第2話 わたしの友達

 私が当時、目にした光景。


「アンタたち……」

 顔面が強張り、恥ずかしさと怒りで震える声を必死に抑えながら、隼人と折原に声を掛けると、隼人がようとあっけらかんとした口調で私の顔を見た。

 そこで初めて気がついたふうに、周囲に集まった人だかりを見渡した。

「あれ、何でこんなに野次馬がいるの?」

「アンタたちこそ、何やってんの?」

「村上先輩がレスリングの良い本を買ってきてくれてさ。胴タックルの練習。折坂に付きあってもらったんだ。折原、こう見えてパワーあるし」

 パワーは酷いよおと、折原が呑気に笑いながら隼人の身体をぽかぽか叩いた。

 その後、騒ぎを聞きつけた先生がやってきて、お相伴を喰う形で何故か私も説教に付きあわされた。事は何故か大きくなって家にも連絡され、またしても私は説教に付きあわされた。ただ、説教された隼人本人が良く分かっておらず、部屋で「廊下でタックルは倒れた時に危険だからかなあ」と首を傾げて真剣な表情で私に訊ねてくる。

「廊下で抱き合っているからでしょ。なんとも思わないの」

「プロレスはロックアップから始まるもんでしょうが。それを否定してどうすんだよ。何、お前はゴング前に攻撃仕掛けるのがデフォになっていたジェット・シンか」

 くだらない例えに思わず殺意が湧いたが、無邪気な顔で悩んでいる隼人の顔を見ていると何を言っても無駄だと諦めることにした。折原の方はさすがに理解しているので、これからは彼女からやんわりと誘導してもらうしかないと思っている。

「磯崎君。けっこうトンパチなとこがあるからねえ」

「……そういうプロレス用語もやめなさいっての。私は少しくらいわかるけど」

「私も同好会のメンバー以外だと、愛美ちゃんにしか使わないよ? 興味を持ったのは去年からだし、そんなに詳しくないもん」

 磯崎君のおかげかなあと折原はにこやかにほほ笑みを浮かべながら、サンドイッチを頬張った。

 だが、私は気づいているのだ。

折原が他の女子との会話のなかで「ケーフェイだよねえ」だの「それじゃ、まるでクリス・ベノワだよお」だのつい漏らして、頭の上にクエスチョンマークを浮かべている彼女らの顔を。

 たった数カ月とはいえ、去年の今頃までは〝G・B・H〟のメンバーだったのになんでこうなってしまったのか。

「愛美ちゃんも同好会に入ればいいのに。去年の文化祭もかなり盛り上がったしさ。一緒にやろうよ」

「あの人形との試合がねえ……」

「うん。次の文化祭では映像研究会とコラボして映像で煽るの。校内放送を使って『姉の磯崎愛美が緊急参戦!』と宣伝して、そんで磯崎君とタッグを組む。……こういうのどうかな?」

「やだよ、そんなの。……馬鹿みたい」

 断る理由は百万個ほどあるけれども、多すぎて並べるのも無理だ。

ただ、思わず発した最後の言葉に、ちょっと言い過ぎたかなと思ってチラリと折原の顔を見ると相も変わらずニコニコと笑っている。こういう無邪気なとこが実に可愛らしくて、折原には敵わないなと思う。私は小さくため息をつくしかなかった。

 去年の文化祭に、隼人はプロレス同好会のメインを飾った。

 といっても、同好会は折原含めての四名しかいないので、先に二人が試合をして、隼人がトリを務める。

 対戦相手がいないのにどうしたのかというと、相手はどこかで拾ってきた等身大の汚い人形。

 世間ではダッチなんたらと口にするのも嫌悪感を覚える物体を対戦相手にし、隼人はフランケンシュタイナーやパイルドライバーを仕掛けられたふりをし、返しにその場式スターダストプレスなど大技を駆使して、教室内でばったんばったんと壮絶なバトルを繰り広げたらしい。

 らしいというのは最後まで見なかったからで、私は隼人が真面目な顔をして変な人形と組み合うところで、恥ずかしくなって退室してしまった。後で最後まで見ていた男子生徒らからは、「お前の弟は凄いな」と感嘆と賛辞の言葉が投げかけられたが、多くの女子からは冷笑と共にネタにされただけで、私にはただただ恥ずかしいだけの思い出でしかない。

「今年は、文化祭のほかにも色々と考えているみたいだよ。小鳩プロレスの人達も乗り気だし」

 小鳩プロレスとは、町内にあるインディー団体である。

社長はグレート小鳩という巨漢のおじさんで、現役時代は悪役レスラーとして有名だった。何度か話したことがあるが悪役の面影はない。とても気の良いおじさんだ。

隼人がそこに所属している栗栖洋平さんというレスラーと仲が良くて、最近では同好会のメンバーが彼を通じて週一で練習に行く。師弟の間柄みたいな関係だった。

「……ふうん。プロがまともに素人を相手してくれるとは思えないけど」

 私は食べ終えた弁当箱を片付けながら、自分でもわかるくらいに素っ気なく言った。すると、そうでもないよと、折原が穏やかに反論する。

「みんな、練習、一生懸命だから。向こうも熱心に教えてくれるよ」

「……ふうん」

 私は同意をしなかったが、反論もしなかった。同意をしなかったのは、隼人を誉めるようで癪にさわるから言いたくなかったからだが、たしかに、同好会というわりには隼人たちはよく練習する。顧問やちゃんとした格闘技経験者もいないのに。

〝どんなに疲れていても寝る前に腕立て100回、スクワット100回〟

とハイブリッドレスリングな標語を練習の柱に掲げる同好会のメンバーは、とにかくひたむきだった。

 立ち上げ当初の頃は朝練でスクワット500回、受け身300回は当たり前のようにやっていたというし、下手な体育会系よりもハードかもしれない。校内の使用時間の関係からメニューの変更を余儀なくされたものの、小鳩プロレスの方々から練習方法を学んでその分合理的で濃密なメニューになり、いつもへとへとになって家に帰ってくる。

 元から体格が良かったが、小鳩プロレスと関わるようになってからは身体つきも随分と変わり、高校生のわりには随分と厚みのある身体となり、ウチの体育会系の部員に引けをとらない体格となっていた。

「ま、一生懸命なのはわかるけど、私まで巻き込まないでよね。私は〝G・B・H〟で手いっぱいなの。隼人と関わるのは中学でこりごりなんだから」

「……」

「磯崎隼人は、アンタに任せた」

「はあい。任されましたあ。お姉さん」

 恭しく折原は頭を下げ、ニコリと微笑んでみせた。抱きしめてやろうかという衝動に駆られるくらい素敵な笑顔だった。

 その時、噂の張本人がおおいと教室に駆けこんで来た。

 駆けこんで来た割に間延びした呑気な声だと思った。

「ラブ・ビューティ。ちょっと助けてくれよ」

「……誰が、ラブ・ビューティじゃ」

「数学の教科書貸してくれよ。今日、忘れちゃってさあ」

 そう言いながらずかずかと近づいて来る。そして折原と目が合うと、オッスと隼人は軽く手を上げて挨拶を交わした。

 周囲からは噂の二人という囁きと好奇の視線が浴びせられてくる。

 私には関係無い筈なのに、何故かその視線が痛い。

「またなの? アンタ、しっかりしなさいよね。今月、これで三度目でしょ?」

「鞄にプロレスの教科書を優先してたら、忘れちゃってさあ……」

 隼人にとっての〝プロレスの教科書〟とは、プロレス関連の週刊誌やムック本、専門書、あとは小鳩プロレスからの指導内容を記したメモ等、授業の合間を縫って熟読する資料を指す。

 とりあえず数学の教科書を渡すと、隼人は恩に着るわと古くさいような言葉を吐いて教室から出て行った。恩に着るといっても隼人から何かしてくれた覚えがなく、店の手伝いすら替わってくれたためしがない。まあ、いても調理もできないから大して役に立たないのだけれど。

 隼人が帰ったあと、相変わらず仲が良いねえと折原がニコニコしながら言った。

「普通でしょ?学年が一緒だから、顔を合わせる機会が多いだけで……」

「そうかなあ?愛美ちゃんたち双子に見えないよね。黙って並んでいると顔がそっくりだけど」

「じゃあ、何に見えるの?」

「なんかな……、恋人みたい」

ニヤニヤと笑って私は折原が何を求めているかピンときた。

「いやいやいやいやいやいや……」

 ゴールデン☆ラヴァ―ズじゃないから。

 ケニー・オメガじゃないんだからね。

そんな返しが私の頭の中に浮かんだが、あまりにも寒すぎる。

口まで出かかったジョークを呑みこんだものの、代わりのものがそこから浮かんでこない。


 言えば折原はわかってくれたろうし、心から喜んでくれただろうが、そんなギャグなんて、わたしゃ嫌だよ。

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