第10話 あのさあ……。

 隼人が何を思いだしているのか、私には何となく予想がつく。

 去年の文化祭後、プロレス同好会は話題になり、入部希望者も数人いた。だが、折原から聞いた話だと彼らは半分冷やかしで、練習に対しても不熱心、プロレスに対する情熱も愛着も知識も無かった。練習についていけない。雑用も面倒だとなると、八百長に何マジになってんのと悪態をついて去って行ったという。

結局残ったのは、マネージャーとして希望して入部した折原だけだった。

「他の部だって存続させるために悪戦苦闘してんのに。俺達は、あくまで同じ趣味持った同士が集まった同好会なんだぜ?そりゃ、無くなるのは寂しいけどよ。あとのことまで考えたくねえよ」

「……そういうの、刹那的て言えば良いんだっけ?」

 いつだったか、〝GK〟金沢さんがそんな言葉を使っていた気がする。

「俺は知らないけど、それで良いよ。仮に、残った一人で過ごさせるよりマシだ。前回の文化祭だって結局、部員は折原以外残らなかったし。やる気ないと言われたら俺だってヘコむ。体力自体は個人差あるからついていけないのは良いんだよ。構わないんだよ。何でも良いけど、村上先輩みたいにひたむきじゃないと。真剣じゃないと」

「ふうん? あの先輩を随分と評価してんのね」

「あの人はスゲえよ」

 何が凄いのかそれ以上は語らなかったので私にはわからなかったが、思いつめたように車内の天井を見上げている。

 それは、私には悔しそうな表情にも見えた。

 求めても敵わない。そんな表情。

 口を開かないのがじれったく、カタン、カタンと床から響く車輪の虚ろな音がやけに煩わしく思えた。

「……だからさ。俺は部員が増えるにしろ増えないにしろ、どっちでもいいんだよ。俺は今、同好会を思いっきりやれれば良いと思うだけでさ。潰れるとかウケないとか、クソみたいな雑音なんか気にしたくない。せっかく馬鹿をやれる面子が揃ったのに、馬鹿になれない奴が来ても嬉しくねえんだよ」

 そこでまた隼人は口をむっつりとつぐんでしまった。

 口調は淡々としていたが、珍しく怖い顔をしている隼人にそれ以上の話がしにくくて、私は無愛想に押し黙った隼人を横目に、真琴の相手ばかりしていた。やがて、電車は数駅越えて神林駅に到着した。改札口を出たころには陽はすっかり沈んで暗い空には星が瞬いている。

「真琴、眠いのか?」

 神林駅の改札口を抜けると、隼人は真琴に言った。

ここに来て疲れが出たのだろう。ネジの緩んだ椅子みたいにゆらゆらしていて、真琴は重い表情をしたまま、こっくりと眠気にさそわれるまま頷いた。じゃあ兄ちゃんに乗りなと言って隼人が背を向けてしゃがむと、吸い込まれるようにして隼人に寄り添い、おんぶして立ち上がった時には隼人の背中から小さな寝息が漏れていた。軽いなあと隼人は誰ともなしに呟いた。

 それからは家に着くまで私達は無言で歩いた。駅前のロータリーを抜け、途中の自販機で私がコーラを買う以外、特に会話も交わすこともなく歩き続けた。日曜の通りは物静かで、みんな明日からの仕事の為に、早めの休みをとっているのだろう。平日だと賑やかな商店街の通りも、今日に限って人気が少ない。

「ただいまあ」

 カラリと玄関を開けると、居間からお帰りと母がひょっこり顔をだした。

「あら、一緒だったの」

 私と隼人の顔をみて、意外そうな表情を浮かべた。

「うん、途中でね」

 と言って玄関をあがると、母は隼人に背負われた真琴に気がつき、隼人からそっと身体を引き離して預かると、真琴の寝室ともなっている奥の祖母の部屋に運んで行った。

「隼人、ご飯は?」

 既に階段の中腹まで駆けあがっている隼人を見て母が足を止めた。

「今日はいい。もう風呂入って寝るから」

 と言い捨てると、隼人は汚れものの詰ったバッグを残し、そのままトントンと小走りに駆けあがって行った。

「珍しいこともあるものね」

 バイト、よほど疲れたのかしらと母は呟きながら祖母の部屋に向かった。

 プロレスラーは身体が資本と言っている隼人だから、いつもならどんなに疲れていてもご飯を必ず口にする。そんな隼人を母も良く知ってい足るものだから思わず呟かずにはおれなかったのだ。

「そういえばお父さんは?」

 いつもこの時間なら居間にいるはずの父の姿が見えず、明日からの弁当の仕込みで店にいるのかと思ったが、どうもそうでもない。

 居間に入って、ちゃぶ台に用意してある夕食を覗きながら母に聞いた。

町内の集まりだと台所で洗い物をしている母が言った。

「飲んでくるから、ご飯いらないと言ってたわよ」

「ふうん。今日、なに」

「アジと卵焼きよ」

 アジの開きと卵焼きかあ。

 私はアジも卵焼きも大好きで、特にアジの骨をしゃぶってちゅうちゅうと脂を吸うのが大好きだ。

 こんな美味しいものを感知できない隼人はやっぱり馬鹿に違いない。

私は隼人に用意された分まで食べることにした。私の向かいには祖母が座っていて、愛美ちゃんはいつも美味しそうにごはん食べるから、こっちも嬉しくなっちゃうねえとニコニコしている。事実、母の作る手料理は美味しい。

 私はアジの骨を指先でつまみ、口で骨周りの肉をちゅうちゅう吸うようにしてかじっていた。

「お父さん、いつ帰るの?」

 なんとなく母に聞いてみると、「カラオケ行くから遅いんじゃない」と笑って言った。

 父は酒に強いが、酒好きというわけではないので、酔っても顔が少し赤くなるくらい。

 これまで不始末というものを起したことがない。

だから、父が自分を見失うほど酔った姿を私は見たことがない。それでも母が遅くなると予想したのは、酔わない分、他の人の面倒を見なければならないからで、酔いよりもそちらの気苦労で力を消耗するらしく、帰りは疲れ切った様子で戻って来る。

 夕食も終わり、食器を台所まで運ぶと、母が隼人に早くお風呂入るように言っといてと言いこれもと学校のバッグを渡してきた。

「これ、置いたままでいいじゃん」

 汗の臭いがするわけじゃないが、汗まみれの衣類が入っていたかと思うとぞっとする。

「上に上がるんだからいいでしょ」

 バッグを押しつけられ、できるだけ触らないようにしながら指先でつまむようにしてバッグを持ち、私は二階に上がって隼人の部屋に向かった。

 学プロから話が逸れて言いそびれてしまったけれど、折原の件も少しは話しておきたいし。

「おおい、隼人。さっさとお風呂入りなさいよ」

 ノックをして呼びかけるも返事が無い。

「いるんでしょ?おおい」

 木製ドアの乾いた音だけが響くだけで、中はしんと静まり返っている。

 入るよと断ってドアを開けると、部屋の灯りをつけたまま、隼人はベッドの上でうつぶせの状態で寝息を立てていた。着ている服もそのままだ。

 起したものかどうか悩んだが、結局は寝かしておくことにした。

 無理に起さなくても、夜なかにでも目を覚まして勝手にシャワーでも浴びるだろう。馬鹿だから風邪なんて引かないだろうし。私はバッグを部屋の隅に置くと電気を消して自室に戻った。

 部屋に戻り、最初に行ったのが折原へのメールだった。

〝やお!″と表題に書き、〝シャイニングマンはもう寝たよ〟と打ち込んだ。

送信時に隼人の寝顔でも撮っておけば良かったかなとも考えたけど、また部屋にこそこそ入るのもなんだかいやらしく、そのまま送ることにした。送ってから一分もしないうちに返信が来て〝今日はありがと。でも、大して話せなかったよ〟と文のあとに絵文字で泣き顔がついている。

〝また明日からがんばりな″と返して、そこで私はお風呂に入った。そして部屋に戻ると着信の表示があって〝うん。おやすみ″との内容。

 そのメールを確認したところで、私は眠気を感じベッドに倒れ込んだ。時計を見ると、いつの間にかもう夜十一時を過ぎている。いつもならもう少し夜ふかしするところだけど、今日は早く眠りたい気分だ。

 エアコンもひんやりして気持ちいいし、つけたままでいいか。

「なんか疲れたな……」

 私自身は何かしたわけじゃないけれど、外は暑かったし、周りで色々と起きたせいでいつもの日曜よりもだいぶ慌ただしく感じた。といっても、その慌ただしさは楽しく充実した良い休日だったと思う。

折原の件は、隼人は学プロで頭一杯みたいだし、あの調子じゃ折原もすぐに進展とはいかなそうだし、生あたたかく見守るしかないだろうなあ。

 そこまで考えた時、見計らったかのように眠気が一気に私の身体を包みこみ、ぼんやりとした意識は私のなかに夢想の世界を浮かび上がらせてゆく。そっちの世界では折原の姿が遠くに見えた。カラリと玄関の乾いた音がどこからか聞こえてくる。やっと終わったよと疲れ切った声には聞き覚えがある。父がようやく帰って来たんだという認識を最後に、私は夢の中に迷い込み、折原と学校の制服を着たまま壮絶なシャイニングマンごっこを繰り広げていた。

 テレビ放送すればおそらく数週間におよぶ白熱バトルで、とても言葉では言い表せない凄まじい展開だ。そして、友情の証にと二人で分け合うこととなったキャラメルの箱を、私がなかなか開けられないところで夢から覚めた。


 そんな夢から覚めると、外から鮮やかな光が部屋に差し込み、気持ちの良い朝が私を迎えた。

 でも何か身体が重い。喉がいがらっぽくて頭も身体も痛い。普段なら心地好いエアコンの空気がまとわりつくようにうっとうしい寒さを感じた。エアコンの掛けっ放しが良くなかったらしく、私は風邪をひいて学校を休む破目となった。

 「夏風邪ひく奴てさ、馬鹿がなるものらしいな」

 風邪をひく気配もない隼人が出がけに部屋を覗いて、そんな憎まれ口を吐いて去って行く。

 うっさいわと言い返したくても力が出ずに、口の端から呻くような声しか漏れてこない。

 学校が好きなわけではないけれど、身体は動かないし、本を読む気力すら湧かない。

 折原からメールが来たが、数行返すだけがやっとだ。

 真琴は幼稚園だし、帰って来ても親が部屋に来させない。

 おかゆすすって、ただ寝ているだけのつまんない一日を過ごす破目になった。



何なの、このオチ。

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