを握って振り向いた。

 あの子は舞い散る桜の中から静かに消え去った。


 その後、中学3年になる前まであの子は来なかった…。そして今、事故でもう走ることも出来ないから失恋確定だ。

 すすり泣くあの日のことまた覚えている…

 また会えたらあの子に「好き」って言いたかった…応援してくれて…お守りをくれて「ありがとう」って言いたかった。

 走ることだけやってきた俺に初めての感情だったから今でもかすかに残っている。

 

「…だから苦手なんだ。人と関わるのが。」


 閉じた目から涙がほおを伝う…そして居間を照らす日差しが朝が告げる。


「春木…泣いてるの?」

「なんでもないです…」


 言えないな…これは…

 先輩が傍から手で俺の涙を拭いてくれた。

 

「先輩…」

「うん。」

「なぜ、隣に…?」

「ここで寝たよ…?」

「部屋で寝た方がいいですよ?」

「しら〜ないよ〜ここがいいよ〜」


 さて、学校に行かないと…

 寝床から起きた俺はこのクソ朝に向いて大きくあくびをした。朝ご飯を作ろう…


「先輩、朝ご飯を作りますから先に洗ってください。」


 と言って、先輩を見た。


「うん。」


 俺の隣で寝ていた先輩はまだ下着姿をしていた。


「あああああ!ちょっと先輩、服を着てください!」

「忘れた…」

「恥ずかしくないですか…?」

「うん〜春木ならいいよ…」


 立ち上がって俺の前に近づく先輩が急にハグをした。

 朝から下着姿でハグをする先輩のボディーラインがしっかり見えた。どこに手を…置けば…


「こうするのが一番気持ちいい…」


 考えすぎて体が固まる。俺は立ったままハグされていた。


「ハグしない…?私だけしてるじゃん…」

「い、いや…あ、あの…」

「何している…早く抱きしめてよ…」

 

 朝から何をしているかな俺たち…けれど俺は先輩を抱きしめた。恥ずかしくて死にたいけど、とにかくする…

 でもやっぱり恥ずかしい…上から見られる先輩の肌と下着姿のせいで顔が赤くなる。


「へぇー。すご〜くドキドキしてるね!春木。」


 先輩の頭が俺の胸にくっついてる。心臓の音を聞いてるらしい…

 いつまでこうしてるつもりですか…16歳の男が年上の女性を抱きしめるなんて…普通はないだろう。


「先輩…もうこれでいいんじゃないですか。」

「うん……もっと手で私の肌を触ってもいいよ…春木に触れるのが好きよ…」


 小さい声で囁く、先輩。昨日酒でも飲んだんですか…


「甘えすぎです…先輩は…」


 そう言ってゆっくり先輩の背中を手のひらで撫でる。どこを撫でても先輩の肌しか感じられない…半裸だから仕方ないか。


「アッ…ハァ…気持ちいいよ、春木。ね…年上の先輩がこんなに甘えるとドキドキするよね〜?」

「知りません…」

「アッ…ウン…」


 手で触ると少しずつ震える先輩の体と俺を見上げた時の赤い顔…堪らない先輩の欲が溢れていた。

 俺に触れた感触に我慢できず、先輩の喘ぎ声が耳元からずっと聞こえている。


「ア…」

「声がエロいですよ…先輩。」

「私、やはり春木が好きかも…」


 先輩は人差し指で俺の背中を触っていた。


「なら先輩…服でも着てください。お願いします…」

「いいじゃん〜下着は着てるよ…」

「…まったく。」


 女は苦手…だけど武藤先輩なら…仕方ないから反抗は出来ない。

 俺は先輩の姿からあの子を思い出した。心の底に刻んでいる思い出がまた浮かび上がろうとしていた。

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