第28話 探し物4

 僕が『ときめき空間』へ移動してから1ヶ月が経とうとしていた。業務も順調に覚え梶原さんとシフトをずらして勤務する日も近付いてきた。ときめき空間は以前いたタイムカプセルと違ってメルヘンチックな造りになっており、客室にある調度品や家具なんかも可愛らしい物が選ばれている。これは女子受けを狙っての物だと思われるのだけど、ラブホテルを選ぶ基準でこういった事は重要視されるのか甚だ疑問である。凝った造りの分、掃除が少し面倒くさい。


 職場のバイトさん達も良い人ばかりで、特に主婦のオバサン達にはかわいがられた。オバサン連中は休憩時間にオバサン同士でお菓子の交換会を行っていて毎日多種多様なお菓子が休憩室のテーブルに並ぶ。パートの時間の1時間はこのお菓子の為に働いているのではないだろうか。


 仕事終了間際、客室が少し混雑した為、僕も引き下げに加わり客足が落ち着くころには午後7時になっていた。業務日誌を書き、スーツに着替えてタイムカードを押す。

 従業員出入口から外に出ると夜にもかかわらず湿気を含んだ熱気が僕を包み皮膚を湿らせる。不快感を感じネクタイを少し緩めた。


 アオイに仕事が終わった旨のメールをしてから駅へ向かい、自宅に着くと真っ先にエアコンのスイッチを入れ汗で不快な体を洗い流す為シャワーを浴びた。


 シャワーを終え部屋に戻るとブーンとエアコンが健気に働いて室内を快適にしてくれている。本当にエアコンを発明した人はいったい何人の命を熱中症から救ってくれているんだろう。ノーベル賞物じゃないか、等としょうもない事を考えながら適当に寛いでいるとアオイがバイトから戻って来た。


「涼しー。ごめんねー、お腹空いた?」

「大丈夫だよ」

「すぐご飯作るから」

「ゆっくりでいいよ」


 今日は冷やし中華のようだ。暑いから有難い。僕も夕食作りを手伝う。


「マヨネーズいる?」

「僕はいらない」

「おいしいのに」

 そう言うとアオイは冷やし中華の上から大量のマヨネーズをかけた。


「それ、マヨネーズの味しかしなくない?」

「それが美味しいんじゃん」

 もはや中華でも無くなった冷やしマヨ麺を美味しそうに食べている。


「ほら、また口の周りにマヨネーズ付いているよ?」

「後で取って?」

 

 食後、アオイがシャワーを浴びている間に食器を洗う。アオイが作り僕が食器を洗う事が暗黙のルールになっていた。


 アオイがシャワーから戻り2人でベッドの縁に背中を預け、エアコンの風に当たり涼みながら缶チューハイをちびちび飲む。500mlの物を買ってアオイが4分の1を飲むのが最近の習慣になっていた。弱いくせに飲みたがる。そして酔うと大抵隙だらけになるのだ。こんなんで大丈夫だろうか。外で勝手に飲むなと言いつけているけれど、大学の飲み会などがあったら心配でしょうがない。


 案の定アオイがコテンと僕の肩に頭を預ける。


「ふぅ……」

「もう、酔ったの?」

「うふ」と言ってキスをせがんでくる。


「僕のいない時に外で飲んじゃダメだよ」と言ってキスを落とした。すぐに息が乱れ甘い吐息を漏らす。


「ん……ねえ、わたしってチョロい?」

 紅潮した顔で物足りなさそうな顔で訊いてくる。再び唇を重ね舌を絡める。

 顔を離すと咎めるような顔で甘く囁く。


「ねぇ……欲しい」

 そう言って僕の下半身に手が伸びる。

「したいの?」

「うん……」


 そのままベッドへ上げて体重を預けた。



 エアコンの風が情事後の僕たちを撫で火照った体を冷やしてくれる。しばらく仰向けで息を整えていたアオイが寝返りを打ち僕の腕の中へ入ってきた。僕は彼女の頭の下に腕を差し込み腕枕をしてやる。満足そうに腕の中で丸くなるアオイの髪を撫でてやった。


「これ、何の痕?」

 僕の腕の中で胸に残っている3つの火傷の痕を指差しながらアオイが訊いてきた。

「火傷の痕だよ」

「火傷?」

 僕も子供の頃はこれが何の痕なのか分からなかったけど、中学の時、たまたま病院で医師にそう説明された。どうやって付いたのかは説明されなかったけれど、1センチ位の丸い火傷の痕はタバコを押し付けられて出来たようにも思える。


「うん、きっと火傷だろうって病院の先生が言ってた」

「そうなんだ……痛そう」

「もう、痛くないよ」



「ねえ、新しいとこ、かわいい子いる?」

 僕の腕の中で僕の胸の火傷の痕を指で突きながらアオイが言った。汗で髪が纏まり額に張り付いている。甘い香りが僕の鼻孔を刺激した。


「……いないよ」

「あ! いるんだ?」

「いないって」

「全然いないって事ないでしょ?」

「アオイより可愛い子はいないよ」

「でも、いるんだ?」

 こうなると、不自然でも嘘を吐くしかないんだよなあ。


「全然いない」

「ホントにホント?」

「ほんとにほんと」


「……浮気しちゃだめだよ?」

 随分浮かない顔で言う。本当に心配してそうだ。


「しないよ」

「ほんと?」

「……うん……ほんと」

「あ! なに? 今の微妙な間。やっぱりするんだ?」と言って僕の脇腹をくすぐって来た。


 それは本当にするりと口から出た。コップを倒せば中の水が当たり前の様に出てくる様に、熱い物に触れたら「熱っ!」って叫ぶように、無意識で、無自覚で、そうされたら当たり前の様に。


「ひひ、やめて! こちょびたい!」

 僕をくすぐる彼女の手がピタリと止まった。


「ねえ、今、なんて言った?」

「ははは……はあ、はあ、え? なに?」

「今、なんて言った?」

 同じ質問を繰り返した。


「え? どの部分?」

「わたしがくすぐった時に言った言葉」

「え? やめて、くすぐったい?」

「違うでしょ? こちょびたいって言ったよ?」

 そう言われてみれば、そう口から出た気がする。無意識だったからはっきりとは覚えてないけど。


「言ったかも知れないけど、それがどうしたの?」

「それ、山形の方言なんだよ?」

「そうなの? 勝手に口から出たけど」

「わたし、意識して訛りなまりが出ないように話しているからわたしから聞いた言葉じゃないよね?」


「うん、そうだろうね。テレビかなんかで聞いたのかな?」

 考えてみるもいつどこで聞いて僕の語彙帳に登録されたのか分からない。


「ひょっとして、真也君って山形で生まれたとか?」

「そんな馬鹿な。どうやって3歳児が一人で東京の築地まで出てくるの?」

「そうだけど……でも、ほら、微かに残っている記憶にも田園風景とか山が見えたって言ってたじゃん」


 確かにその記憶はある。だけれど、あの光景が本当に記憶なのかも曖昧だし、山形で見た景色と言う根拠もない。

 それに、突然山形で生まれたなんて突飛も無い事言われても「ああ、そうなんだ」って簡単に受け入れる事なんて出来ないし。


「東京に出てきて、標準語になった人でも、緊張したり、怒ったり、我を忘れた時なんかに訛りが勝手に出ちゃうって聞いた事があるよ?」

「そうなの? じゃあ意識の奥底にあった普段使わない訛りがポロっと出たのかな……」

 確かに、3歳なら話す事も出来ただろう。それまでに使っていた言葉を記憶していても不思議じゃない。


 そうは言っても、本当に山形で生まれたんだろうか。にわかには信じがたい。どうやって3歳の子供が1人で東京まで出て来たんだって言う問題もある。宇宙人はいるけど遠すぎていまだに地球には辿り着けないのと同じような物だ。


 それに、仮に山形で生まれたとして、だからと言ってなんなんだろうか。生まれがどこだろうがどうでも良くないだろうか。たまたまアオイと同郷って言うのは親近感が沸くけれど、東京に長く居過ぎたせいかやっぱり僕の田舎は東京だ。今さら山形生まれだって判明したところで僕の生活は変わらない。


「ねえ、生い立ちを探ってみようよ」

 また突拍子もない事を言い出す。


「生い立ちを探る?」

「うん、日本中の中から探すのは無理だけど、山形って絞られたなら出来るかもしれないよ?」

 そうだけど、それでも山形だって広いしその中から探すのなんて無理だろう。手がかりなんて殆どないんだ。


「いや、山形って判っただけじゃ無理でしょ? 山形と言えども広いんだし」

「ううん、さっき真也君が言った『こちょびたい』は山形全体で使われている訳じゃないんだよ。山形の中でも真ん中あたりの村山地方って所で良く使われる言葉なんだよ。山形全体で言えば4分の1くらいの広さなんだ」

「そうなんだ……」

 だとしても、それだけで生い立ちを探すなんてやっぱり無理だろう。


「それでも結構広いんでしょ? どうやって探すの? まさか現地行ってくまなく歩き回るとか?」


 アオイの目が輝き、口元が怪しく吊り上がった。まるでろくでもないイタズラを思い付いたクソガキみたいに。


「へっへーん! わたしに作戦があるの!」

「作戦?」


「名付けて! 『ライオン作戦!』」 


 どや! って聞こえてきそうな顔でそう言った。本当にろくでもない作戦じゃないだろうな。








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