第13話 夏休みになりまして
学校も既に夏休みに入って数週間が過ぎ、七月も終わりに差しかかっていた。
私はあれから、プロレス同好会のメンバーとは顔を合わせていない。
期末試験の対策で〝G・B・H″の活動が忙しく、夏休みに入ってからもしばらくは店の手伝いや〝G・B・H″のメンバーと勉強会で会う機会が増えていたからだ。
私達の活動の噂を耳にして、学校の先輩らも二、三人メンバーに加わって、金沢さん中心にして部活動のようになりつつあった。
折原は折原でプロレス同好会が学プロに参戦するようになってからはそちらの活動に追われているようで、メールや電話のやりとりはあるものの、特に夏休みに入ってからは一度も直接会っていない。
隼人と折原の関係は、やはり相変わらずのようだ。
隼人に折原の話を向けるとプロレス絡みの話題しかしてこない。村上先輩と組み、駄目レスラーとその鬼マネージャーというギミックで試合しているらしい。窮地に陥ると折原が得意の身体能力を活かして乱入し、相手選手を蹴散らす一方、村上先輩を罵り、手にしている鞭で打ちながら救出して会場を沸かせているという。
村上先輩か……。
アドレスは折原が教えたらしいのだが、夏休みになるとあの人からメールが頻繁に届くようになった。
〝戦友中村とナウ″という表題で中村君とポーズを決めた写真を送ってくるのはまだいいとして、〝ハルク・アップ″だとか〝無我″とか、意味不明な題名に加えて、横文字を使ったポエムみたいなメールは読むのもツライ。
一応先輩だから、最初は何とか内容を把握して返信していたけれど、そのうち面倒になったので、着信があったら時間を置いて〝了解″だけで済ましている。
「……だから、折原も練習に参加してもらってんだけど、身体中が痣だらけでさ。受け身と基本技ばかりだけど、でも折原て、すげえんだよなあ。リング上がると人が変わってさ。打撃もスゲエし、ラ・マヒストラルも簡単に覚えるし、キャラもオラオラ系になるんだ。小鳩プロレスの人も、もうタジタジ」
私の気を知らず隼人はふと楽しそうに語って笑った。
私は村上先輩が頭に引っ掛かってイマイチ笑う気にはならなかったので、隼人の話を流して「その折原のことをどう思ってんの」と少し踏み込んで尋ねてみた。
居間にいるのは私と隼人だけ。ちゃぶ台を挟む格好でそうめんをすすっていた。冷水に浸ったそうめんを箸で摘まむと、氷が小さく音を立ててボウルの中に転がり落ちていった。
両親はお店。真琴は祖母と部屋でお昼寝をしている。
昨日は別に夜ふかししていたわけではないのだけれど、今日に限って、私と隼人は共に昼過ぎまで眠って同じ時間に起きたために、いつもより遅めの昼食をとっていた。「こういう変な時に双子よね」と母は笑っていた。
今日もお日様は眩し過ぎて、外に出るのが億劫に思えるくらい陽気だった。
屋根から覗く空は底が抜けたように青い。
かといって、屋内はエアコンが必要なほどでもなく、父が若い頃に購入したという古い扇風機が、面倒くさそうに送る風程度で充分だった。
ただ、午後の陽の光が強烈な分、電気もつけていない屋内は余計に薄暗く感じる。
外からささやかな風が吹き込んでチリンと風鈴が鳴った。
静かだ。
この気だるげな空間が、いかにも真夏の午後らしい光景のように私は思えた。
「折原ねえ」
隼人は箸を止めて少し宙を見上げて考えた後、再びボウル内のそうめんに箸を伸ばした。
「これからは、鈴木浩子路線かな?」
がっかり。
私のなかで頼みにしていた蜘蛛の糸をちょん切られたような、変に情けない気分で力なくそうめんを口にした。
「……それなら、村上先輩のお嫁さんにするの?あの人、彼女いないでしょ」
隼人の箸が一瞬、止まる。
「例えでいっただけだろ」
「例えねえ……」
「なんだよ」
麺を口に含んだまま、もごもごと隼人が言った。
「あんたもさ、プロレスで青春謳歌するのも良いけど他に無いの?」
「他に……て、好きで集まっただけの同好会が、観客の前で試合してんだぜ?こんな青春なんて、なかなか体験出来ねえだろうよ。中村だって明日からの試合、スゲエ楽しみにしてるしさ」
夏休み入り来月の8月中旬からの七日間、聖陵大学のアリーナでは近隣の学プロを集めた『聖陵学プロサミット』、別名〝魔の七連戦″という大会が行われる。神林高プロレス同好会も参戦が決まっており、今日は明日に備えて体力回復に努めるために休みとなっていた。
「……そうじゃなくてさ」
「俺はともかく、愛美はどうなんだよ。放課後ぶらぶらしてるか、店の手伝いばかりで、お前もこれっぽちも男っ気が無いじゃん」
「私は今で結構、楽しいからこれでいいの」
「なら、俺もこれでいいよ。お前は家と店の往復で充分なんだろ?」
〝G・B・H″は単なる雑談会から、勉強中心の情報交換会へと変わっているけれど、おかげで期末試験は良い点数が取れて、以前よりも成績が上がって学年で50番になれた(全体で何人かは訊くな)し、店の手伝いの件は、あんたにお鉢がまわらないように私が言ってんだよ。
そんな言葉が喉の奥まで出かかったが、成績は自慢するほどでもない中途半端な順位だし、店の手伝いはおこづかい目当ても含まれているから、これも自慢するほどでもない。
だから反論する言葉もこれといって思い浮かばず、結局、ぐっと堪えるしかなかった。
折原のことも、いっそこいつにはストレートに言った方が良いのだろうか。
でもなあ。お互いが変に意識しだして、関係が気まずくなったら私も嫌だし〝G・B・H″でも、変に口出ししてどこのクラスの誰誰が玉砕したとか、誰誰に捨てられたとか別れたとかそんな話題にも事欠かない。
折原には悲しい目には遭わせたくないから、サポートする以上はタッグパートナーとして上手いことアシストしてやらないと。
「……私のことはどうでもいいの。大学行ったら、バイトしてお喋りしてキャンパスライフを堪能してやるんだから」
「それ、今と変わらないし、大学てのは勉強するところじゃねえの?」
ぐっと詰る私に、もういいよと隼人は投げ捨てるように言って箸を置くと、食器を持って立ち上がった。
「俺のことはいいからさ。自分の頭のハエを追えよ」
隼人がそう言い残して台所へと消えて行った。食器を洗い場に置くと居間には戻らず、そのまま廊下に出て階段を駆け上がる足音が聞こえた。
「なによ、あいつ」
何故か説教されるかたちになって、忌々しいやらもどかしいやらで、憤然とした気持ちを抱えたまま私は再びそうめんに箸を伸ばした。麺はまだ大量に残っているものの、まだ満腹感までほど遠く、今の私なら幾らでも入りそうな気がする。それに隼人に言われてどちらかというとやけ食いしたいという気分が強く、ほとんど噛まないまま飲みこむように麺をすすった。
「愛美、まだ食べてんの?」
店から母が戻って来くると台所から居間を覗き、グダグダと一人残る私の姿を認めて言った。別に責めているわけではなく、単に確認の口ぶりだった。
「全部、食べなくても良いからね。おばあちゃんの分にとっておくから」
最近、祖母は夏の暑さにやられたのか、元気が無くて、食も細くなってご飯を僅かにしか手につけない。エアコンも身体にさわると好まない。熱中症になるから父も母も強く注意しているのだが、どうかすると切ってしまう。
「うん、わかった」
まだイケるけど、このくらいでいいか。
私は箸を置いて、夏の日差しがギラギラと照りつける庭をぼんやりと眺めた。
庭の草木はどれも暑さに閉口して元気が無い。真琴が植えたひまわりなんかは勘弁してくれよと言わんばかりに頭をうなだれている。この後は暇だし、水でも撒こうかな。
台所で何やら作業していた母に訊ねると、水撒きはまだやってないと言う。私は食器を片づけ、余ったそうめんを小さめのボウルに移し替えてから冷蔵庫にしまって庭へと出た。
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