26

 少し滑りながら出入り口で足を止めると肩で息をしながら正面のデスクへ目を向けた。そこには両目を片腕で覆い仰向けで寝る鬼塚さんの姿が。顔をピクリとも動かさない所を見ると僕の存在には気が付いていない様子。

 寝てるんだろうか? それとも......。嫌な言葉が頭に浮かぶと恐怖に心臓を鷲掴みされるのを感じた。生きた心地のしない最悪の気分だったけど、今の僕はそんな事どうでもよくて気が付けば走り出し、デスクまで一気に近づいていた。

 半ば体当たりするようにデスク前で止まると同時に両手は鬼塚さんへ伸びる。彼女の腕を掴み揺らしながら名前を呼んだ。


「鬼塚さん! 鬼塚さん!」


 名前を呼ぶ度に膨れ上がっていく不安を感じながらも僕は願うように叫んでいた。その何度目かの声が部屋中に響き渡ると鬼塚さんの腕の下で顔がゆっくりとこっちを向き始める。腕の隙間から覗くような寝惚け眼と目が合うと心の中でほっと安堵の溜息が零れた。


「――こんなとこで何してんの?」


 眼同様にまだ眠そうな声が静かに尋ねてきた。

 それもそうだ。本当なら学校にいる時間帯だから。


「さっきのライン見て、もしかしたらって......心配になったから」

「ライン?」


 腕の退いた顔は数秒だけ天井を向くとすぐにまた僕の方へ戻ってきた。


「――あぁ。あれか。何か変だった?」

「変って言うか......。タイミングというか。僕の考えすぎかもっていうか」

「つまり、どうゆうこと?」


 少し迷ったが僕は、もういっそのこと全て吐き出してしまおう、そう思った。無駄に悩んでも仕方ないしちゃんと彼女の口から答えを聞き僕自身の考えや想いも全て伝えてしまおうと。そこから生まれた結果ならどんなモノでも潔く受け入れられる。だからもう全て。


「――鬼塚さんさ。もう血って飲んだの? 前に言ってたし僕もちょっと調べたんだけど吸血鬼って今ぐらいの時期になると最初の吸血衝動が起こるんでしょ? 鬼塚さんももう始まってるみたいだし、ちゃんと飲めたのかなって気になってて」


 彼女はそっぽを向くように顔を天井(少しだけ僕の方とは反対側よりに)へ戻った。


「アンタには関係ないじゃん」


 素っ気なく相変わらず小さな声が運んできたその言葉は正論でしかなった。だけどそれは僕も承知の上でその質問をしたんだ。


「そうだけど。でも血が飲めなかったら衰弱していって命に関わるんでしょ。だから迷惑かもしれないけど心配で」


 鬼塚さんは顔を背けたまま何も言わなかった。

 それを確認するような沈黙の中、僕はあの日この場所での彼女を思い出していた。この世界に絶望したような彼女のことを。


「これは僕が心配し過ぎなだけかもしれないけどさ。もしかしてこのまま血を飲まなくても良いって思ってない?」


 それがどういう意味なのかは分からないがほんの少しだけ彼女の顔が僕の方へ動いた。


「――僕は吸血鬼じゃないからさ。吸血鬼として生きる厳しさとか吸血鬼であることが鬼塚さんにとってどれだけ辛いことなのかっていうのは分かってあげられないけど......。けどやっぱり吸血鬼だから幸せになれないとか吸血鬼だから一生独りぼっちっていうのは違うと思うんだよね。吸血鬼であることを認めてそれでも一緒にいてくれる人間は、否定派よりは少ないかもしれないけどちゃんといるから、鬼塚さんが心から笑えるような居場所もあると思う。――だからもし僕が一緒に居る時にそういうのを感じさせてあげられてなかったとしたら、もし僕と一緒に居ることが鬼塚さんに吸血鬼である辛さをより一層感じさせてしまってたとしたら、それは本当にごめん。でもそうじゃない人もちゃんと」

「それは違う」


 いつの間に僕の方へ向き直していた彼女の顔は悲し気な表情を浮かべていた。見ているこっちまでその色に染まりそうな表情を。


「そうじゃないから。むしろアンタといる時はすごい愉しかったし、誰かと一緒に居るってこういうことなんだって思い出せた気がした。それに映画とか買い物とかしてる時はいつもと違って変に何か考えたりもしなかったから――それにアンタが吸血鬼とか関係なく普通に接してくれてたから、自分が人間になれたみたいで自然に楽しめてたし。だから別に無理して笑ってた訳じゃない。むしろ心から笑えてた。正直、また次の事も考えちゃうぐらいには楽しみにしてたし。それにもっと遊園地とか水族館とか色々行けたら楽しいのかな、なんて考えたこともあったかな」


 ずっと見ていたいと思うような優しく穏やかな微笑みを浮かべる彼女は幸せそうに見えた。その表情を見ていると本当に心から楽しんでくれてたんだと嬉しくなった。同時にならもっとそう感じて欲しいとも。


「いいじゃん。行こうよ。遊園地。僕もまだ行った事ないけど鬼塚さんと一緒ならきっと楽しいと思うし。だからもっと色んなとこ行こ。水族館も鬼塚さんが行きたいとこ全部」

「やっぱアンタは優しいね。でもそれはやっぱり自分が吸血鬼だって忘れられてるからなんだよね。だけどどうしようもなくアタシは吸血鬼だって感じることはやっぱりあって、その度に自分が嫌になる。衝動に駆られてついアンタの首元に迫ってた時なんて特にね。コンビニの時なんてあんな場面でも自分は血の事で頭が一杯になっちゃうんだって思うと、なんか自分が化物にすら思えてきて......」


 内側から溢れ始めた感情に鬼塚さんは目を潤ませていた。そんな彼女を見ながらそれがどれほど辛いのかをちゃんと分かってあげられない自分が悔しくて情けなくて仕方なかった。

 そして僕がそんな思いにデスク下で拳を握り締めていると彼女は体を起こした。脚で小山を作り、前じゃなくて俯くように斜下を向いた顔。


「――アタシ、実はずっとこの時期が来たらどうしようかって考えてたんだよね。この先は血もどうにかしないといけないし、ただでさえ何となくで生きるには吸血鬼はあまりにも生きづらいからさ。それにアタシ自身、吸血鬼なんて出来る事ならさっさとやめちゃいたかったし。自分が吸血鬼だって思うのもニュースの反応とか街中で吸血鬼に対しての悪口聞いて自分がそう言われてるような気になるのももう全部嫌だったから。だから未練も面白味もないこんな世界もういいやって思って。ある時からこの時期までの辛抱だって思って生きてた。それでどうせもうすぐだから別に隠さないでもいいかなって思ってあの時、アンタに吸血鬼だって言ったんだよね。もし通報とかされても最悪どっか適当なとこに逃げてもいいわけだし。なのにそのおかげで最後の最後でこんな面白くなっちゃうなんてね」


 ふふっ、と僕の方を向いて笑う彼女の瞳はさっきよりも潤んでいるように見えた。

 でもその笑みを見ていると何だか自分に落ち込んでる場合じゃないって思えてきた。


「最後じゃないよ。これからも楽しい事は沢山あるよ。確かに僕は鬼塚さんの辛い気持ちを分かってあげられないけど、それを帳消しにするような時間を共有

 出来るかも分からないけど――だけど傍にはいてあげられる。これから先は独りじゃない。必要な時はいつでも僕が傍に居るから」


 僕の方を見たまま鬼塚さんは(さっきの笑み名残りか)微かに口を開きながら固まってしまったようにピクリとも動かなかった。


「――まぁ......僕で良ければだけど」


 頭には浮かんでいたが言わないようにしていた自信の無さが僕の隙を突くようにように口から零れた。言葉が全て出切ると自分に負けたような気がして少し凹み心の中で溜息がひとつ。

 だけど鬼塚さんの表情にはさっきよりは控えめだけど微笑みが浮かんでいて目には哀しげに少し力が入っていた。


「ありがと。アタシにそう言ってくれるのは多分アンタだけだよ。でも正直に言うと。ちょっと恥ずかしいけど、アンタは大切になり過ぎたんだよね。――確かにアンタと一緒に居たらきっと楽しいと思う。だけどさ。これから先、将来的にはもしかしたらアタシの事を恋愛的な意味で好きじゃなくなるかもしれないじゃん。別にそれは分からないしそうなったとしても仕方ないからいいんだけど。でもアンタは優しいからさ、アタシのこと考えてそのまま一緒に居てくれたり、それかずっとアタシのこと気にかけてくれると思うんだ。それってなんか枷になってるみたいで嫌だし、そんな風になって欲しくない。だって自分が誰かにとって唯一の人生の支えだなんて重すぎるでしょ。アタシもそれは気が重過ぎる。それに......やっぱり一番は吸血鬼のアタシと一緒にいることでアンタに迷惑とか、もっと言えば危害とかが加わったりするのが嫌なんだよね。心配もそうだけど考えるだけで自分の事以上に辛いからさ。――ただの自分勝手のわがままだけど、だからあんたとは一緒に居れないし、アンタと一緒に居なかったらアタシには生きづらいだけの人生が待ってる。だからさ。許してくれない?」

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