第14話 暑い夏
「あっついなあ……!」
麦わら帽子を被って外に出ると、急にむわっと熱く膨らんだような空気が私を包んだ。
改めて空を見上げると、周りの厚い雲たちは真夏の太陽を敬遠しているように遠ざかっていて太陽だけが青い空の中でドヤ顔のまま照り輝いている。外に出たことを後悔したくなるほどの押しつけがましい熱波に、私は思わず呻かざるをえなかった。押入れからホースを持ちだしてホースをつなげたまではいいけども、太陽の熱で熱くなった蛇口をひねるのが一苦労で、それが済んでも今度はお湯となった水道水を出しきるまで待たなくてはならなかった。
そんな訳で、私はホースの先から流れ出る水をぼんやり眺めていたんだけど、ふと庭先から声がする。なんだろうと思って顔を上げると中村君に……、あの村上先輩が立っている。
村上先輩の手には菓子袋が詰ったビニール袋が下がっている。
「何してんだ? そんなとこで」
「庭の水撒き。まだ水が熱いから、冷たいのが出てくるまで待ってたの」
そうかとあ中村君は少し笑みをこぼした。
「会うの久しぶりだねえ。休みなのにどうしたの?」
「……明日のことで、ちょっと相談したいことがあってよ」
「七日もやるんだって? 大変だね」
「それで村上先輩と一緒に詰めようて話になったんだ。まあ、そんな時間掛からないと思うんだけど……。隼人いる?」
そういや、折原が初日は三人タッグマッチで試合するとか言ってたな。中村君と村上先輩は隼人の対戦相手になるんだっけ。初日に対戦相手としてカードを組んだのは動きや受けに慣れているからだと折原のメールにもあった気がする。
「スマホ、繋がらないの?」
隼人もスマホ持っているよな?
「……磯崎のスマートホンはかなり繋がりにくい。マナーモードで気がつかないか、あるいは携帯電話を携帯していない。どこかに置き忘れるからだ。すれ違いが多くて、このような場合、昭和のドラマのようにやきもきさせられる。まあ、おかげで当時の時代もこのような感情を味わっていたのだろうかと、僅かに想像することができるわけだが。私が思うに携帯電話の出現と普及は人々とのコミュニケーション能力を飛躍的に拡大加速化させた。その一方で……」
「そういうわけで、上がっていいかな?」
村上先輩がイソザキハヤト論から現代コミュニケーション論に発展し始めた横で、中村君はいつものように冷静な口調で聞いてきたので、どうぞと私が玄関まで二人を案内した。ホースから隼人れる水は、まだ充分な熱を保ったままなので隼人したままにしておくことにした。
「……磯崎さんて、夏が似合うよな」
家に上がる際、中村君が私を見ながらふとそんな事を言った。
「何よ、突然」
普段、中村君は女の子にそんな気の利いた言葉を口にしたことがない。だから私はちょっと可笑しかったし変にドキドキしていた。
「そう。私も同感だ。先ほど、ひまわりを背にして立ち上がった時の君の姿はひとつの絵になっていた。愛美くんの明るく朗らかな性格がそうさせるのだろうな。そのスラリとした手足を世界中に思いっきり伸ばしているような、青春の美しさというものが君にはある」
「そ、そうなんですかあ……」
村上先輩が言うと、乾いた笑い声しか漏れてこない。
確かに、今日はキャミソールにショートパンと露出が多い格好だけれど、村上先輩から歯の浮くような台詞を言われると、何だか裸を見られているような恥ずかしい気分になってしまう。
じゃあ上がらせてもらうよと言い残して、中村君は村上先輩を連れて二階へと上がっていった。二人が階段を上がって行くまで見送って、村上先輩の姿が消えると深い息が漏れた。
あんな先輩と一緒にいて、みんな疲れないのだろうか。
それとも、私がナイーブ過ぎるのかなあ。
最近、〝G・B・H″のメンバーに加わった吉田先輩から聞いた話だと、一年の頃からクラスでは端然と教室の隅に座っている真面目で寡黙な生徒だという。大人しいとか暗いイメージだったから、プロレス同好会の部長を務めていることや去年の文化祭におけるバチバチな試合内容にも驚かされたと語った。そして村上先輩から私に対しての言動を聞くと、そんな一面もあるのかと吉田先輩は感心したように笑っていた。
「まあ、真面目な人は、案外むっつりスケベだからねえ」
吉田先輩はニヤニヤとしていたけれど、村上先輩もその類なのかな。
私はそんなことを考えながら庭に戻って、ホースから流れ出る水道水に触れてみた。ひんやりとした感触が指先に伝わってくる。
私は更に蛇口をひねり、ホースの先を庭の草木たちに向けて勢いが増した水を放った。
葉や花々に降り注いだ水滴から陽光が反射し、キラキラとした輝きは草木が生気を取り戻して喜んでいるかのように映った。地面の熱も幾分かは下がり、私は何だか気分が良くなってそこかしこに水を撒いていた。
「姉たん、楽しそうやなあ」
真琴の声がして振り返ると、居間の縁側に真琴が立っている。その後ろに祖母がいつものにこにことした表情で座って私を見ていた。
「おっはよお。ほら、真琴のひまわりさんも元気になったでしょ?」
さっきよりも葉に張りが戻ったし、重そうに垂れていた花の部分も背筋をしゃんと伸ばしたようにまっすぐ立っている。こうして元気になった木々や花々を見ていると、何だかもうひと仕事したい気分になって、家から軍手とビニール袋を持ちだすと今度は草取りをすることにした。
真琴も手伝うと言って外に出て来たので、虫よけスプレーを掛けてやり、軍手をはめさせてやると、小さな手には余ってしまい袋を被っているような格好となった。土いじりするのだからいいかと思ってそのままにしておいたのだけれど、すぐに当初の目的を忘れて蟻の観察やダンゴ虫と遊んでばかりいる。
まあ、戦力としてさほどの期待もしてなかったのでそのまま遊ばせといたけど。
それから一時間くらい経っただろうか。庭の三分の一くらいまで作業を終えたところで、祖母が「このあたりでお休みしましょ」と、切ったスイカをお盆に載せて縁側までやってきた。普段、一日中座っていることが多いのに珍しい。
「愛美ちゃんや真琴ちゃんが一生懸命やってくれているのを見て、おばあちゃんも何かしたくなっちゃってね」
私と祖母は、真琴を挟む形で縁側に並んで座っていた。
「やだなあ。暇だからやっただけだよ?」
「そう言いながら、真琴ちゃんのお世話もお店の手伝いもするから、愛美ちゃんは偉いわよね。お父さんたちも大助かりなのよ?」
「……」
実はお小遣い目当てなんですとも言えず、ちょっと恥ずかしくなって、私はスイカをかじって誤魔化した。
「愛美ちゃんは将来、保母さんなんて似合うかもねえ。みんな、そんなこと言わないかい?」
「ちょっと早いよ。周りの子は目の前のテストで頭一杯だし」
「でも、今のうちに将来の目標があるといいと思うけどねえ」
「……」
保母さんかあ。
どうなんだろ。
祖母は思いつきで言ったのだろうけど、将来も進学先も漠然と考えているだけの私にとっては一筋の光明を見る思いだった。真琴をそうだけど、子どもは可愛いし、面倒見が良いと周りからもよく言われる。だんだんと空気が詰ったゴムボールのように気持ちが弾んで、私はふふんと鼻を鳴らしてスイカをかじった。
「真琴。私が保母さんになったら、どう思う?」
この辺は現役幼稚園児に聞いてみるのが一番だろう。
もう白い皮まで見えているのに、カブトムシみたいにスイカをちゅうちゅう吸っていた真琴は、私の質問に考え込むように首をひねった。
「姉たん、怒ると物投げて、エライおそがいもんなあ」
いつだったか、隼人に教科書を投げ付けた件を言っているのだろう。
「真琴……。痛いとこ突いてくれるなあ……」
「でも、保母さんになってくれたら嬉しいわ。優しいし、姉たん、大好きやもん」
間髪入れずに真琴は、そんなグッと胸が詰るような言葉を言ってくれる。
「そっかあ……。お姉ちゃん、保母さん目指して頑張ろうかな」
「うん。お姉ちゃんやったら、なって欲しいわ」
夏の日差しに負けないくらい明るくて眩しい笑顔に、私は真琴の頭を撫でて思いっきり抱きしめてやりたくなった。でも、今、私の手はスイカの液でべとべとに汚れている。手拭きもあるけど、それでもこんな手で触れるのは真琴が可哀相だ。
代わりに私の分のスイカを勧めたら、ありがとうなと言って顔をほころばせながら新しいスイカにむしゃぶりついた。
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