27

「ごめん。やだ」


 彼女の言葉を全部聞いた上で僕は、笑みを浮かべてそう言ってやった。


「――僕の事を優しいって言ってくれてるけど鬼塚さんだって十分そうじゃん。僕の事を考えてくれてる。確かにこれから先の事なんて僕にも分からない。今はそんなことないって思えるしそう言えるけど、やっぱり結局そんな先の事なんて誰にも分からないからね。でも遊園地行ったりとかもっと色んな映画観たり色んなお店行ったりとかは確実に出来るって言えるよ。だからそんな来るかも分からない遠い未来の心配するより確実に来るすぐそこの未来に目を向けた方が良いと思わない?」

「それはそうだけど......」


 鬼塚さんは何か言いたいことがあるけど言葉に出来ない子どものような表情を浮かべると脚を引き寄せ両腕で包み込んだ。


「でもアタシはすごく怖い。さっきはアンタは優しいから一緒に居てくれるかもって言ったけど、アタシの事を好きじゃなくなったら段々と離れていっちゃいそうな気もしてて。だって吸血鬼を否定してなくても一緒に居るのはまた別の話だと思うから。だからもしアンタも離れて行ったらって思うと、また独りになったらって思うと怖くて。独りじゃない事の楽しさに温かさに慣れちゃった後の孤独って死ぬほど辛いから――アタシはそれが......」


 まるで不安な子どもが親に抱き付くように彼女は自分の抱えた脚を更に強く抱きしめた。微かに震え小さく縮こまった体。

 僕はデスクに上がるとそんな彼女の前に腰を下ろした。そしてその手をできるだけ優しく取り少しでも安心出来ればと両手で包み込む。


「大丈夫。もう独りにはさせないから」

「これから先の事なんてアンタにも分からないんでしょ?」

「そうだけど。でも結局どんな未来も等しく訪れる確率があるならなら、そんな鬼塚さんの事を好きじゃなくなるような、存在するかも分からない僕じゃなくてさ。心の底から鬼塚さんの事を好きで目の前の今ここに存在してる僕の言葉を信じてくれない? 大丈夫。未来は分からないって言ったけど、それも敢えて言うよ。これから先も傍にいるし鬼塚さんが行きたいとこ全部行くし吸血鬼で生まれてきたことなんて関係ないぐらい楽しい人生にしていく――いや、一緒にしていこうよ」


 鬼塚さんは顔を少し俯かせながら脚の陰へ更に潜らせた。一体どんな表情をしているのか見えないのが若干の不安だけど、少なくとも言いたいことは言えたと思う。


「生きづらいなら僕が手を貸してあげる。まぁ、僕に出来る事ならだけど。例えば......」


 少し思考を巡らせてみるとすぐにいいものが1つ思い浮かんだ。

 僕は更にネクタイを緩めてシャツのボタンを2つ目まで開けた。そして襟を引っ張り首筋を晒す。


「言ってくれれば僕の血、飲んでいいよ。さすがにあんまり大量には困るけど、鬼塚さんに必要な分はいいよ。――それで僕が鬼塚さんに手を貸してあげたら今度は鬼塚さんが何か1つお願いを聞くってのはどう? これで一方的に支えてるだけじゃなくて持ちつ持たれつになって気が重くもならないんじゃない?」

「お願いって例えば?」


 小さく少し籠った声がそう訊いてきたから少し何が考えてみた。

 今、鬼塚さんにして欲しい事。割とすぐに思い浮かんだそれは、それだけしかないという訳じゃないけど今一番してほしいというしたい事なのかもしれない。


「例えば、デートとか......かな」

「映画とか行ったじゃん」

「でもあれは遊びに行っただけでしょ。ちゃんとしたデートじゃなかったわけだし。だからまぁ、今はそれがいいかな」

「――もし、それでも気持ちが変わらなかったらどうする? 血は飲まないって言ったら」


 それが本当に単なるもしも話なのか何か試されているのか、はたまた迷っているのか。僕には答えが分からないけど今は真剣に考えてみよう。僕に出来るのはそれだけだから。


「そうだなぁ。――無理矢理飲ませるとか?」

「アタシを押さえつけて口に突っ込む気? まぁ今ならアンタでも押さえつけられるかもね」

「いやいや。そう言うんじゃなくて。飲まざるを得ない状況にするって意味」

「そんなことホントにできる? 飲むか飲まないかは結局アタシ次第だと思うけど? それこそ無理矢理口に突っ込まれない限り」

「まぁ卑怯だし危ないけど鬼塚さんが本当に僕を大切に思ってくれてるならって感じかな」


 僕はそう言うと彼女の手を離し一度、デスクを降りた。そして辺りを見回しある物を拾い上げ背に隠しながら彼女の前に戻った。


「もっといい方法があるかもしれないけど、僕はどうしても鬼塚さんと一緒にいたいから。もしそんな事を言うならこうするかもしれない」


 言葉の後、背後から拾った物を前に持ってきた。左手首に感じる冷たい感触。ちょっと怖くて想像したら思わず左手の力が抜けてしまう。

 僕は自分の左手首に鋭利な窓ガラス片を当てていた。


「ちょっ!」


 その瞬間、鬼塚さんは顔を上げ目を見張った。驚愕のせいか言葉はそれ以上は出てこず腕も緩み今にも僕へ伸びてきそうだった。


「本で読んだけど、吸血鬼の唾液とかって治癒効果があるんでしょ。だからもし今、僕が手を切ったらそうせざるを得ないかなって。それに今の鬼塚さんなら加えて衝動も湧き上がるかもしれないし。まぁほっとかれたら僕がヤバいんだけど」

「本気じゃないよね?」


 懸念を抱き冗談だと願うような表情で僕を見つめながら彼女はボソリと一言そう尋ねてきた。


「今のとこは、ね。僕も痛いの嫌だし」


 安心してという意味を込めて僕は大きくガラス片と腕を離して見せた。そしてそのガラス片は傍の窓枠へ。

 それを見た彼女はひと目で分かる程、ホッと安心した様子だった。


「――何でそこまでしてくれんの?」

「何でって。そりゃあ」


 僕は冷たく鋭利な感覚が余韻のように残る手首を摩りながら彼女の伏せた顔へ視線を向けた(と言っても顔自体は見えないけど)。


「好きだからだよ。どこがって訊かれるとあり過ぎて困るけど、やっぱり好きだからだと思うよ。色んな意味で」

「色んな意味?」

「ほら、友達としてもだし1人の女の子として――つまり恋愛的にもって意味」

「でもアタシ吸血鬼だよ?」


 表情は見えないけど今にも泣き出しそうな声が言葉を届けてくれた。


「いいよ。吸血鬼だろうが人間だろうが狼人間だろうか猫人間だろうがなんでも。僕は鬼塚 燈っていう1人の女の子を好きになったんだから。鬼塚さんが鬼塚さんなら別に吸血鬼かどうかなんてオマケみたいなもんだよ。吸血鬼ってことが悩みの種ってことは知ってるし悪いと思うけど、僕にはどうだっていい。でも鬼塚さんは吸血鬼だから、だから僕は吸血鬼の鬼塚 燈が好き。今、目の前にいる鬼塚さんの事が好きなんだ」


 彼女は何も言わなかったけど微かに肩は震え時折、漏れるような声と鼻を啜る音が聞こえた。


「それに迷惑だろうがなんだろうが別にかけてくれて構わないよ。僕にとってはそれ以上に鬼塚さんと会えなくなったりするのが嫌だからさ。でももし気が重く感じたらその時は――まずは手でも繋ごうか。そしてさっきも言ったけど何か僕のお願いでも聞いてもらおうかな。鬼塚さんが満足してくれるまで......。だから大丈夫だよ。本当に大丈夫。僕はそれでも大好きだから」


 気が付けば自然と伸びていた手は彼女の手を取っていた。さっきのように両手で包み込んだその手は温かく愛おしい。

 すると鬼塚さんがゆっくりと顔を上げ始めた。徐々に見えてくるすっかり泪に濡れた双眸と頬。少しでも零れるのを堪えようとしてるのか若干その表情はしかめっ面になっている。でも僕にはそれが可愛らしく思えた。胸の奥で感じる締め付けられるような感覚とどうにか発散させたいもどかしさ。僕の中で代わりに恋心が悶え大声で叫んでた。


「確かにずっと先の事を考えるのも大事だけど、それで今とかすぐそこの未来を楽しめないのは勿体ないよ。証拠とか納得させてあげられる何かは無いけどもししばらくの間、僕は絶対に好きでいるから安心してほしいって言ったら信じてくれる?」

「しばらくって?」

「んー。最低でも高校卒業とか」

「じゃあそのあとは?」

「僕はまだ好きでいるつもりだけど正直、その時がこないと分からないからなぁ。――じゃあ、その先は保留ってことで」

「何それ?」


 鬼塚さんが笑みを零すと同時に目から泪がひと雫流れた。まるで昼間に流れる流星のように頬を流れ顎先へ。


「結局、先の事なんて分かんないから考えないで保留で。その時が来たら一緒に確かめよう」

「それじゃあ、高校卒業まで持つかも分かんないでしょ」

「それはあれだよ。根拠のない自信ってやつ」

「それはその先には適用されないの?」

「あるかないかで言えば全然その先もあるけど、なにせ遠すぎるから。僕的には全然、賭けてもいいぐらいには自信あるけどね」

「――じゃあ、何賭ける?」


 その言葉に僕は思わず笑みを浮かべた。そして丁度、目が合った彼女も釣られるように笑みを浮かべる。一瞬、止まったようで2人だけの時間が針を進めていた。

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