第6話


 騙された、弄ばれた。そう理解したセレナは咄嗟に胸を抑え、次に首を抑えて首を絞めつける。


「おやおや、肺の中の空気を無理やり外に出せば助かるとでも思っているのかい?」

 しかしその足掻きは空しく、段々と体中から酸素が奪われていくのを感じる。


 意識がぼんやり薄れたところで、魔女はぽん、とセレナの下半身を軽くたたいた。


「!!?」

 ごぽ。という鈍い音と共にセレナの口から大きな空気の塊が出てきた。


「ぷはっ!?な、なんですかこれ」

 空気を吐き出したと同時に痛みは消えた。そしてさらに大きく変化した顔の一部に驚く。

「鰓がない!」

 人間の耳に位置する部分に会ったひらひらとした魚の鰓が綺麗に肌に埋もれていた。

「えっ、私・・・」

 期待して下半身を見ると、相変わらずの尾びれがぱたぱたとはためいていた。


「あの、これは一体?」

「きひひひ、いやぁ、おもしろかったよ。あんたの絶望する顔。本当に騙されたかと思ったかい?」

 魔女はげらげら笑っている。

「どういうことですか!」

「今のは鰓呼吸を辞めさせるための薬。人間化の前準備さ。まだ穴は完全にふさがっていない筈だからうっすら息は出来るだろうが、一定の時間が経つと本当に海中で呼吸できなくなるから気を付けるんだよ。実は大昔この工程をすっ飛ばしたせいで体内にある深海の空気が膨張して人間になった途端破裂した奴がいたんだよ」

「よ、よくわかりませんが・・・何故先にそれを教えてくれなかったのですか」

「無償で魔法を提供してやるんだ。ちょっとくらい愉しませてもらっていいだろうに」


 どうやら完全に遊ばれただけのようだ。


「本当に死ぬかと思ったんです」

「人間になるんだ。死ぬ覚悟くらいは持ってもらわないと困るよ。何の苦難もなしにすべてうまくいくと思わない事だね。ひっひっひ」

 久しぶりの人間化実験で浮足立つ魔女。セレナは魔女の実力が本物だと確信すると同時に彼女の性格に不安を覚えた。


「さて、今ので準備は整ったから次の薬を飲めばあんたは人間になる」

「声を失ったりはしないのですか」

「そんなわけないだろう。失うのはあんたの全部だよ」

「全部?」

 人間になる以上は何らかの代償を覚悟してはいた。

「人魚の上半身と人間の身体は見た目こそ似ているが作りは別物なんだ、下半身だけ足を生やしてはいおしまい、とはいかんのさね。あんたはセレナという中身を持ったまま完全に新しい人間に細胞を再編成する。その美しいコーラルピンクの長い髪も、爽やかな空色の瞳も、人間の男からしたら魅力的に見えそうな顔つきも、全部失って全く別の見た目の人間になるのさ」

「声は、声は失わないで済むのですね?」

「人魚の歌声っていうのは魂に根付いているものさ、外側をいじったところでおかしくはならんよ。そもそも足を生やす代償に声が奪われるなんて理にかなわないじゃないか」


 他の部分も十分理にかなっているようには見えない魔法の力だが、セレナは一つの不安を取り除くことが出来て安心した。筆談が出来ない以上は声を失うというのはコミュニケーション手段を完全に失うこと、そうなってはせっかくあの男性に再会しても想いを伝えることができない。

「さぁ、これが正真正銘『人間になる薬』だよ。気絶はするが痛みは伴わない」

 今度は直ぐ傍にある棚に飾られた透明色の液体が入った小瓶を差し出す。

「これを飲んだら二度と海には戻ってこれないよ。あぁ、ちゃんと陸に上がってから飲まないと今度は本当に死ぬから気を付けるんだ」

「ありがとうございます、魔女さん。」

「こういう薬は趣味で作ってるだけだからね、あんたがどんな不幸な目に会おうとも知ったこっちゃないよ。まぁ、せいぜい泡にならないように気を付けるんだな。その薬にそんな効能はないけどね。きひひひっ」


 改めて深くお辞儀をし、魔女の住処を後にした。




 *

 セレナが陸地にたどり着いた頃にはもうしっかりと日が昇っていた。

 海での生活しか知らないセレナは大陸が全て繋がっていないことを知らないし陸地の広さもよくわかっていない。どこかの陸に上がればすぐに例の男に会えるだろうと思い、特に深くは考えず自分の拠点近くの土地を選んだ。また、人間が人魚よりもずっと数が多く、住処も世界中に点々としていることすらよくわかっていない。


「明るいうちにあの人に会わなくては」

 男と再会することを信じて疑わないセレナは下半身をずるずると引きずり、人気のない陸地に上陸した。


「魔女様は痛みは無いと言っていました・・・よぉし」

 ぐいっ、と勢いよく透明の液体を飲み干す。


 聞いていた通り、痛みも息苦しさも感じることなく、砂浜で意識を失った。


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