と或る物書きの糸電話

碧崎スミレ

と或る物書きの糸電話


 わたしはよく、庭の木の枝で風に揺れる糸電話を横目に死体安置所へ出かける。作家であり探偵であるわたしにとって、安置所に特に用事が無くとも入場することは容易い。先刻「わたしは作家である」と記したが、実際は探偵としての仕事のほうが隠し事より余程多いが‥作家だと言えば作家なのだ。飽く迄もわたしの考えではあるが。

 4年前の夏からだっただろうか、わたしが此処へ足を運ぶようになったのは。

 そういえばあの人も此処を訪れたが、あの人が帰りたいと言った故、連れて帰ったのを思い出す…が、わたしは思い出を語りたいわけではない。はて、何がしたかったのだったか‥嗚呼、思い出した。

 わたしが此処、死体安置所に訪れるとき、此処いる人たちは皆、目が死んだ魚のようである。何故だ?わたしにはわからないが、理由を当人たちに問うような無礼はしない。それに、時々、涙を溢れされている人も見かける。何をそんなに悲しんでいるのだろうか。

 ところで、ドッペルゲンガーというものは、一部のオカルト好き以外には恐れられているようだが、此処では沢山それを見ることができる。台の上で寝そべっている者と、其れを見て悲しむ人々の傍らに、寝そべっている者と寸分違わぬ者が様々な表情をしている。と或る者は必死に口を動かして何かを伝えようとし、と或る者は泣きそうな程苦しそうな悲しそうな何にも表現し難い表情を。君たちの愛おしい人は直ぐ側にいるのに、何故触れ合わない?言葉を通わせない?人々にはドッペルゲンガーの片割れが見えていないようではないか。

 その日は一人のドッペルゲンガーの片割れがわたしに話しかけてきた。「君の想い人の様子はどうだい?」と言っている。あの人の友人だろうか。言われてみれば何処かで会ったことのあるような気がしなくもない。

「あの人はわたしの家の庭にある木の上で過ごしています。『ずっと夢だった“ツリーハウスで暮らす”ができて嬉しい』といつも枝から垂らした糸電話で教えてくれています」

わたしはこの場に似つかわしくない程明るい声で言葉を返した。

 わたしが此処へ足を運ぶようになったのは確か、あの人がツリーハウスで暮らすようになって少ししてからだった気がする。糸電話で話すようになったのも同じ頃で、周囲の人々が冷たくなったのもあの夏から。わたしが声を掛けても無視、雨上がりの水溜りの中に立って道行く人に水を掛けてもわたしを見ないまま驚き、そして怯えられた。どうして?



 冬の足音が聞こえ始めた、少しだけ寒くて寂しい日。今日もわたしは死体安置所へ行き、人々とドッペルゲンガーを観察して帰ってくると、庭の木の下で物語を綴っていた。ほら、わたし、作家だから。今回の作品は遠距離恋愛をしている恋人たちのお話。

 その2人はとても、とても離れていて会いたくても会えない。それでも繋がっていたい2人は蜘蛛の糸の両端に杯を結んでは夜な夜な言葉を交換していたのである。地獄では蜘蛛の糸は救いだが、地上に残された片割れでは死んでしまった想い人を引き上げることは愚か、堕ちてしまう。それでは元も子もないという堕ちた片割れの説得によって2人の想い人たちは救いの糸で声をつないでいた。しかし或る日、堕ちた片割れが地上と繋がっていることを他の堕ちた人々に見つかってしまう。我先にと糸を登ろうとする他の堕ちた人々を見た堕ちた片割れは想い人との唯一の繋がりを切ってしまい、それを嘆いた地上の片割れは自ら想い人の後を追って堕ちてしまう という美しくも儚い、何処にでもあるようなシナリオ。

それをあの人に糸電話から読み聞かせるわたし。それはまるで、わたしが先刻まで綴っていた物語のようにも思えた。



 語り終えたわたしは小さな違和感に気が付いた。降っているものが可笑しい。今は秋の終わりで、今日は一段と寒くて、落ち葉に混じって雪が少しだけ降っていた、筈。

 目の前を舞い散っているのは薄紅色の桜の花弁。見上げれば満開の桜。月の見えない夜にも白く見える程咲き誇る花々が輝いている。わたしがあの人を死体安置所から連れ帰った日も桜が満開で、明日には葉が混じってしまうね と話していた。そして次の日にはあの人は上に登ったのだったね。あなたはもう生きていなかった。

 4年前、夏になってわたしはあなたに会いたくて木に登ったのだけれど、この木は随分と高くてわたしには登りきれなかった。そこで思いついたわたしは、枝に糸を結んで木の下からでもあなたと話ができるように糸電話をつくった。でもそのとき、足を滑らせたわたしは木の高いところから落下した。嗚呼、全て認めるよ。



 わたしは、本当は分かっていたんだ。もう君が生きていないことも、わたしが死んでいることも。でもお互い命は尽きているのに何故会えない?わたしはこんなにも君を想っているのに?この糸電話が風に揺れるのが見える度に君を想い、一時も君のことを考えないときは無かったのに?何故だ?何故だ!?

 君に会えないのはわたしがまだ生きているからだと思い込みたかったんだ。君の死体を

安置所から持ち出したときからわたしは目を背けて、真実を捻じ曲げてまで認めたくなかったんだ。これでは探偵としても失格だね。

 この糸電話の糸をあの物語のようには切らず、わたしが登りきれば君にまた逢えるかい?

 わたしは君が大好きだよ。君の表情、仕草、声、わたしを見つめる大きな瞳、咳唾珠を成すように君が紡ぐ物語も、全部。君は本当に魅力的だね。



 君が生きていたことに心からの祝福を。

今から逢える君に、視界いっぱいの花々を!




________The end.

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