第9話 帰り道

 私とプロレス同好会の面々がデパートを後にして小原駅前に着いたのは、それから二時間ほどしてからで、夏の日差しはまだ高いものの、西に傾き始めたビルから伸びた影が街を覆い、午前中に感じていたうんざりするような暑さはどこかに去ってしまっていた。

「じゃあ、私、ここで」

 村上先輩や中村君、折原の自宅は小原駅からバスに乗って帰らなければならない場所にあるので、私たちとはここが別れ道だった。

 バスの出発が最も早いのが折原で、真琴にバイバイと手を振って停留所に向かう彼女に、私は隼人を見送りのために停留所まで付いて行かせた。隼人はなんで俺がと首を不服そうだったが、普段、折原に迷惑掛けてんでしょと言って私は強引に背中を押した。

 ショーですっかり忘れていたが、本来の目的は折原の恋愛相談だ。その相手が傍にいるなら、少しでも近づけさせないと。

「恋のキューピッド役も大変だな」

 中村君の何気ない言葉に誘われ、そうなのよと溜息混じりに言いかけて私は口をつぐんだ。

「中村君……。まさか、二人の関係、気づいていたの?」

「折原がサークルに入ってきた時から気づいていたよ。俺も村上先輩も。気づいていないのは隼人だけだよ」

 長い間一緒にいると、これでも気を使うんだぜと中村君は苦笑いをした。村上先輩は目を細めて、停留所で何か言葉を交わしている隼人と折原を眺めている。

「朱音くんのいじらしさは見ていて切ない。まるで私を鏡で見ているようだ」

 村上先輩はふうとわざとらしく深いため息をつくと、頬を赤らめて口元に微笑を湛えて私をチラチラと見てくる。

 いや、ホントにもう、ウザんですけど。

 でも、この人、告白まではしてこないのは、おそらくこちらの出方を窺っているのだろなあ。

 こちらから変に言って「勘違いだよ」と例の薄笑いで逃げ口上を作られてもシャクだし。

 よくわかんないけど、これって洋平さんと逆パターンなのかなあ。ああ、もうムカつく。

 この場合、頭の毛を掻き毟ったらは気が晴れるのだろうかとも思ったけれど、それでも何だかそれでも足りない気がしてむしゃくしゃとした気分を抱えたまま、近くに駐車禁止の標示版が立っているのに気がつくと、自分でも知らずに思いっきり蹴り飛ばして脛を思いっきり打ちつけてあまりの痛さにうずくまっていた。姉たん、どしたんと心配してくれる真琴の言葉が胸に痛い。

「何やってんだよ。愛美」

 見送りを終えた隼人がこちらに戻って来て、うずくまっている私を呆れたように見降ろしている。

「……何でもないわよ」

 顔に熱さを感じながら立ち上がると、真琴の手を引っ張って帰るわよと隼人を促し改札口に向かった。後で村上先輩や中村君に挨拶していなかったことを思い出したが、よほど動揺していたらしい。

「おい、ちょっと待てよ」

 隼人は戸惑いを見せていたが、残る二人に簡単な挨拶を交わすと小走りで後から追いついてきた。

 夕暮れ時の構内は、街中にいるときと変わらず人と喧騒で溢れていたが、私達が立っている六番ホームは他に比べれば閑静なものだった。

「おい、何キレてんの」

「キレてないわよ」

 お、長州の物真似かよと嬉しそうに返してきたのにはカチンときたが、隼人に八つ当たりするのはさすがに大人げない。

 深呼吸でもして気持ちを落ちつけよう。

「……それで、折原と何か話した?」

「ショーの件と、学プロ参戦の話くらいかな。明日の昼休みにでも、みんなと詳しく相談するつもりだけど」

 なにやってんのアイツ。思わず舌打ちした方向に真琴と目が合い、私の顔を見て真琴は怯えた表情を浮かべた。

「……姉たんの顔、怖い」

「ゴメン、ゴメンね。お姉ちゃん喉が詰っちゃって、ついね……」

「真琴、何か悪いことしたん……?」

「おいおい、小さい子を泣かすなよ」

 泣かしてないわよとつい声を荒げると、真琴はひいっと小さな悲鳴を上げて顔をくしゃくしゃに歪めてベソをかき始めてしまった。

私、そんな怖い顔してたかな?

「真琴のことじゃないから、泣かないで。ね?」

 ゴメンねと何度も口にしながら、真琴の小さな身体を抱きかかえてあやしたのだが、一度沸き起こった感情はなかなか止められないようで、肩を震わせながら嗚咽を漏らしている。

 真琴の両親が借金を抱えてしまった事情でウチに住んでいるのだが、子どもながらに居候という立場を気にしていて、良い子なんだけど周りの大人の反応を過剰に窺うようなところがある。本人やウチの父や母が話したがらないからわからないけれど、地元の岐阜では借金取りのせいで、随分と怖い思いをしたらしい。

 それが真琴の心を不安定にさせ、ちょっとしたことで感情が爆発して止まらなくなってしまう時がある。

 そのうち、近くの若いカップルや家族連れが奇妙な視線を送ってくる。DVかしらなんて声も聞こえて、次第にいたたまれない気持ちになってくる。

 ちょうど、電車が到着したので私は真琴を抱えたまま隼人とそそくさと車両に乗り込んだ。車内は人影もまばらで席も座るだけの充分なスペースがあった。

 私達は扉付近の座席に座ることにした。

「……落着いた?」

 次の永田駅を過ぎたあたりで真琴の震えがとまるのをみて、私が訊ねると真琴は蚊の鳴く様な声でうんと小さく頷くと、身体をどかして私と隼人の間にちょこんと収まった。

「そういやさ、折原の奴、井上の告白を断ったんだって?」

 真琴の様子を心配そうに見ていた隼人が不意に口を開いた。

 何か別の話に変えたかったのかもしれない。

「……うん」

「ふうん。井上て、明るくて良い奴なのになあ」

「……ちょっとタイプじゃ無いみたいだから」

「そうかあ。男女の縁てのはわからないもんだなあ」

 何やら感心したような不思議そうな顔をして、隼人は顎をさすっていた。

「縁ねえ。ちょっと古臭くない?」

「なら、他に何て言えばいいんだよ。こういうもやもやした関係」

 言われてみれば、私も他に言葉が思い浮かばない。でも、わからないと答えるのは悔しいから、そうねえと適当に答えて話題を変えることにした。

「……それで、隼人は学プロ参戦したいの?」

 真琴の頭を撫でながら聞くと、もちろんと隼人は即答した。

「やっぱ、文化祭だけじゃちょっと期間が空き過ぎるし、俺はもっとやりたい。ショーも見せる良い訓練にはなるけど、やっぱ〝プロレス″じゃないからちょっと違うんだよな。まあ、先輩の発案がなかったらこんな運びにならなかったけどさ」

 目的と刺激が無いとよと言って、隼人はうんと背伸びをした。

「それに学校からはけっこう睨まれている立場だし、堂々とプロレスが出来る機会なんて滅多にないからな」

「勝手にやったら怒られるに決まっているでしょ」

 プロレス同好会は路上、校内、町の祭りのイベントでゲリラ的にプロレスをしたことがある。

 しかしというか案の定というか学校で問題となり、一度は同好会も、解散の危機にまで追い込まれていた。

「それにしてもアンタにしちゃ消極的な感じね。プロになるのが夢なんでしょ?」

 中学の卒業文集でも自分の夢をプロレスラーと書いていたし、小鳩プロレスへの入門も一時期考えていた。それでも高校進学を選んだのは、洋平さんに「学校はつまんねえとこかもしれねえけど、つまんねえことを工夫して面白くしねえと、俺には一生、勝てねえぞ」と言われたからだった。

 なんで学校を面白く過ごすことが洋平さんへの勝利につながるのか良くわからないけれど、その言葉に発奮した隼人は高校進学へと決意した。洋平さん本人に聞いてないからわからないけれど、もしかしたら、洋平さんなりに隼人を思っての言葉だったのかも知れない。

「プロレスラーになるのは夢だけど、部活はまた別だろ」

「……?」

「この〝神林高プロレス同好会″は俺達までの代と思っているから。限られた中でみんなと全力を尽くしたいんだよな」

「何だか良くわかんないけど、部員を増やせばいいんじゃないの」

 隣で真琴が喉の渇きを訴えたので、私は水筒からコップに麦茶を注ぎながら言った。

「プロレスに興味も無い奴を、無理矢理勧誘したって仕方ないだろ」

 何か思い出したらしく、隼人は急に暗い顔をして腕を組んだ。

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