入眼

第21話 入眼1

 それから毎日アオイは僕の勉強を見てくれた。


 金曜日と土曜日は彼女は当たり前の様に僕の家に泊まる様になった。僕の部屋には彼女の物が増えて行き、もはや同棲した方が良いのではないだろうかとお互いが思っていただろう。だけれど、そうしなかったのはやはりお互いの気持ちを打ち明けていないのもあったし、今は僕の試験の勉強中だから一緒にいるという前提を変えたくなかったのかも知れない。

 一緒に部屋にいる間は時折、性に興味津々の子供の様にじゃれ合いイチャついた。お互いをその気にさせてどちらが先に音を上げるかなんて遊びに講じた。アオイの弱点が耳だと言う事も判った。ホントいい大人が何やってんだろう。だけれどそこまでだった。その先に進む事をお互いが自制した。


 最初の3週間をほぼ数学で費やし、残りを英語と国語に充て、政経は殆どバイトの休憩中で賄った。残りの1週間は毎日模擬試験をした。合格ラインがどの程度か分からないためとにかく過去問題を虱潰しに漁った。


 勉強最後の日は日曜日だった。翌日の月曜日、都内にある本部の会議室で試験が行われると事前に聞いていたからだ。

 

 午後11時に最後の模擬試験を行い採点をしてもらう。


「きっと大丈夫」

 彼女は力強く言った。その言葉に勇気づけられた。


「アオイ、今までありがとう」

「お礼は試験に受かってから言って。それに、これでお別れみたいな言い方しないで」

「あ、そうだね」

 だけど、本当に彼女には感謝してもしきれない。例え試験に落ちたとしてもこの気持ちは変わらない。


 いつもの様に彼女を送る為2人並んで彼女のマンションへと歩いた。僕は初めて彼女に手を差し伸べると彼女は当たり前の様に僕の手を取った。いつもなら何か話しながら歩くのだけれど、その日はお互い何も話さなかった。手から伝わる温もりを大事にしたかったのかも知れない。全神経を手に集中し会話に意識を割く事が嫌だったのかも知れない。

 彼女に想いを伝えるか迷った。家庭教師という名目で毎日僕の家か彼女の家で会えていたのにそれが無くなってしまうのだ。一抹の寂しさがこみ上げる。僕の手に力が入る。それに応える様に彼女も握り返してくれた。結局、想いを伝えられずに彼女の家に着いてしまった。



 試験当日、僕は指定された住所に午前9時に着く様に向かう。8時半には到着し、まだ30分あるのだけれど、別に早めでも良いんじゃないかと思いビルへ入った。雑居ビルの5階部分を会社が借り上げているようで、エレベーターを降りるとすぐに観音開きのガラスのドアがあり、会社名が書かれたプレートが張り付けられていた。


 ドアを開け室内に入るとすぐにカウンターがあり、受付の女性に身分を名乗るとすぐに会議室のような場所に案内された。

 会議室には既に男性が一人いてロの字型に配置された長テーブルの一番奥に腰掛けていた。

 僕は彼の対面に位置するように座る。僕に気付いた彼が「おはようございます」と挨拶してくれたので僕も「おはようございます」と返した。年齢は僕と同じくらいだろうか。筆記用具をリュックから出しテーブルに並べると、

「採用試験ですか?」と彼の方から声をかけてくれた。

「そうです」と答える。


「僕たちだけなんですかね?」

「どうなんでしょうね」

 そんな他愛もない会話で時間を繋いだ。


「僕、名古屋から来たんです」

「名古屋ですか?」

「はい、名古屋のメリーズって所で働いています。武田と申します」

 僕の会社は倒産したラブホテルをどんどん買い上げて店舗を拡大している。結果的に僕の会社が経営しているホテルの隣のラブホテルも当社の経営するホテルという状況が生まれるのだ。そうなった場合店舗名は以前のホテルの名前をそのまま使用する事もあるそうで、ホテル名が違う事は珍しい事でも無い。


「僕は大崎です。鶯谷にある『タイムカプセル』っていうホテルです」

 お互いが働くラブホテル名を報告し合うのも何か滑稽な気がして可笑しかった。


「お互い頑張りましょう」

「はい、受かりましょう」

 定員のない試験。武田さんはライバルでも無いし、お互いが試験に受かる事を素直に願った。


 試験は数学、政経、国語、英語の順で、各45分づつの持ち時間があるようだ。各教科の間には15分の休憩があり、昼食を挟まずに行われるのだと言う。午後1時に筆記試験は終わると言う事になる。

 その後昼食休憩が1時間与えられ、その後面接が行われるという流れらしい。


 結局、僕たち二人以外に受験者は現れず、広い室内には僕と武田さんだけが対角線に座らされる恰好になった。


 試験官と呼んで良いのか分からないけれど、社員の人が現れ試験用紙を僕たちの目の前に置く。


「では45分です。始めてください」

 その声を合図に用紙を捲り問題にとりかかった。はっきり言ってしまえば拍子抜けだった。簡単な計算問題ばかりで応用問題は全くない。使う公式を模索することも無く、数字が与えらた公式をただ解くだけだ。こんなものか。


 その後の科目も本当に教科書の触りの部分のような問題が出題されているだけで、こんなものは一般常識だと思った。この採用試験の話を三宅さんから聞いた時に、「大したことない」と言っていた事を思い出す。本当に大した事なかった。


 4科目試験が終わり、僕は武田さんに、「お昼一緒にどうですか?」と声をかけた。

「あ、いいですね、行きましょう」

 1時間の昼食休憩を武田さんと世間話をしながら過ごす。彼は名古屋で僕と同じようにバイトをしていると言う。歳は僕の2つ上で23歳との事だった。大学を中退し、それまでずっとバイトをしていたホテルから抜け出せず、結局そこの社員になる道を選んだのだそうだ。武田さんは年上だけれどおっとりとしていて話していても心地よかった。以前、統括部長の前島さんが言っていた『信頼』というステータスに武田さんはすっぽりとハマったのだろう。少し話しただけで彼の人となりが見えた気がした。僕たちはすっかり意気投合してしまい、今日面接が終わったら飲みに行こうと言う話になった。


 午後からの面接も当たり障りのない事を聞かれただけだった。会社としても新卒の社員という訳でもない僕の事など三宅さんを通して人事に伝わっているのだろう。

 今回の結果は1週間ほどで勤務先のマネージャーに合否が通達される事を最後に聞いて面接は終了した。


 先に面接を終えていた武田さんがエレベーター前のロビーのソファーに座り僕を待っていてくれた。時間を見るとまだ午後3時前で飲みに行くには早いのではないかと思ったけれど、今日中に名古屋へ戻ると言う武田さんに合わせて少し早いけど適当に飲める店へと案内した。

 僕は今日の報告を兼ねてアオイにLINEを送った。試験の内容、面接の事、武田さんの事。それから今から彼と飲みに行くこと。


 すぐに既読が付き、 

『わたしもガッコ終わったら行っていい?』とメッセージが来た。僕は大歓迎だけれど、武田さんはどうだろう。返事を一旦保留し、武田さんに事情を説明した。


「武田さん、同じバイト先の子で大学生の女の子がいるんですけど、学校が終わったら合流したいそうなんですが良いですか?」

「同じ会社で働いているなら同僚って事でしょ? 大歓迎だよ」と言ってくれたのでその旨彼女にメッセージを送る。


『やった! じゃあ後で場所を教えてね』と直ぐに返事が来た。


 僕と武田さんは3時でも飲める店を見つけて入店し、店員に案内されたテーブルに向かい合って座る。アオイにメールを済ませ、2人とも生ビールを注文しジョッキを重ねた。一気に半分ほどあおりお互い笑いあった。緊張で喉が渇いていたせいかビールがすこぶる美味しかった。

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