第18話 私の答え
「ここにいたのか」
うつむく私の頭の上から声がした。
見上げると湿布とバンソウコウだらけの村上先輩が佇んでいる。
「村上先輩……。お疲れ様です」
私の言葉に構わず村上先輩が続けて言った。
「中村は反対側を探している。ここで中村と出会えれば、運命的なシチュエーションとなっただろうが、何とも気の毒なことだ」
村上先輩は私の傍らに座っている真琴に気がつくと、無言で強く頷いた。
真琴は村上先輩の堂々とした態度に威圧感を覚えて苦手らしい。少し怯えた目つきをしながら、こんにちはとか細い声で挨拶を返した。私も村上先輩の扱いを得意としているわけではないが、冷たくあしらう理由も無い。何か話したいことがあるらしく考え込むような顔をしている。カナブンが向かいの木の幹にとまっているのを見つけると、それを口実に虫がいるよと真琴を遊びに行かせることにした。
座って言いかと聞くので、私はいいですよと真琴が座っていたスペースに腰をずらした。村上先輩が隣に座り、腕組みをしてしばらく無言のまま正面に顔を向けていた。
「隼人と中村の試合、良い試合だったな」
「……そうですね。凄かったです」
「これまで見た試合の中でベスト5に入る試合内容だった。やはり九七年に行われた三沢小橋戦はゆずれないがな。当時の週刊誌ではあの超越プロレスについて……」
「中村君のマイクで先輩は驚いてなかったみたいですけど、こういうことをやるって中村君から聞いていたんですか?」
村上先輩の言葉を遮って、私は本題に戻した。
「試合前に聞いた。一応、中村とは恋のライバルだからな。あいつを見届ける義務がある」
「ライバル……ですか? それでも一緒に写っている写メとか送ってきてましたよね」
「あいつを応援したいという気持ちもある。そんな男の気持ち、わかりにくいだろうが」
「……」
「ただ、これまでの私のアプローチから、君もだいたいの予想はついているだろうが、ちゃんと口に出して伝えていない。今日、ここで伝えておこうか」
村上先輩は腕組みしたまま顔だけ私に向けて微笑した。
「……私も君のことが好きだ」
「……」
「君の眩しいくらいの笑顔がとても素敵だと思っていた。中村は一目ぼれと言っていたが、私の場合は私が初めて隼人の家に遊びに行った時かな。厨房で真剣な眼差しで調理している姿と、不意に隣のおばさんに向ける笑顔に心がときめいた」
「……」
いつもの解説口調だったが、さすがの村上先輩も声は抑え気味で頬が紅潮している。
それにしても今日、突然、二人も告白された。
何という日だろう。
夏の日差しや試合での興奮の名残りが、彼らに影響を及ぼしているんだろうか。
「君の返答はどうかな?」
「私は……」
言葉に窮していた。
以前から告白されたら手酷く返してやろうと考えていたが、いざ、直面すると、リングサイドで必死に中村君を応援している村上先輩の姿が浮かんでくる。
一生懸命に、ひたむきに突き進んでいるこの人を傷つけたくないという思いが強くなっていた。
「……ごめんなさい」
漸く搾りだせた言葉がその一言だけだった。
いいんだ答えはわかっていた。君の口からきちんと聞きたかっただけだからと村上先輩は静かに、そして寂しそうに笑った。
「でも、競争相手は中村や私だけじゃない。野球部の片岡やバスケ部の橋本。吹奏楽部の内藤。君のハートを射止めようとする男たちは私が把握しているだけでも他に3、4名はいる。君への競争率は結構高いんだぞ」
「はあ。そうなんですか」
どう言ったらいいのか、上手い返事が出てこない。
男子に好かれていたなんて実感も無い。言われても恥ずかしいだけだし、こういう場合はなんと返答したら適切なんだろう。
「気がつかないのも無理はない。君には磯崎隼人という大きな障壁があるからな。まあ、あの変人相手では大概の男子生徒はびびってたじろぐ」
「……」
真琴は、草取りのおじちゃんと何か話しこんでいる。
始めは迷惑そうな顔をしていたので作業の邪魔になってないかと不安に思ったけれど、次第におじちゃんも機嫌よくなって、今は肩を並べて一緒に草ぬきしている。
「そんな厳しい状況の中で君にアプローチ出来たのは、私が隼人に近すぎて、あいつの視界には入らなかったことだろうな」
「隼人はこの件のことを知らないんですか?」
知らないだろうなあと、村上先輩は難しい顔をして唸った。
「あいつの頭の中はプロレスで一杯だ」
「馬鹿ですね。相変わらず隼人は」
「その隙をついて君に告白できたことは僥倖だと思う。残念ながら肝心の君には届かなかったが」
「……」
「なんというかな、出会いというのは不思議なものだな。体育館のロビーで見掛けただけの子に惚れるとは」
「ロビーて、何のことですか?」
「小鳩プロレスが神林市の体育館で試合やった時だよ。君たちロビーで口論していただろう。内容までは把握していないが愛美君がえらい剣幕で怒鳴っていた」
え?と自分でも自分の声が上ずって聞こえるがわかった。
「先輩、あの時いたんですか?」
もちろんだと村上先輩が頷いた。試合が終わってそのまま帰ろうとする隼人と口論になりかけた時だろう。つい声を荒げて周囲を見たけれど、村上先輩には全然気がつかなかった。
「プロレスのファンになったのは小学校一年生の頃だ。メジャー団体はもちろんだし、インディーにも興味を示していた頃でしかも地元の団体。私が観に行かないはずがないだろう?だが、同級生で感心のある人間はいなかったから、高校に上がるまでは一人で活動するしかなかった」
「……」
「中村や隼人が同好会に入会してきた時には驚いたよ。大した出来事じゃないし、本人たちも私に気がついていなかったから、今日まで口にしなかったがね」
「……」
「一年の時に立ちあげた同好会も、プロレス好きが歓談するだけでも満足していただろうけども、それ以上の人間が来やがった。でも、燃えたなあ……。身体はきつくてあいつらについていくのがやっとだったが、燃えた。中村じゃないが、観る側だった私がまさか観客の前で試合できるなんて思ってもみなかった。あいつらのおかげで充実した高校生活が過ごせたよ」
「〝無人島に行ったら、仲間がいた″ですか?」
「その通りだ」
村上先輩は腕を組み決然とした口調で頷いた。さっき、私に告白して振られた男と同一人物には思えない。一軍の総大将のように堂々とした態度だった。
「先輩は大学でもプロレス続けるんですか?」
さあなあと村上先輩は言った。
「志望先の大学にはサークルすら無いみたいだ。それに俺が志望する文学部は結構忙しいみたいでな。部活に時間が割けるかどうか」
「先輩なら、やれますよ」
「そうかな?」
「ええ。だって、神林高プロレス同好会つくって、あのプロレス馬鹿二人をここまでにしたのは先輩ですよ?」
「そうかな」
「そうですよ」
「……ありがたい。ありがたいな」
村上先輩は自分で確認するように、何度も小さく頷いた。
いつか、隼人がこの先輩をスゲえよと評価していたのを思い出す。
同好会を立ちあげたのも、デパートのバイトの件も、各同好会との場所の取り合いも学プロとの打ち合わせも、常に先頭に立ってやってきたのはこの人だ。
この人ならやれるだろう。
「さて、そろそろ私は会場に戻らなきゃな」
「もう閉会の時間でしたっけ?」
「それもある。それと君の返事を待っている奴が漸く現れたんでね」
村上先輩が向けた視線の先に、肩幅の広い長身のシルエットが浮かんでいた。中村君がためらうような、ぎこちない足取りでこちらに近づいて来る。手と足が同時に出ていた。
「普段は無口過ぎる奴だけど、付き合ってみれば心があったかい奴だとわかる」
村上先輩は立ちあがりながら言った。
「……ええ。そうですね。ちょっとおっちょこちょいなとこあるけど」
よく鼻毛が出ていたり、犬に靴を持っていかれたり、ご飯粒をつけている中村君の顔が浮かんでいた。
「おっちょこちょい? 中村がか?」
「そうじゃないんですか?」
「……」
しばらく村上先輩は私の顔をじっと見ていたが妙に納得した顔になって頷いた。
「どうやら俺たちでも気がつかない部分が、君には見えているらしいな」
じゃあなと言い、村上先輩は中村君が歩いてくる方向に去って行った。途中、二人が立ち止まり、何か話している村上先輩が中村君の肩を叩いて去って行くと、中村君は村上先輩の後姿をしばらく見送っていた。
やがて、村上先輩の姿が校舎の影に隠れて見えなくなると、私の方を振り向いて歩いて来る。試合で入場してきた時のような、緊張感溢れる表情をしている。
中村君が口を真一文字にして私の前に立った。
そして、ためらいがちに中村君が口を開いた。
「磯崎愛美……さん」
「えと……、はい」
「内容は、さっきリングで言った通りだ。中学の頃、あの時はロクな会話もできなかったし、こうやって面と話す間柄になるのも随分と時間が掛かっちまった。でも、お前に対する想いは全然変わらなくて、会う度にやっぱり好きだと思ってもやっぱり言えなくて……。ああでもしないとこんなこと言えなかった。こんな情けない俺だけどさ、付き合ってくれるかな?」
中村君の瞳が大きく見開いている。その瞳に私の姿が見えるほどで瞬きもせずじっと見つめて、私の答えを待っていた。
中村君の鼻の下で何かが動いた。
目線を少し下げ、鼻をみると長い鼻毛がぴょこりと顔を出し、中村君の荒い鼻息に揺られてぴょこぴょこ揺れている。
「……っ!」
雰囲気、台無し。
可笑しいやら情けないやら、さっきまでの不安や緊張はどこかに消えて、代わりにお腹の底から大きな空気が込み上げて来た。そのどこからか噴き出してくる圧力にお腹を抑え込むのが必死になっていた。
こんな時に何やってんのよ。
「……どうした? 身体の調子でも悪いのか?」
お腹をかかえてずくまる私に、何にも知らない中村君が心配そうに声を掛けてくる。
呼吸を整えて顔を上げると、反対側に鼻毛がもう一本伸びているのが目に飛び込んで来た。
このワンツーパンチに我慢しきれなくて、身体の中に溜まっていたものが一気に口から噴き出した。一旦、口から漏れてしまうと、どうにも止められなくてお腹抱えて馬鹿みたいに声を上げて笑うしかなかった。
ずっと笑い転げていたから中村君がどうだったのかわからないけれど、多分、中村君は呆気にとられて私を見ていたんだろう。そんな彼の鼻の両穴から鼻毛がぴょこぴょこ揺れているかと想像しただけで吹き出してしまい、最後には苦しくて咳き込むくらいで中村君に背中をさすってもらうほどだった。
遠くで呆気にとられている真琴やおじちゃんの姿が見えた。
「何か、可笑しいこと言ったかな?」
中学の頃、初めて会った時みたいな弱弱しい口調で中村君が言った。顔は少し笑っているがちょっと傷ついたらしい。私は呼吸を整えて目に浮かんだ涙を拭きながら顔を上げた。
これが中村君なんだ。
「中村君、さっきから気にしていたんだけどさ」
「……何?」
「鼻毛、出ているよ」
私が鼻を指しながら指摘すると中村君の顔は急に青ざめ、慌てて鼻をさする中村君に、また笑いが込み上げてきた。
この人といたら、きっと楽しいだろうな。
なんで、もっと早く気がつかなかったのだろう。
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