その場式すぎる彼について

下総一二三

第1話 弟と書いてバカと呼ぶ

 ええと、まずはどこから話したらいいかな。

 とりあえず、バカな弟のことから。

 弟の磯崎隼人の無茶で無鉄砲な性格は昔からで、忍者ごっこと称して隣近所の庭に忍び込んでは大事な植木鉢を壊したり、廃ビルでまだ稼働中の警報機をいじって大騒ぎになったり、度胸試し根性試しと別のビルで屋上から屋上を飛び移ったり、近所の飼い犬の顔に落書きしたりとロクなことをしてこなかった。

 外に出歩けば何かしら問題を起すものだから、その度に両親が謝罪に奔走していたものだ。

 無茶ばかりするものだから、生傷が絶えず、身体中いつも絆創膏だらけだった。親に叱られても怪我しても反省するのは一時のことで、三歩歩けばけろりと忘れるような鳥頭程度の脳みそだったから、何があっても能天気に外を駆け回っていた。

 中学に上がって空手に熱中しだしてからは、少しは大人しくなったかなと思っていたけれど、そんな矢先に中学三年生の冬、隼人は校庭で左のアバラの骨折る大怪我をした。卒業間際でみんな希望と不安を抱えて過ごしていた時期にだ。

 なんでも、ファイヤーバード・スプラッシュができるようになったからと、朝礼台の上から飛び降りたらしい。

 知らない人にはなんのこっちゃわからないだろうけど、プロレス技の一つでコーナーポスト上からくるくると前方回転しながら飛び降りてボディプレスで攻撃する技。 

 ウチの隼人は馬鹿だからやったけれども、着地に失敗すると肩を脱臼したり大怪我したりと大変危険な技だ。

 それをあの馬鹿は、面白半分でやってみせた。

 マットだとかクッションもろくに敷いてないのに。

 何考えてんだかわかんない。

 とにかく事故当時、運動場は柔らかな砂地だったので、左のアバラ一本程度で済んだものの、これがもっと硬い、アスファルトみたいな地面だったら、もっと酷い怪我だったに違いない。

 私はその時、教室で日直の仕事がてら相方の友人とダベっていたのだが、先生から知らせを聞くと大急ぎで現場へと駆けつけた。

 既に救急車も到着していて、騒ぎを聞きつけて集まった生徒達の間から隼人が運ばれてゆく姿が見えた。

 人垣をかき分け、隼人の傍に駆け寄ると、苦しそうに呻き声を上げている。

 ちょっといざこざがあって弟との関係が冷えていた時期の私も、やはりそこは家族だ。心配になって隼人の手を握りしめると、私の声に気がつきうっすらと目を開けた。カッと目の奥が熱くなって、涙が出そうになっていたのをおぼえている。

「……愛美か?」

「隼人、お姉ちゃんここにいるからね。しっかりしなよ。お医者さんがちゃんと治してくれるから」

「愛美……。おい、見たか?」

「……何、何を見たの?」

 今度はよと、隼人が反対の手で握りこぶしをつくってみせた。

 うっすらと開いたまぶたから覗く瞳は力強く輝ぎ、真夏の日差しみたいにギラギラとして眩しいくらいだった。

「今度はよ、フェニックススプラッシュで挑戦してみるからな」

「……」

「あ、でもシューティングスタープレスもかっこいいんだよなあ……」

「……」

 私の中でかっか、かっかと熱かったものが、急速に冷めていくのが自分でもわかった。

 私はライガーの入場曲を呻くように呟きはじめた隼人の手をそっと離し、唸りながら車内に運ばれて行く様をじっと見送っていた。

 救急隊の人からは「家族の人?」と訊ねられたけど、「他人です」と精一杯のにこやかな笑顔で答えると、教室に戻って日直の仕事をきちんと片付け学校を後にした。その後、退院するまで見舞いにすら行かずに、隼人が退院してから「何で来なかったんだよ」と散々ぼやかれたけれど、馬鹿の見舞いに誰が行くか。


※      ※        ※


「すごいんだねえ。磯崎君」

 思い出話を終えると、向かいに座るクラスメイトの折原朱音が、間延びした口調で感心したように頷く。

「馬鹿よ、馬鹿」

 あれだけ心配させといて。

 思い出す度にムカついてくる。

 私は弁当箱のミートボールをフォークに刺すと、そのまま一口で頬張った。

 とたんに濃厚な肉汁が口の中に広がっていく。肉汁と共に幸福感も一緒に広がって、私はしばらく口の中のミートボールを堪能していた。お母さんの作ったミートボールは、市販のものより肉が詰っていてとても食べ応えがある。店の〝秘伝〟と称する甘いタレも大好きだ。

「でも、その馬鹿っぽさがクレイジー・ハヤトらしいんだよねえ」

折原はうっとりとして宙を見上げている。

 クレイジー・ハヤトは隼人のリングネーム。

 あばたもエクボというのか、惚れた弱みか。今の折原朱音にとっては馬鹿も美点に見えるらしい。

「アイツの世話はアンタに任せるわよ。私は私で忙しいし」

「忙しいって愛美ちゃん、帰宅部だよね?」

「そうよ。お小遣いからやりくりするのは、チョー大変なんだから。あんたもよく知っているでしょ?」

 そう。私は帰宅部なのです。

 帰りに本屋で立ち読みしたり、ファミレスでダベッたり、コンビニで買い食いにこの上ない喜びを感じるのだ。他にも同志数名いて、私達は〝豪快にぶらぶらと放課後を過ごす会〟、略して〝G・B・H〟と称している。

「愛美ちゃんも何かやれば良かったのに」

「膝が悪いから無理」

 あ、と折原が一瞬気まずそうな顔をしたのを見逃さず、私はすぐに武藤バリにねと顔をしかめて武藤敬司の真似をしてウィィと口を歪めると、折原は急に顔を明るくして、心底嬉しそうに手を叩いて喜んでいる。

 折原には暗い顔は似合わない。いつもにこにこしていて欲しい。

「アンタこそプロレス同好会のマネージャーなんて辞めて、他のところ行けば? バスケ部や陸上部からお誘いあったんでしょ?」

 折原は眼鏡っ子で大人しめの外見や口調に関わらず、運動神経は抜群だった。

 うらやましいくらいの巨乳のくせに。

 170センチを超える大きな体つきなのに、去年のマラソン大会でも三位に入賞していたし、クラス対抗のバスケ大会でトリプル・ダブルを連発し、八面六臂の大活躍をしてクラスを優勝に導いたことでかなり注目されるようになった。

 巨乳のくせに。

 それに比べれば、私なんて特にこれといった特技も無い。

 ただ、身体を動かすことは大好きだった。

 中学ではバスケ部だったけれど、中二の秋に膝のじん帯を痛めてドクターストップがかかってしまい、早々にリタイアしている。好きなことを無くすということは翼を奪われた鳥になった気分だった。飛べない鳥でもダチョウには足がある。ペンギンは巧みに泳げる。

 でも、私には他に何も無い。

 ここから先、何をどうしたらいいんだろうと何も見つからず、途方に暮れたまま地面でもがいている。

 結果、私は単なる帰宅部。

 ウチの学校ではどこかの部に所属しなくてはならない規則らしいけど、実際はそうもうまくいかず、私のようにどこにも所属しないで三年間過ごす生徒も珍しくないようだった。

 マネージャーも大変なんだよおと折原は語る。

「練習着の洗濯に……、トレーニングやダッシュタイムを測ったり、自転車でみんなを先導したり、技の確認につきあったり……」

 最後の「技の確認」という言葉に反応して、私はアスパラガスをフォークに刺したままくるくると小さく振り回しながら言った。子猫が手を振っているみたいで、それだけの仕草が変に可愛らしい。

「そういえばさ、先週見たいなことは、もう、やめてよね」

「先週? なんだっけ」

「ほら……、廊下で、覚えているでしょ?」

 自分で恥ずかしくなってきたので、思わず顔が熱くなるのを感じながら言葉を濁し気味に言うと、折原は何かに思い当たった様子であれかあと声を上げ、次に僅かに顔を赤らめながらうふふと呑気そうに笑っている。

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