第16話 たたかいのあと
隼人と中村君の試合が終わり、私はベンチに座って呆然と空を見上げていた。
熱気あふれる試合内容やその結末、そしてその後に起きた思いがけないことが立て続けにあって、頭のなかが整理できないでいる。
隣には真琴が座っていて、会場内の熱気から解放されて美味しそうに水筒のジュースを飲んでいる。
大学も夏休みのせいで人気もほとんどなく、掃除のおじいさんがうずくまって雑草を抜いている以外は私と真琴がいるだけ。だから辺りはとても静かで、スプリンクラーが気だるげな音を立てて回転しながら水を撒いている。
「……姉たん。元気ないな。喉乾いたん?」
「ううん、私は大丈夫。真琴は?体育館暑かったでしょ?」
「真琴も大丈夫やで。おばちゃんが作ってくれたカルピスあるし」
真琴は愛用の水筒を見せて微笑んだ。水筒の中からカランという氷同士がぶつかる音が響いて聞こえてくる。
「姉たん、やっぱ元気ないで。カルピス飲みゃあ」
「……ありがとね」
真琴はカルピスで満たしたコップを私に差しだした。
この子はいつもカルピスのようにやさしい。
私はコップを受け取ると、真琴の頭を撫でて心配させないように頑張って笑ってみせた。でも、なんだか顔に力が入らない。身体中がふわふわして、こんなそよ風でも私の体はどこかに飛んで行ってしまいそうな気分だ。
当初、真琴は連れてくる予定ではなかった。
場外乱闘になると危ないだろうし、学生プロレスは下ネタが多いと勝手にイメージしていたから、教育上よろしくないと思っているからだ。だけど、真琴本人が行きたがっていたし、普段から真琴に良いところを見せたがっている隼人が「最終日に下ネタの試合は無い」と断言し、泣きそうな顔をして懇願してくるので仕方なく連れて来たのだ。
でも、今は連れて来て良かったと思う。
「兄ちゃん、惜しかったな」
真琴が言った。
「そうだね」
中村君と隼人の試合はこの日のメインじゃなかった。
でも、その熱量と息を呑むような試合内容は、この日一番だったんじゃないだろうかと私は思っている。
中村君と隼人の試合は第四試合に組まれていた。
アナウンス役の田中さんが選手の名前を告げると、騒々しい音楽が場内に響き渡った。
中村君の入場曲はブラック・サバスの『パラノイド』。
隼人はシーモの『ルパン・ザ・ファイヤー』を入場曲にして、それぞれ登場してくる。
学プロに参戦してから一カ月程度だけど、その短期間でもう多くのファンに認知され、この七連戦の間で注目される選手のひとりとなっていた。
曲に合わせて手拍子したり、「モコス! モコス!」と合いの手を入れたり、声援が観客席の所々から飛び交う。
後で折原から話を聞いたら、中村君と隼人のシングルマッチは彼らにとっては注目のカードのひとつだったという
後に呼ばれた隼人がリングに上がると、リングアナの田中さんから名乗りを受ける前に、二人同時に駆け出して組みつき、互いに肘の応酬から試合は始まった。
おおっとという田中さんの声は、明らかに戸惑いがあった。
自分の台本とは違う展開に、何か勘づいたのだろう。
だけど、そこはやはり田中さんだった。
〝いっきなり、凄まじい応酬です!〟
田中さんのリズムの良いマイクが場内に響いた。
打つたびに会場からは歓声が上がり、それは打ち合いが激しくなるにつれて高まっていく。続いてロープの反動を利用してラリアットの応酬。
何度目かの後に中村君のラリアットを隼人が後方に海老反りに飛んで避けると、そのままネックスプリングで立ち上がった隼人が中村君の胸部にハイキックを放ってコーナーまでしりぞかせる。体操選手のような、その一連の動きに会場から怒号にも似た歓声が起きる。
試合が開始したばかりなのに、既に試合終盤のようなボルテージだった。
折原から聞いた話だと、当日500人近くの観客がいたらしいけど、イベントを想定した造りではないので、それほど広い体育館ではないからそれだけの数でもすし詰め状態だ。会場の熱気がうねりを呼んで、ますます熱を帯び異様な雰囲気が場内に満たしていく。
中村君は突進してくる隼人をかわすと、振り返った隼人に合わせて胸元へと張り手を喰らわす。
肉のつまった皮が叩かれる鋭い独特の音が会場内に響くと、ウオオと溜息のようなどよめきがそこかしこで洩れてくる。隼人が苦悶の表情で背を丸めてうずくまると、今度は背中に張り手を打つ。
「あれ、きっついよなあ」
隣の学生らしき男性が、自分の身体が叩かれたように隣の連れらしき男性と顔をしかめて呟いていた。真琴は試合が終わるまで、ただただ必死に兄ちゃん頑張れえと声援を送っている。
中村君は隼人の髪をつかんで無理矢理立たせると肘で隼人のアゴを打った。一瞬、隼人がふらついて後方に退くと、フックを大振りに放った。だが、それは隼人の誘いだったらしい。素早くダッキングして避けるとローキックから鋭い連打を放ち、最後は跳んでフランケンシュタイナーでリングの端まで飛ばすと、中村君はたまらず場外にまで逃れた。
「来るよ。中村君、来るよ!」
聞き覚えのある声が、中村君の傍から聞こえてくる。
よく見ると声の主は折原だった。
二人の前に試合を終えたばかりだったから衣装はそのままだったが、試合用の化粧を落とし、顔は素の折原に戻っている。村上先輩も近くにいて、観客が傍に来ないよう盾となっている。折原や村上先輩だけでなく、それまで試合をしていた選手がいつの間にかリングサイドに集まっていた。
隼人は中村君が起き上がると、中村君に向かって猛然と疾走する。実況役の田中さんが〝お気をつけください!″と激しい口調で連呼する中、隼人は側転した後にバク宙をしながらロープを飛び越えていった。
「おおおおおおっ!」
サスケスペシャルと呼ばれる大技を目にして、観客からは大歓声と拍手が送られ、隼人は立ち上がると周囲に両手を揚げてアピールしている。
〝K・P・C! K・P・C!″
観客の間からはそんな声援がリズムを伴って聞こえてきた。始めは何のことやら意味がわからなかったが、「神林高プロレス同好会(Kanbayashi Pro-wrestling Club)」の略称らしい。
そこからは隼人のペースだった。
ぐったりしている中村君を立ち上がらせると、そのまま観客席になだれ込んで、スタッフが作業用に置いていた脚立の上からムーンサルトだとか、綱昇り用のロープを利用してターザンのように雄たけびしながら中村君に体当たりを仕掛け、中村君はみじろぎもせずに正面から隼人の体当たりを受けて数メートルは吹き飛ばされていった。
中村君も、ただ受けているだけでない。
一発一発の重さやレスリング技術は、中村君のが上だと私は思っている。
中村君は何度か反撃を試みて隼人を退かせる場面を作ってはいるのだけれど、試合のペースまでは取り戻せず、隼人に振り回される格好となっていた。一度は真琴の前まで中村君を連れて来て乱闘し、中村君を後ろ蹴りで床に倒したところに、その場式のシューティングスタープレスまでやった。
「マジかよ!」
「頑張れよ、モコス!」
派手な攻防に実況席の田中さんは絶叫するような白熱した解説をしていたし、真琴や周りの観客は大喜びだったが、中村君から「シュート」だの「我慢比べ」だのと聞かされていた私は、胸が締め付けられるような思いでその光景を見ていた。
ただでさえ、一歩間違えば大怪我するような大技ばかりやっているのに、それを正面から受けきるなんて。
なんでこんな無茶なことをするのだろう。
もうやめなよと思わず叫びたいくらいだったが、そんな時、ふらふらと立ち上がった中村君と一瞬目が合った。すぐに隼人に連れられて行ってしまったけれど、確かに いつもの皮肉そうな笑みを浮かべていた。
そんな顔するな。
まあ、見ていろって。
中村君の目はそんなことを語っているように思えた。
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