第04話 邂逅4
休憩を終え、バックヤードに戻ると引き下げが完了している客室、所謂清掃待ちの部屋がまた増えていた。
通常どこから掃除してもいいのだけれど、客室によって清掃時間が変わってくる為、状況によって優先する客室がある。混雑時は清掃の簡単な料金が安い部屋を優先して空き室を作る。料金が安い部屋と言うのは設備も乏しく面積も広くない為掃除が楽なのだ。
逆に料金が高い部屋は、テラスがあったり、さらにテラスにバスがある部屋まである。おまけに無駄に広い為清掃に時間がかかる。そう言った部屋は後回しにされることが多い。
引き下げを終えて戻って来た高井さんが、
「401の水、交換しておいてくれ」と言ってきた。
高井さんは50歳くらいの男性で、昼間はどこかの会社で働いているのだけれど、夕方からアルバイトとしてここで働いている。結婚されているのだけど、お小遣いが少ないから自分で稼ぐのだそうだ。僕よりも長くここで働いていてアルバイトとは言え他のスタッフからの信頼も厚い。
務めている会社では割と地位のある人で部下も何人もいるそうなのだけれど、ここではマネージャー以外は全員平等である。高井さんくらい地位のある人でも僕たちに威張り散らしたりする事もないし、とてもフランクで良い人だ。こういう人だから出世もするのだろう。
「池上さん」
「はい?」
そう返事をして小首を傾げる。うっ……
「引き下げの人から水の交換って言われたら……」と言ってウォーターサーバーのタンクが貯蔵されている部屋へ「ついて来て」と願いながら向かう。願い通り彼女も黙って付いてきてくれた。
「これを持って部屋へ行く」と言ってタンクを一つ掴みそれを見せた。
「わかりました」と受け取ろうとするけれど、女性には重い為すぐに引っ込める。彼女はぽかんと口を開けて「なんで?」という顔をしていたけれど、意地悪した訳じゃないから誤解しないで欲しい。
「重いから」
「でも、いずれはわたしが持って行くことになるんですよね?」
「そうだね」
「試しに持たせてください」
「じゃあ両手で」
慎重に彼女の両手に手渡す。
「うわ、本当に重い。片手じゃ痺れちゃいそう」
痺れるくらいで済めばいいけど。持ちきれずに足の上に落っことして更にタンクが破裂しフローリングを盛大に水浸しにし、水たまりの上で片足を押えてケンケンする彼女の光景までが脳裏に浮かんだ。
「今回は僕が持って行く」と言って奪う様にこちらに取り戻した。
「何か想像してました?」
「いえ、別に」
「ありがとう」
とりあえず高井さんが引き下げをした401号室へ向かう。4階でエレベーターを降りドアをそっと開けて通路の様子を覗う。大丈夫そうだ。
本来、ルームの作業は2人が別々の持ち場を担当する。通常、洗面所とトイレを受け持つ人と、フロアの掃除をする人とで持ち場を分担する事が習わしになっていて、作業終了後に相方が担当した持ち場のチェックをし、やり残しや不十分な箇所があればそれを指摘する。その為、ウマの合わない人同士がペアを組むと度々トラブルが発生する。ホテル側も本来はそんな個人的な理由で相方の選別を行う事は認めていないのだけれど、それが原因で辞めてしまった人も少なからずいる訳で、仕方なく黙認している節もある。
「私は誰とも組まない。一人でルームをやる!」と言ってマネージャーを困らせたオバサンが過去にいたのだけれど、それならばと、そのオバサンの専属の相方が僕になった事もあった。オバサンも僕となら組んでも良いと言ったそうでオバサンが辞めるまで専属の相方を務めた過去もある。そういった気難しい女性はたまに居てそういう場合の相方は男性になる事が多い。女性同士はなにかと難しいのだそうだ。
401号室の客室に入るととりあえずウォーターサーバーのタンクをセットした。その後池上さんと2人でベッドのシーツを敷いてから、
「じゃあここから各持ち場を担当して別々に作業をしてみよう」と提案というか指示を出す。
「はい! がんばります!」と言って胸の前で両拳を作る。いや、あのね……
「僕、フロアをやるから洗面所とトイレお願い」
「わかりました!」
そう言って敬礼のポーズをする。また萌えた。
フロアのテーブルやキャビネットを丁寧にアルコールで消毒し、灰皿やライターなどを所定の位置に並べ、テレビやサイドテーブルなども雑巾でキレイにしていく。
フロアの床を穿き掃除し、掃除機をかけて最後にコロコロで細かいほこりを完全に除去する。
フロアの清掃があらかた終わり池上さんの様子を見に行くと相変わらず洗面所をせっせと磨き作業が終わっていない事を教えてくれた。額に汗が滲み前髪が張り付いている。真面目な子なんだ。
手伝えば早く終わるのだろうけど、今は彼女の教育なので手を出さずに見守る事にした。
アメニティ等の消耗品もマニュアルの写真通りにきっちり並べる姿に心が温かくなる。几帳面な人なんだな。
「一応、終わりました」
10分程経過してから手の甲で額の汗を拭う仕草をしながら大袈裟にフラフラと歩いてきて言う。一応とは何事だとツッコみたくなったけど堪えた。
「じゃあ僕チェックするから、池上さんも僕の持ち場のチェックを」と言うと、
「はい」と言って回れ右してフロアへ向かった。
色々と不十分な箇所があるので、チェックリストのその箇所は空白にした。流石は一応と言うだけある。
「チェック終わりました」と彼女が戻ってきたので、僕はチェックリストを見せながら、
「まず、風呂場の足ふきマットはカゴに完全に入れずに半分外に出しておく」
「あ……すいません」
「洗面所の水のコックがお湯の方になってたからこれは水の方に戻しておく」
「はい……」
「お客様に火傷をさせちゃうので気を付けて」
「はい……」
叱られた子犬みたいに小さくなり、必要以上に神妙にするので心苦しくなってくる。でも教育だから仕方ないと心を鬼にした。
「あと、ここに髪の毛が一本落ちている」
「あ……」
本当に、こんな髪の毛一本と思うかも知れないけれど僕の店では許されないのだ。僕はコロコロでその髪の毛を除去した。
「それ以外は問題ない」
「ありがとうございます?」
何故疑問形? それにお礼を言う所だっただろうか。
「フロアの方は? 問題無かった?」
「はい、チェックリストは全て〇で埋まりました」
まあ、そりゃそうだろうと思ったけれど、こんな僕でもたまにはやり残しはある。
「じゃあ行こう」と促し部屋を出て、彼女にリモコンを渡す。
「ええと……」
「そこのセンサーに向けて、『完了』を押す」
「はい」
センサーの下に点いているLEDが緑に変わった。
「おーけーです」
「はい」
2人してそそくさと小走りで4階のバックヤードに滑り込む。
「いつも思っていたんですけど、なんでそんなに駆け足忍び足なんですか?」
「そりゃ、お客様と鉢合わせしない様にだよ」
「もし鉢合わせちゃったらどうしたらいいですか?」
「その時は堂々と「いらっしゃいませ」って言えばいいよ」
そう言って従業員用エレベーターのボタンを押した。
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