第8話 繋がりて、こうやって生まれるのかな

 私がトイレから戻って来ると、真琴と折原は列の中にいて握手の順番を待っていた。

 ショーが終わると同時に、私は急にトイレに行きたくなってしまい、折原にシャイニングマンの握手会の列に並んでもらうようお願いしたのだ。交代しようかとも考えたが、もうすぐ真琴の番だったから今のうちにジュースでも買っておこうと、先程、シャイニングマンがムーンサルトを行った自動販売機でジュースを選んでいた。

「おおい、ラブ・ビューティ」

 背後から聞き慣れた声に反応し、思わず誰がラブ・ビューティじゃと振り返ると、そこには隼人を始めとしたプロレス同好会の面々が立っていた。それぞれスポーツバッグを下げている。

「奇遇だな。こんなとこで何してんだよ。愛美」

「いや、買い物だけど……。それよりもアンタ達こそ何してんのよ?」

 バイトだよと隼人が言った。

「さっきのシャイニングマンのショーに出てさ。お前も観てただろ? 最後のフェニックス・スプラッシュ、硬い床だったから心配だったけど、上手いことできて良かったよ」

 シャイニングマン?

 バイト?

 今日はマルコシじゃなかったの?

「愛美くん、私のジャアーク役は素晴らしかったろう?」

 ちょっと頭の中が混乱していた私に、村上先輩がフフと例のウザい半笑いで聞いてきた。

「村上先輩の受けは最高すよね。こっちも思いきって出来るからスゲエ助かりますよ。それに最初の観客席に乱入もウケてたし」

「中村君のフォローがあってこそだよ。あの着ぐるみは動き自体に支障は無いが、視界が悪い。椅子に気がつかないで、最初のトぺでちょっと打ち身をしてしまったけどね」

 村上先輩は少し赤みの差した左肩を私に見せつけるようにして、ちらちらと私を見て反応をうかがっている。頑張ったでしょアピールを私にしているのは分かるけども、正直ウザい。

 ここで構うと調子に乗ってしつこそうなので、私は気がつかないふりをすることにして、中村君に話を振った。

「中村君て、もしかして戦闘員役だった人? 赤いテープ巻いた人いたよね」

「ああ、よくわかったな。三人の中じゃ端役だけど、衣装もシンプルだし、その分、一番動けるからな。動ける人間がメインをサポートしねえと。他の人に隼人の無茶な攻撃を受けさせるわけにもいかねえし。ちょっと失敗したのが、もう一度、観客席に降りた時だな。あの時、近くに子どもがいて……」

 落着いた物腰と口調で話す中村君だったが、鼻の穴から長い鼻毛が伸びていて、どうしてもそちらに目がいってしまい、話の内容まで頭のなかにあまり入ってこなかった。

「うん。今日は無理だから、明日のほうがいいと思うよ」

「……?」

 私の適当な返答を聞き、中村君が怪訝そうな表情で私をみる。

しまった。話をよく聞いていなかったから随分と頓珍漢な返しをしたらしい。中村君はしばらくじっと私を見つめていたが、やがて、そうかいと寂しそうに笑った。

「あれえ?何でみんなここにいるの?」

 握手会が終わったらしく、真琴の手を引いた折原が驚いた表情でこちらに近づいて来る。

「折原も子守り大変だな」

 隼人が折原に冗談めかして言うと、しゃがんで真琴にシャイニングマンのショーどうだったと訊ねた。真琴は目を輝かせて、どえらいカッコ良かったでと拳をぶんぶん振り回して興奮気味に行った。

「さっきな、さっきな、シャイニングマンに握手してもらったんよ。兄ちゃんもいたんやったら観れば良かったな」

「そうかあ。カッコ良かったかあ。兄ちゃんも観たかったなあ」

 隼人は嬉しそうに真琴を担ぎあげると、そのまま肩車して付近を走り廻り始めた。真琴も喜んでいるのでしばらく隼人に任せておくか。

「ねえ……どういうこと?」

 折原が私の近くに寄って来て耳打ちをした。私が事情を説明すると、不可思議な顔つきで首を傾げた。

「村上先輩、今日はマルコシでバイトじゃなかったんですか?」

「マルコシ? マルコシは来週だぞ。バイトは二週許可してもらった。小鳩プロレスは来週、東北巡りだから」

「電話をくれれば手伝ったのに……」

 ぼやく折原に、これは我々の義務なんだと村上先輩は腕組みをしたまま語気を強めた。

「わが神林高プロレス同好会が、文化祭以外において対外活動を行う機会など滅多にない。幸運にも小鳩プロレスにおいてプロの指導を受けているが、ドメスティックに凝り固まって駄サイクル化しないためにも、大衆の厳しい目を浴びる場に出て反応を知るというインセンティブが必要だと私は考えた。だが、突然裸の男たちが路上や街角でプロレスを始めても警察に通報されるのがオチだ。プロレス自体色眼鏡で見られている部分もある。僅か数名の団体でいきなり世間に問い、ドン・キホーテになっても仕方ない。ある時、私は思いついた。子ども向けのショーでプロレス的要素を混ぜてみたらどうだろうかと。素直だと言われる子どもたちが集うようなショーでプロレスというギミックを盛り込み、子どもたちの素直な反応を知ることができるのではないかとね。主催者もいる既存のショーにこれらを提案してもらうには大変な勇気がいることだった。しかし、これは、我々三名がするべきことなのだ」

「へえ……。色々と考えているんですね」

 私はとりあえず感心したように装って言った。ギミック以外、長くて途中からあまり聞いてなくて良くわからなかったんだけど、なんでディスカウントストアの名前を出してきたんだろ。

 自分たちを安く売らないということだろうか?

「愛美くんは、本当に私をよく分かってくれているな」

 村上先輩の目がギラリと光って私を捉えた。

 その視線に、思わず悪寒が奔る。

「スタッフの人にプロレスファンというか、理解してくれた人がいたのも幸運だったかな。俺もどこまでやらせてもらえるか、正直なとこ疑問だったから心配だったけど、その人が面白いと言って他のスタッフを説得してくれたんだ」

 中村君が会話に入ってきたので、私は急いでそちらに話を向けた。

「そうよね。よくあんなのやらせてくれたわよね?他のエキストラの人達、怒らなかった?」

「その人と隼人の存在が大きかったよ。キックや空手経験者もいたけど、あいつほど大きく速く動ける人がいなかった」

 そう言って中村君は、真琴とシャイニングマンごっこしながら遊んでいる隼人を見ていた。その表情はどこか寂しそうだ。

「ちょっと……、悔しい?」

 折原は中村君が僅かに浮かべた表情から何かを察したのだろう。その声には中村君に気を遣う気配があった。

 やっぱり同学年。どうしても意識をしてしまうのだろう。

「正直、それは少しある。俺も主役やってみたかったからね。でも、複雑なとこあってさ……」

 そこで中村君は言葉を切った。

 先ほど握手会が行われていた場所から、一人の女性がこちらに近づいて来る。ショーで司会役を務めていたあのお姉さんだ。

「やっほう。お疲れさん、神林高プロレス同好会の諸君」

 司会でのつくったようなキンキン声をどこかにしまい込んだらしく、年相応の大人びた声や仕草に戻っている。そのせいか着ている服は変わらないのに雰囲気が大人びて見え、同一人物には思えない。

「やあ、御苦労だ。田中さん」

 何故か上から目線な村上先輩。

 田中さんと呼ばれたお姉さんは、村上先輩がどんな人物か既に把握しているのだろう。大して気にも留めずに私に近づいてきた。

「君たちも同好会の人?」

 お姉さんは、私と折原を交互に見ながら言った。

「いえ、こっちはそうなんですけど、私は友達で……」

 私が折原を手で示して紹介すると、折原は慌ててマネージャーをしている折原朱音ですと言って田中さんに頭を下げた。

「こんにちは。私は田中美和。私も聖陵大学でプロレス同好会のマネージャーとリングアナやっているの」

「あ……。そうなんですか?」

 同じマネージャーと聞いて、折原は急に親近感を持ったようで、好奇の目を田中さんに向けた。

「同好会といっても、俺たちみたいな零細サークルじゃなくてさ。部員が数十人もいるし、他の学プロと合同で集まって毎週大会やってんだよ。メジャーでプロになった人もいる。今回、俺達が好きなようにやらせてくれたのもこの人のおかげ」

「毎週とはいっても、せいぜい4、50人で一杯になる小さな会場ばかりだけどね」

 4、50人か。

 小鳩プロレスの入りと同じくらいなのかな。

 中村君の説明に田中さんは小さく笑いながら頬を掻いていたが、照れくさいのか、ところでシャイニングマンはどこよと話を変えて私達を見渡した。

「あいつなら、あそこで遊んでいますよ」

私は真琴相手に遊んでいるはずの隼人を指差した。

派手に動いてくたくたなはずの隼人より、真琴の方が先に疲れ切ってしまったのか、ベンチに座って水筒の麦茶を隼人に飲ませてもらっている。

あんなに動いた後にタフだよねと田中さんは可笑しそうに笑った。

「跳ぶし、動けるし、無茶するし。身体能力だけならプロでも充分いけそうだよねえ。うちのメンバーにもあんなのいないもん。……でも、私的には今回のMVPは中村君かな?」

 隣の折原が、へえと驚嘆混じりのような声を上げた。

「さっきもそう言ってくれて嬉しいっスけどね。俺、戦闘員役でうろちょろしてただけっスよ?」

「村上君の受けも大きいけど、その村上君の倒れる位置やカバーをしたり、危ない場所で大技の相手をしたり。中村君のフォローあってこそかな、磯崎君が活きるのは。こういったら何だけど、磯崎君て結構、暴走するタイプじゃない?」

 自分が多少評価されて嬉しかったのか、あまり関係ないのに村上先輩が私を見ながら、自慢げに胸を張った。

「……たしかに、私が彼の攻撃を正面から受けることが多いから言わせてもらうが、磯崎隼人の攻撃は独特で慣れるまでには長い時間掛けて知る必要があるのです。動きを分析してみればわかるが、磯崎の攻撃は打撃を起点にして数パターンとそれほど多くは無い。だが、その過程であいつの動きに独特の閃きがあって、理屈では無く身体で覚えないと思わぬ怪我をしてしまう。さきほど……」

「うん、まあ、あなたはそんなとこでいいや」

 田中さんが村上先輩の長くなりそうな演説を、あっさりと手で遮った。

「派手で見た目は凄いけどさ。ウチのメンバーを思い出すと怖いなあて思うんだよね。あの子の動きを誰がフォローできるのかなって。でもね。君と村上君がいれば何でも出来そうに思えちゃうんだよね」

「……」

「ショーの司会者としての立場からも言わせてもらうけど、怪我も無く、盛り上がってショーを無事終える事が出来たのはあなたのおかげだよ、中村君。君は高校生だし、選手としても磯崎君と競争して大いに頑張ってほしいけどね。あの子を生かすも殺すも中村君の存在は結構、大きいわよ」

「……」

「近くにあんな大物候補がいて、色々と思うことあるだろうけど、君には君の良さがある。私が保証するから。腐らず頑張りな」

 田中さんが優しく肩を叩くと中村君の目が僅かに潤み、口元に力が入ってぐっと堅く結ばれた。自分に言い聞かすようにして何度も細かく頷いた。

「……そっすね。頑張ります」

「青春だなあ」

 私の隣で、折原がぼそりと呟いた。

 私も同じ気持ちだ。ちょっと涙腺が緩みそうになって、二人の姿を眺めていた。

「田中さんじゃないスか。お疲れさんです」

 真琴との遊び相手を終えた隼人が、真琴をおんぶして戻って来ると田中さんの姿を見つけて挨拶をしてきた。背負われている真琴がお姉ちゃんやと田中さんを指差す。すると、田中さんは司会のキンキン声に戻って、シャイニングマンショーまた見てねと真琴が差した小さな指をとって握手を交わした。

「ところでさ。村上君から聞いたけど、君たちは経験を積むつもりでこういうバイトを選んだんだって?」

「そっすね。去年の文化祭に教室でやったきりで、あんな大勢の前でやるなんて機会が無いからチョー緊張しましたよ」

 アハハと隼人は馬鹿みたいに笑う。だけど田中さんはそんなに笑わないで、じっと隼人を見つめていた。田中さんはしばらく無言のままで、周囲の喧騒が間を繋いでいたが、やがてそれも終わると口を開いて君たちに相談なんだけどと言った。

「君たち、ウチの学プロに出てみない?」

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