第17話 僥倖9
彼女が料理を作る音も聞こえなくなる程集中して問題を解いていると、
「そろそろ出来るからテーブル空けて」と彼女が言った。
「うん」と言って慌ててテーブルの上を片付ける。
「麻婆豆腐だけど、ご飯も食べる?」
「うん、食べる。ありがと」
僕も立ち上がり、料理を運ぶのを手伝う為キッチンへ向かった。サラダと麻婆豆腐が2皿ずつあり片方の量が多い。
「多い方が真也君のだからね」
さりげない心遣いに胸が温かくなる。
「ありがと」
僕は麻婆豆腐のお皿を両手に持ってテーブルへ運びすぐにキッチンへ戻ってサラダの皿もテーブルへ運ぶ。
彼女が茶碗に盛ったご飯を持ってきた。
「麦茶でいい?」
「うん」
トクトクトクとグラスに麦茶を注いだ。
「じゃあたべよ?」
「うん、おいしそう。頂きます」
2人揃って手を合わせた。
麻婆豆腐をすくって一口食べる。うん、美味しい。
「どう?」
「おいしい」
「でしょ?」
そう言うと彼女は小さな口をいっぱいに広げレンゲを口に入れる。麻婆豆腐のタレが彼女の口の周りを汚した。本当に、いつも口の周りに色々付ける子だな。そんな子供みたいな彼女が愛らしかった。
それより、彼女は本当に料理が上手だ。多分普通の市販品の物なんだろうけど、僕が作ってもこんな風にならない。毎日この料理が食べられるなんて僕はツイている。お母さんの代わりに家事をしていたって言ってたけど、本当に子供の頃からやってたんだろうな。
「これ、普通に素に豆腐混ぜただけ?」
「ちゃんと下茹でしたよ」
「下茹で?」
「うん、豆腐は少し塩を入れて下茹でした方がいいんだよ。あとはね、一回煮立ったらあまりかき混ぜない事かな。焦げるギリギリまでグツグツ煮込むの。焼くと言った方がいいかもね」
そうなんだ。麻婆豆腐を焼くという発想はなかった。
「ご飯お代わりあるからね?」
「うん」
なんか同棲しているみたいだ。毎日こんなんなら幸せだろうな。幸せを噛みしめながら食事をした。
「ごちそうさまでした」
2人揃って手を合わせる。
「アオイ、ちょっと待って」
食器を下げに立ち上がろうとした彼女を止める。僕はティッシュを数枚掴むと、
「ほら、また口の周りにタレが付いてるよ」と言って彼女の口の回りを拭ってやった。
「ん……ありがと」と言って顎を突き出し大人しく拭われる。本当、子供みたいだ。
「はい、いいよ」と言って頭をぽんぽんしてやった。子犬みたいに首を竦め嬉しそうに笑みを浮かべた。可愛い。
食後はさっき解いていた問題の中で間違えた物や解けなかった物の解説をしてくれた。彼女の説明は本当に解りやすくこれを1ヶ月続ければいけそうな気がしてくる。
午後11時になり、彼女の睡眠に支障が出るなと判断した僕は、
「もう11時だよ? そろそろ寝ないとだめじゃない?」と訊いた。
「明日は午前の講義無いから真也君がまだ出来るならもうちょっといいよ?」
そう言えば午前の講義が無い曜日もあるって言ってたっけ。大学とは随分とゆとりがあるんだな。
「じゃああと1時間」
きっと一人だったら絶対にこんなに勉強しなかっただろう。彼女の存在は僕のやる気まで増幅させるようだ。
勉強が終わり参考書と問題集をリュックに詰め込んでいると彼女が2人分のコーヒーを持ってテーブルにやってきて、それらをテーブルに置くと僕の右隣にペタンと座る。相変わらず近い。
彼女はコーヒーの入ったマグカップを僕の方に差し出しながら体の向きを僕に方に向けた。真横から見つめられるような形になり心拍数が上がる。僕が首を彼女の方に向けると真っすぐに見つめられ、
「つかれた?」と言って小首を傾げる。
ドキッとし僕はゴクリと息を飲んだ。無自覚でこの仕草をしているのなら本当にズルイ。それよりなんで僕の方を向いているんだろう。普通は同じ方向を向いて座ると思うのだけれど。心臓がバクバクと音をたて彼女にも聞かれてしまいそうな程高鳴っている。コーヒーも喉を通らない。
「あ! わらび餅あるよ? 食べる?」
有難い。糖分が欲しかったところだ。
「うん、食べる」
彼女は冷蔵庫からわらび餅の入ったパックを持ってきて蓋を開けると手に持っていた黒蜜を上からかけた。
「わたし黒蜜が好きなんだ」
解る気がする。
「あ、つまようじいるね」
彼女は再び立ち上がるとキッチンへ向かいつまようじを持って戻って来るとまた僕の右隣に座った。「はい」と言ってつまようじを手渡され、僕はわらび餅を一つ口に入れる。地面が水を吸い込む様に糖分が脳に吸収されいく感じがした。疲れも癒えてくる。
「冷たくておいしい」
「美味しいよね」と言って彼女も一つ口に入れた。さらにもう一つ取り口に入れる。黒蜜が絡んで美味しい。彼女を見ると口許に黒蜜が付いているのに気が付いた。
「ほらまた黒蜜付いてるよ?」と言って自分の口許を指差す。
「ん……取って」と言って顎を突き出してくる。
僕は彼女の口許へ手を伸ばし彼女の口許に付いている黒蜜を指で拭うと、「ほら」と言って彼女に見せた。
彼女はそれを見ると「あー」と言って口を少し開いた。えぇ……舐めさせろと言う事だろうか?
僕は指先を彼女の口へ近づけると黒蜜の付いた僕の人差し指を爪先から口に含んだ。甘美な温かさと彼女の唇の柔らかさが指先に伝わりゾクっとした快感が全身を貫いた。う、と声を出しそうになるのを咄嗟に押さえる。彼女は僕の指を咥えたまま口の中で僕の指先を舌で舐める。
だめだだめだ。理性が崩壊してしまう。彼女の身の危険を感じた僕は思わず指を引っ込めた。
彼女はふふんと笑って再びわらび餅を食べる。あんな事を無自覚でやっているんだろうか。僕を試している?
平静を装って僕も次のわらび餅をつまようじで刺して口に持って行こうとした瞬間、つるっとつまようじから抜けて黒蜜がたっぷり付いたわらび餅がテーブルに落ちてしまった。彼女はそれを人差し指と親指で摘まむと、「はい」と言って僕の口元へ近付けてくる。彼女の指には黒蜜が付いてしまっていた。
僕はさっきのお返しとばかりに彼女が摘まんでいるわらび餅を彼女の指ごと僕の口に含んだ。彼女の肩が僅かに震えたけれど手を引っ込めたりしなかった。僕は彼女の指に付いた黒蜜を舌で舐めると彼女の呼吸が一瞬止まり、さらに舐めているとそれが少し乱れた。それでもそのまま舐め続けると彼女のつまようじを持っている方の手が震えやがて甘い吐息が漏れた。口が半開きになりトロンとした目になる。
しばらくそうしていたけれど、このままではいけないと判断したのか彼女は手を引っ込める。「もう……」と呟き赤くなった顔を見せないように俯いた。僕も俯いてようやくわらび餅を食べる事に専念した。
僕は呼吸を整えながら、
「国語と英語はどうするの?」と少し震える声で訊いた。
「あ、うん、国語と英語ね……」
彼女はしばらく考えが纏まらないのか、ええと、とか、あのお、とか呟きながら思案している様だ。
「ふぅ……そもそも国語って本を読んでいれば自然と身に着くと思うんだよね。毎日休憩時間に政経の参考書読んでいるだけでも国語の勉強になるんだよ」
「なるほど」
「漢字も読めても書けないって事があるから、そういう所も意識して読む様にね」
「わかりました」
「とにかく前半は数学に充てるから」
「わかりました」
その後自分の使用したマグカップを流し台へ持って行き、参考書などを詰め込んだリュックを背負い彼女にお礼を言った。
「ありがとう、ごちそうさま」
「うん、また明日ね」
「うん、また明日」
彼女のマンションを出て家路に就いた。少し冷たくなった風が火照った僕の頬を冷ますように撫でてくれて、それと同時に僕の熱っぽくなった気持ちも萎えて行った。
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