第22話 入眼2
「やっぱり東京はデカいね。もうビルのデカさが違う」
適当に料理を注文し、すでに2杯目の生ビールを頼んだ武田さんが幾分赤くなって言う。同じ位の年代だと思っていたけれど、ネクタイを緩め顔を赤くして生ビールを飲むその姿はそこらのサラリーマンと何ら変わりが無い。
「そうなんですか。でも名古屋も都会でしょ?」
「東京に比べたらやっぱ名古屋は地方都市って感じだよ。ビルも低いし収入も低い」
そう自虐的に言う。僕は東京から出たことが無いから分からないけれど、武田さんが言うのならそうなんだろう。
「大崎君はどうしてラブホで働き出したの?」
僕は隠さずに全て話した。生い立ちから高校を卒業するまでの事。どういう経緯で社員採用試験を受けた事。武田さんは聞いてしまった事を少しバツが悪そうにしていたけれど、僕が明るく酒を飲むもんだからそれ程深刻では無いのかと判断してくれたようだ。本当にそれほど深刻ではないのだ。むしろこんな風に気を使わせてしまう僕の方がバツが悪い。それならば今後、僕の生い立ちなど話さない方がよいのだろうか。
1時間程でアオイがいつもの様に垢抜けない服装でやって来て僕の横に座った。
「もう終わったの?」
「5コマ目さぼって来ちゃった」
大丈夫なの? 聞くと大学の講義は高校とは違って随分と自由がきくようだ。武田さんも大学とはそういうもんだと自己紹介する前に彼女の説明を補足してくれた。
「あ、彼は武田さんで、今日一緒に試験を受けたんだ」
「初めまして武田です。名古屋の店で働いています」
「初めまして池上です。大崎さんと同じ店でバイトしてます」
店員がやってきてアオイに注文をうかがう。ひとしきりメニューを見た彼女が、
「あの……グレープフルーツチューハイで……」と言った。
店員が注文を受け去って行く。
「今頼んだのお酒だよ?」
「……うん」
「まだ18でしょ?」
「……うん」
「飲んじゃダメじゃん」
「……うん」
叱られた子犬の様に小さくなってしまう。
「まあ、いいじゃん、大学生なんだし」と武田さん。
「そうですけど……アオイ、飲めるの?」
「飲んだ事ない……だから飲んでみたいの。ね?」といつもの様に首を傾げた。
大丈夫だろうか。
注文してあった焼き鳥や揚げだし豆腐などが並び宴に花が咲いた。アオイもほんのりと紅潮し2杯3杯とお代わりをした。会社の飲み会以外でこんな風に誰かと飲むのは初めてですごく楽しかった。アオイも潰れてしまうと言う事は無く、楽しそうに飲んでいる。結構強いのかも知れない。
「池上さんは大崎君の彼女?」
随分出来上がった武田さんが口角を吊り上げ訊いてくる。
「そう見えますかー? でもそんなんじゃないんですよ、あはは」
「アオイには家庭教師をお願いしていたんですよ」
「へえ、池上さん頭良いんだ?」
「いえいえ、それほどでも有馬温泉。なんちゃってーあははは」
これまた古いおやじギャグを。
「アオイ、もう酒はやめておけ」
僕はアオイの為にウーロン茶とアイスクリームを頼んでやった。
「そう言えば社員になると何か変わるんですかね? あ、その業務内容とか」
社員になると言う事がまだあまり理解出来ていない。待遇面で変わるのは分かるけど具体的にどういう事をするんだろう。
「僕も詳しくは知らんのだけど、多分どこぞのサブマネージャーからスタートするんじゃないかな」
「サブマネージャーですか」
「うん、僕の店に以前サブマネージャーってのがおってさ、1年くらいでマネージャーに昇格したんだよ。で、それまでいたマネージャーは別の店に移動していった。まあ、マネージャーになる為の研修期間みたいなもんじゃないかな」
「結局、将来的に社員は一つの店を任される事になるんですかね?」
「さあ、みんながみんなじゃないかも知れんね。本部で働く人もいるだろうし」
それを聞いて薄暗い不安が広がった。漠然と沸いた暗い感情。アオイと離れてしまうんじゃないかと。僕の横で大人しくアイスクリームを食べているアオイを見る。相変わらず口の周りにクリームを付けているのでおしぼりで拭ってやった。
都内の店なら家で会う事も可能だろうけど、別の県などに飛ばされてしまうと簡単に会う事は出来なくなるだろう。社員になる事は喜ばしい事だけれど、彼女と会え無くなるのではないかという不安の方に心が支配された。そのくらいアオイは僕の心の中に深く入り込んで来ている。それはもう無視出来ない位に大きい。これ以上、自分を誤魔化すのは無理だと思った。
小事に拘りて大事を忘れるなということわざがあるけれど、僕にとってアオイは既に小事と割り切れないほど大きくなってしまったのだ。再び彼女を見るとまた口の周りを汚している。僕は黙ってそれを拭ってやった。
楽しい時間は過ぎ、武田さんと連絡先を交換して再会を約束して別れた。彼も受かるといいなと本当に思った。
僕はアオイの手を取って駅へ歩いた。千鳥足とまではいかないけれど少し足取りはおぼつかないようだ。気分がすぐれないのかあまり話さない。
「アオイ、大丈夫?」
「うん、家行ってい?」と電車の中でまだ赤い顔をした彼女が訊いてくる。
「うん、いいよ」と言って握る手に力を込めた。心配する事はない。働く店が変わったとしても今まで通り彼女はこうして家に来てくれる。よほど遠くに離れない限り彼女とこれまでと同じ様に会える。希望的観測を込めてそう自分にそう言い聞かせた。
家に着くと大丈夫だと思っていたアオイが勢いよくベッドにうつ伏せに倒れ込んだ。やっぱり飲み過ぎたんだ。チューハイなんてジュースみたいに口当たりが良いし、加減が分からなかったのだろう。
「アオイ、大丈夫? 気持ち悪くない? 水飲む?」
「いい。少し一緒に寝よ?」と言って手を握られた。
時計を見ると午後7時だったので、少しくらい仮眠をとっても大丈夫だろうと思いアオイをベッドの奥に移動させ狭いシングルベッドに僕も入った。子犬の様に丸まって僕の腕の中にすぽっと収まってくる。きっとこのまま彼女を抱けるだろうと思ったけれど、酔った勢いで抱くのはなんとなく嫌だったし、僕も少し眠かったので本当に2人で仮眠を取る方が良いかも知れないと思った。
すぐに透き通った寝息が聞こえて来たので彼女の髪を梳くように撫でてやる。遠く山形から一人でやってきて人恋しいのだろう。ずっと一人ぼっちに慣れてしまっている僕には計り知れないほどの寂しさがあるのかも知れない。その寂しさを紛らわす為に僕に懐いてくれているのか知れない。僕の腕の中で安心して眠るその寝顔を見つめていると僕も自然と眠りに落ちて行った。
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