第29話 探し物5

「ライオン作戦?」


 呆れた顔で僕がそう訊ねればアオイはむくっと起き上がりすぐに下着を穿いてピンクのTシャツを着た。


「うん、真也君、『ライオン』って映画知ってる?」

 聞いた事が無い。ぱっと頭に浮かんだのはライオンキングだった。


「知らない」

「あのね、ライオンって言うのは……」


 彼女はその映画についてスマホで検索するとあらすじを読んで聞かせてくれた。


 オーストラリアで幸せに暮らす青年サルー。しかし、彼には隠された驚愕の過去があった。インドで生まれた彼は5歳の時に迷子になり、以来、家族と生き別れたままオーストラリアへ養子にだされたのだ――。成人し、幸せな生活を送れば送るほど募る、インドの家族への想い。人生を取り戻し未来への一歩踏み出すため、そして母と兄に、あの日言えなかった〝ただいま″を伝えるため、彼はついに決意する。「家を探し出す――」と。手がかりはおぼろげな記憶と、グーグルアース。1歩近づくごとに少しずつ蘇る記憶のカケラは、次第にこれまで見えなかった真実を浮かび上がらせていく。 大いなる「探し物」の果てに、彼が見つけたものとは――。


「ね!? すごくない? 真也君と同じ境遇だよ?」

 アオイはあらすじを一気に読み上げると興奮冷めやらぬ様子でまくし立てた。


「確かに同じような状況だけれど、どうやって探すの? まさか本当にグーグルアース?」

「うん、真也君の記憶にある風景とよく似た場所を探してストリートビューで見て行けば記憶の風景と同じ場所があるかも知れないよ?」


 それにしたって僅かな記憶とグーグルアースだけで見つけ出せるのだろうか。


 映画の主人公は5歳の時にたまたま駅に停車中だった長距離回送列車に迷い込み、2,3日かけて知らない大都会へ運ばれてしまう。その後彼は、オーストラリア人の夫婦に養子として引き取られ30歳になった時に自分の故郷を探し出そうと決意するのだ。手がかりは時速22キロで進む列車に2,3日乗っていたという事と僅かな景色の記憶。それを頼りにグーグルアースで距離や方向を特定し、ついには生まれ故郷を見つけ出すと言う、実話を元にしたストーリーらしい。彼の場合は本当に奇跡だったのだろう。


 だけれど、皆が皆、そんなに上手く行くとも思えない。


「真也君の場合、映画と違ってもう山形の村山地方って事まで判ってるんだよ。インド全体に比べたら余裕余裕」

「簡単に言うなあ」

「いいじゃん、毎日少しづつでも村山地方をストリートビューで見て行こうよ。焦らなくたっていいんだし。ね! ね!」

「うん、わかったよ」


 僕がそう答えると、アオイは早速ノートパソコンを立ち上げた。


「え? 今からやるの?」

 僕がそう訊ねれば、「思い立ったが吉日って言うでしょ?」と、テンプレで返される。それより明日も仕事なんだんけど。

「じゃあ、ちょっと飲み物を」

 やれやれと思いながら、下着を穿いて立ち上がると、「お酒のも?」とアオイが言う。さっきも飲んだじゃないか。


「さっきも飲んだじゃん」とアオイに言うと、

「祝い酒だよ」などと意味不明な供述をしており、仕方なく缶チューハイを冷蔵庫から取り出した。隣に座り甘ったるい桃のチューハイを一口飲んでアオイに手渡す。グビグビと喉を鳴らしながらチューハイを流し込むアオイを見て、変なスイッチが入っちゃったなと思った。


 衛星画像を見て記憶に似た場所を2人で探した。橋の欄干らしきものが見えたから川があるのだろう。そして両サイドが田んぼだった。ただし、これは今現在も田んぼとは限らない。18年という年月は長いのだ。宅地に変わっていてもおかしくない。そう考えるとこの計画は恐ろしく無謀に思える。だからもう一つのヒント、墓だ。西を向いて、橋の欄干があり、橋の手前か向こう側かは判らないけどお墓がある地形を探す。両サイドが田んぼだと言う情報はこの際無視した。

 チューハイを一気飲みし、酔ったアオイは早々に僕の肩に頭を預けトロンとしている。仕方なく僕だけで捜索を続ける。言い出しっぺが真っ先に戦線離脱するなんてけしからん。

 無謀に思えたこの計画も、始めて見ると手が止まらなくなった。ここかも、ここかも、と見て行くうちに時間はどんどん過ぎて行く。これはいけないと思い、1日の作業時間を決めようという事になった。1時間。一日に1時間だけグーグルアースを見て捜索をする。そうしようと取り決めをして今日の作業は打ち切った。

 目が虚ろなアオイを抱きかかえベッドに乗せて僕も横になる。額にキスをしてやり、「おやすみ」と声をかけると僅かに微笑んだ。



 そして翌日から夕食後に1時間だけと時間を決めて山形県の村山地方とやらの衛星画像を頼りに、僕の記憶にある景色に似たような所を探していった。


 しかし問題が発生する。東京とか、大阪とか、名古屋とかの都会に比べて、山形の農村地や山の方まではグーグルカーが行っていないのか、それらしい地形を見つけてもストリートビューが無いのだ。

 それでもなんとかストリートビューのある景色を見つけてもいまいちピンと来ない。やっぱり無理なんじゃないだろうか。そもそもあの記憶の景色が山形という保障も何もないのだ。


 そんな事をしながら10日程が経過し、世間では今週末からお盆休みに入る。勿論、ラブホテルにお盆休みなどない。むしろ、平日昼間から盛りの付いたカップルがノータイムを利用して長時間の愛を確かめにやって来る。

 ノータイム利用の客は入ってしまえば5~6時間出てこないから楽と言えば楽なのだけれど、ノータイムの終わる午後5時にもなると退室ラッシュが始まって清掃待ちの客室が増える。それでも朝の退室ラッシュに比べれば大したことない。ただ、僕の退勤時間と重なる為、結局毎日1時間くらいは助っ人として引き下げ業務を行い残業になる。


 その日も午後7時に勤め先を出てアオイにメールをしてから帰宅の途に就く。


 いつもの様に混雑した電車に揺られ自宅へ着くとアオイが料理を作っていた。彼女は今日は休みらしい。


「おかえりー」

「ただいま、はあ、涼しい。生き返る」

 部屋に入るとエアコンが頑張って空気を冷やし僕を労ってくれる。本当に昔の人はエアコンなしで良く生活できていたなと思う。暑い中仕事から帰ってきてこれ程僕を労ってくれる物があるだろうか。


「今、鮭焼いてるから」

 部屋に入った瞬間焼き魚の匂いが充満していたから何となく予想は出来ていた。


「うん」

「先、シャワー浴びる?」

「いい、後にする」

 この時期、食事をするだけで結構汗をかくから先にシャワーを浴びるのが勿体ない気がする。


 鮭とほうれん草のお浸し、レンコンの煮物と味噌汁。今日は和食のようだ。こんなもの僕一人では絶対に作れないのでアオイの存在は本当に助かっている。


「煮物の味付けどうかな?」

「美味しいよ」

 しゃきしゃきと歯ごたえの良いレンコンをかじりながら答えた。


 夕食後1時間程2人でくっ付いて寛ぎ、「アイスコーヒー飲む?」とアオイが訊いてくるので「うん」と答える。これが最近、グーグルアースを見始める合図となっている。


 アオイがキッチンでアイスコーヒーを淹れてくれている間にノートパソコンを立ち上げる。キューンと音がしてゆっくりパソコンが立ち上がっていく。


 アオイがアイスコーヒーを2人分持って戻ってくる頃にはパソコンは立ち上がった。

 いつもの様にグーグルアースを開き、記憶にあったような地形を探していく。田んぼに真っすぐ一本道。少し先には橋の欄干の様な物が見える。左前方にはお墓が見えて、ずっと遠くには山の稜線が連なっている場所。記憶では夕日が山に沈んで行ったから西を向いている筈だ。


 それっぽい所をクリックし、ストリートビューがあれば景色を見る。そんな事を繰り返していた。



 そして、その時が訪れる。



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