第5話 親友に、悩みを打ち明けられまして
数学の抜き打ちテストも〝GK〟こと金沢さんの事前情報のおかげで、何とか良い点がとれた。
感謝の意を込め、みんなで三丁目のファミレスでパフェやケーキをご馳走したその翌日、私は先生に頼まれて校舎の屋上に向かっていた。
今日は二年生を対象にした進路相談があったのだが、面接の最後にあたった隼人が進路志望の用紙を進路指導室に置き忘れたとかでちょうど通りがかった私に白羽の矢が立ったのだ。
屋上に繋がる重い扉を開くと、バスンバスンと乾いた音が響いて来る。隼人を含め、ジャージ姿の三名の部員達が屋上の隅の方で、体操部から譲ってもらったというマットを数枚敷いて、その上で何度も何度も素早く受け身の練習をしている。
「あれえ? 愛美ちゃん。どうしたの?」
折原が私の姿を見るなり、驚いた様子で近づいてきた。普段、プロレス同好会が活動中の時間帯に屋上へと足を踏み入れたことは数えるほどしかない。何かあると家に遊びに来るのでメンバーとは面識があるどころじゃないけども、練習中に顔を出したのは数カ月ぶりだ。
「先生から頼まれて、隼人にプリントを持ってきたの。帰ってからでも良かったけど、帰りを待っているのが面倒だから」
私はそう言うと、プリントを宙にひらひら泳がせながら隼人の名を大声で呼んだ。
「……ちょっと、静かにしてもらえませんかね」
足元近くから声がしたので思わず飛び退くと、出入り口の影に隠れて陰気そうな男子生徒二名が座って、床に女の子の写真が載った本を広げていた。あとで折原から聞いたら『水原さとみ研究会』というサークルで、活動内容はよくわからないけれど、水原さとみというあまり有名でない声優アイドルついて追っかけ、熱く語る会らしい。
同好会や彼らだけでなく、夏の青空の下、屋上には他に数名ずつのグループがそこかしこに集まっていて、三味線の練習をしていたり、編み物を縫っていたり、怪しげな置物を中央に置いて、その周りで念仏のようなものを唱えている怪しい集団もいる。
同好会は主に余った教室を部活動に使用しているのだが、そこからあぶれた連中が放課後は解放されている屋上を使用していた。
当然、雨が降ると、居場所を求めてあちこち移動しなければならないのだが、同好会の面々はネジがゆるんでいる連中ばかりなのか、あまりめげない様子で、いつだったか「ジプシーウェイだな」とか「俺たち、パニッシ&クラッシュだぜ」などと、わけのわからないことを言って騒ぎながら、廊下を通り過ぎていったのを覚えている。
ともあれ、私の声にプロレス同好会の連中は私に気がついたらしく、手を休めて一斉にこちらに視線を向けていた。
隼人が私の姿を見てどうしたと近づいてきた。身体中汗びっしょりで、傍に寄るとむわっと汗臭いにおいが私の顔を包みこんだ。進路志望の用紙を示しながら、先生に渡すよう言われた旨を告げた。言い終わると、隼人はああと思い当たったように声を上げた。
「紙、置きっぱなしだったんか。わりいな。ラブ・ビューティ」
「それ、面白くないから、やめてくれない?」
私の訴えを無視して隼人が礼を言って用紙を受け取ると、私はついと背を向けた。
「……じゃ、そういうことだから。私、帰るね」
私の仕事は終わった。
昨日、金沢さん中心に打ち上げの祝杯をあげた形になっているので、今日は〝G・B・H〟の集まりも無い。帰って真琴の面倒と明日の予習をするだけだ。
ちょっと待ってよと折原が私の袖を摘まむ。
「せっかくだからさ。ちょっと見学していかない?」
私は帰るからと私は不満を漏らして折原の手を振りほどこうとするが、異様な馬鹿力で容易に放しそうもない。
「余所からの厳しい意見というのも、必要だと思うんだよねえ。ねえ?磯崎君」
「俺は構わないけど……」
「磯崎君もああ言っているんだし。ね?」
ウフフフフフと穏やかな笑みを浮かべながら、ぐいぐいと私を引っ張り込む。アンタがレスラーになった方がいいんじゃないのと思うほど強い力だったが、その折原の笑顔に僅かな影を感じる。どうしても居て欲しいという意思を指先から感じた。
結局、私は折原に言われるがまま、プロレス同好会の練習風景を見学する破目になり、マットの傍で折原と並んで座った。
基礎トレーニングは既に終了していたらしく、受け身の練習が終わると、次に2分5ラウンドの実戦的な組技によるスパーリングに入った。小鳩プロレスである程度の手ほどきは受けているせいか、動きはレスリングらしく機敏で激しい展開をマットの上で繰り広げている。
「どひゃあ」
と叫びながら、隼人に倒されたのが部長の村上先輩。
3人の中で誰よりも線が細くて、いち早く疲労困憊し、はあはあと激しく息を乱しながらも隼人に立ち向かっていく。
プロレス同好会の代表でリングネームは〝ハードヒット村上〟なんだけれど、別にきつい攻めが得意というわけではなく、去年の文化祭の試合だと、とにかく相手から打たれてまくって床で悶えていた印象がある。
時間でえすと折原が声を掛けると、村上先輩はよたよたとマットから降り自分のペットボトルへと向かい、押し込むようにして水を流し込んでいく。
「よし、次は俺か」
村上先輩と入れ替わるようにしてマットに上がったのは中村君だった。
中学の時、私との初デート時というかプロレス観戦にいた男の子で、あの頃よりも随分と背丈が増し、練習の成果もあってさらに迫力のある身体つきとなっていた。
声変わりしてから渋みも出て来て、隼人ほどではないけど運動神経もかなり良い。学業もそこそこ優秀だと聞く。
どちらかというとイケメンの部類に属するかもしれないが、リラックス効果のためだという身体をくねくねさせるのが、私にとっては多少マイナス。
去年の文化祭で、村上先輩の相手を務めたのが彼だった。
中学時代は一度会ったきりだからわからなかったけれど、高校になって会う機会が増えてから、物静かで几帳面な性格のわりにかなりのおっちょこちょいなところがある人だとわかった。
マットに上がった中村君の後ろ姿を見て、ふとあることに気がついた。
中村君と呼び止めると、首を傾げるようにして振り向いた。
「どうした?」
「中村君のTシャツ、前後反対じゃないの?」
私が指摘すると、あっと中村君は声をあげ、慌ててTシャツを脱いで着替え直した。
けっこうなおっちょこちょいなのだ。
昔風に言ったら、粗忽者とでも言うのだろうか。
何かしら不手際があって、会うと必ず鼻毛がちょこんと伸びていたり、食事の後だと米粒が顔のどこかに付着している。
授業や練習に関するものは忘れないけれど、替えのTシャツだとか片方の靴下を無くすだとか、細かい忘れ物や失敗は隼人より多い。
そういえば、いつだったか犬が校庭に入り込んで来たときも、近くにいた中村君がからかうつもりで自分の靴をかがせようとしたら、咥えて持ち逃げされ頭を抱えていた後ろ姿を目撃したこともあるっけ。
中村君も変わりものである。
どこか自分を達観しているのか、村上先輩が名付けた〝モコス中村″というリングネームも「響きが良いよね」とあっさり受け入れたらしい。
でも、モコスはスペイン語で〝鼻くそ″だぞ。
中村君にも、中村光明(こうみょう)なんて立派な名前があるのに。
そのモコス中村君のレスリング技術はなかなかのもので、彼より背も体格も大きな隼人が何度も倒されてはグラウンドに持ち込まれている。
隼人も一本までは極めさせないものの、防戦一方で、自分よりほんの少しとはいえ、小さい相手に苦労している隼人の姿は痛快で面白かった。
スパーリングが終わって次のミット打ちでは、隼人は中学で学んだ空手の経験を活かし、細かいステップを使い、小気味良い音を立てながらミットに打ちこみ蹴り込んでいく。
小鳩プロレスでは打撃も学んでいるらしく、中学の時とは随分スタイルが変わったけれども、何だかいっぱしの格闘家のように見える。
プロレスに細かい打撃の技術なんて不要に思えるが、技に説得力を持たせるために打撃にも力を入れているらしい。これも各自3分5ラウンドを済ましたら、ようやく各個人の技の研究に入る。
隼人は中村君相手に、ブルドッキング・ヘッドロックとドロップキック。
村上先輩とはロックアップからの固め技の基本的な練習ばかりしている。
意外と地味にやっているんだねと思わず漏らした私の呟きに、折原が「基本が大事だと、栗栖さんからも言われているから」とにこやかに笑みを浮かべた。
「……ふうん」
洋平さんの名前が出て、僅かに心が疼いたが出来るだけ表に出ないように、努めて無関心を装った返事をした。もうあれから月日も経って私も少しは大人になったし、名前を聞いた程度で心は動かないと思ったけど、なかなかそうもいかないらしい。
私は自分の腕時計をチラリと見た。この場にいたらプロレスの話になるのは当たり前し、その流れで洋平さんの話題も出るだろう。時間も既に30分以上過ぎている。
気になっていた折原からは特にアクションもなく、私の思い過ごしだったようだ。
「そろそろ、私、帰るね」
そう言って立ち上がると、折原がせっかく来たのだから一緒に帰らないかと誘ってきた。そういえばここ半年余り、折原とは一緒に帰ったことがない。でも、折原の帰りを待てばそうなると隼人やプロレス同好会のメンバーもついてくることになる。
そんなのは御免だった。
「汗臭いあいつと一緒に帰るなんてまっぴらよ。それに……」
「それに?」
「隼人とアンタとの間に割って入るほど、私、野暮じゃありませんからねえ」
私が冷やかしまじりに言うと、折原は珍しく顔を真っ赤にして俯いた。
「どうしたの?」
「うん……。ちょっと相談したいことが起きて」
「何? 隼人のこと?」
「うん……、まあ、ね」
そう言って折原はチラチラと隼人たちを見ている。
私達との距離とはそれほどはなれていないのだが、みんな練習に夢中で、今のわたしたちの会話も耳に入っていないようだった。
「愛美ちゃん。ちょっと来て……」
折原は私の手をとり、屋上の出入り口まで私を連れて行こうとする。
「おい、ラブ・ビューティ! もう帰るのか?」
私と折原が離れて行くのに気が付き、隼人が大声で怒鳴った
「誰がラブ・ビューティじゃ、バカたれえ!」
折原に引っ張られながら大声で怒鳴り返し、他の同好会の人達が何ごとかと一斉に私達へと視線を向ける中、私と折原は屋上の建物内に入った。
「どうしたのよ。さっきから」
「愛美ちゃん……。あのね」
困ったことがあってと折原はもじもじと身をよじって俯いている。
「……?」
「私ね。部活の前、よそのクラスの男子に告白されたの」
「へ?」
「サッカー部の井上くんという人なんだけど。愛美ちゃんは知ってる?」
知らないと私は首を振った。
「私、どうしたらいいかな?」
「どうしたらって……。アンタが隼人のことを好きなんですと言って断るしかないんじゃないの?」
その人、磯崎君を通して告白してきたんだよと、悲痛な表情で詰め寄ってきた。
私は返答に詰り、次の言葉が出て来なかった。
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