28
「なんでも。鬼塚さんの望むモノをなんでもいいよ」
「じゃあ考えとく。だからそっちも考えといて。一応だけど」
「必要ないと思うけどね」
オマケみたいな小さな声が消えても僕らは互いに目が離せずにいた。宇宙に居るような感覚の中じっと見つめ合って。時の流れなんて存在しないみたいにずっと。
そんな最中、鬼塚さんの手が何かに導かれるように僕の方へ。それを受け止めようと僕も両腕を広げる。ゆっくりと首に周り優しく太陽みたいに僕を包み込む彼女の腕。同時にこっちへ寄ってきた彼女の体を包み込む。背に手を回し更に引き寄せると1歩2歩と前に進ん出来た膝が僕の伸びた脚を跨いだ。
そして(それが柔軟剤なのか何なのかは分からないけど)暖かな陽光が降り注ぐ花畑のような香りに少しテンポを速める心臓とすれ違う顔。穏やかな沈黙が流れる中、言葉の代わりに僕は彼女の体を強く抱き締めた。胸の奥まで沁みる温もりは温かさ以上のものがあって、ずっとこうしてたいと思う程に心地好かった。
それからどれくらいそうしてたんだろう。長いようで多分短い間、言葉は交わさず抱き締め合ってたけど、鬼塚さんがそっと離れ始めると僕も腕の力を緩めた。だけど互いに腕は回したままで照れた分だけの距離を少し開けて顔が向かい合う。彼女は真っすぐ顔を見つめながらゆっくりと僕の脚の上に座った。
「正直まだ吸血鬼の自分が嫌だし不安もあるけど、なんでだろうアンタと一緒なら大丈夫な気がするって思える。何にも根拠は無いけどね」
鬼塚さんはまだ潤んだままの瞳で柔らかな微笑みを浮かべ、僕もそれに釣られて口元が緩む。
「まぁでも多分それは、アンタがアタシ以上にアタシの事を認めてくれてて好きでいてくれてるからだろうね。アタシはずっと吸血鬼に生まれてきたことを不幸だって思ってたけど、アンタに出会えたことがその分の幸福なら......。悪くないのかも」
「その理論でいくと僕が鬼塚さんに出会えた幸福分の不幸はまだ来てないからこれから来るってこと?」
「気を付けて」
どうやら僕の方がこれから先の事を十二分に心配しないといけないらしい。
「もしもの時は助けてね」
「高いけどいい?」
さっきの笑みとは打って変わり意地悪な笑みを彼女は浮かべた。
「いいよ。でもその代わり支払いは――」
僕は襟を引っ張りあまり太陽と仲良しとは言えない首筋を大きく出して見せた。
「血で。あとどれくらい時間があるのか分からないけど必要でしょ?」
するとさっきまでそこにあった意地悪な笑みがそっと姿を隠すと真剣味を帯びた表情へと変わった。
「――ほんとにいいの?これはただの噂みたいなもんなんだけど。吸血鬼が人間から直接血を摂取し続けると段々と吸血鬼の血が混じり出すって聞いたことあるんだよね。人間が吸血鬼になるって訳じゃないけどもしかしたら検査で反応が出るかも。もしそうなったら色々と問題が出て来るでしょ?」
それは(別に大して勉強したという訳じゃないけど)僕も初めて聞くことだった。もしそれが本当なら確かに検査で反応が出るのはまずいかも。全てじゃないけど大学とか会社とかでは検査を実施してるとこも少なくないし。
「それって頻度ってこと? それとも回数?」
「ごめん。そこまでは分からない。もしかしたらそういうのはないかもしれないし」
「――でもそんな数回でなったりはしないんでしょ?」
「たぶん......」
「じゃあいいよ」
「でももし1回でなったら?」
「まぁ――それはその時考えるってことで。どのみち鬼塚さんの方をどうにかしないといけないしさ」
鬼塚さんは何も言わず少し目線を下げた。やっぱりそろそろ血の方も危ないんだろう。
すると、ふと聞き忘れていた大事なことが天から降りてくるように僕の頭にやってきた。
「あっ、そうだ。血をあげる前に1つ訊いていい?」
「いいけど」
視線が戻ってくると彼女は少し首を傾げながら頭に疑問符を浮かべた。
大丈夫だとは思うけど微かな緊張が僕の中で産声を上げる。多分、この言葉を言うこと自体への緊張だろう。その緊張が抱えた言葉を押し出す為に軽く息を吸った。
「――好きです。僕と付き合って下さい」
「えっ? ......それ言う必要ある?」
「いや、ほら。一応、一回フラれてる訳だし。改めて訊いといた方が良いでしょ?」
僕の言葉の後、鬼塚さんの吹き出すような笑い声が響き渡った。
「あの? 僕、真剣なんだけど?」
「ごめん。ごめん」
笑い交じりの声でそう言うと少しだけ落ち着く為の間が空いた。それからまだ口角の上がった彼女と目が合う。
「もし断ったらどうする?」
「んー。どーしよっかなぁ」
まるで憎めないいたずらっ子のような目をした鬼塚さんに対して僕はわざとらしく首筋を隠して見せた。
「それズルくない?」
「さぁどうする?」
「......分かったいいよ――じゃ、ないか。こちらこそよろしくお願いします」
口から言葉を出し切ると鬼塚さんは俯くように頭を下げた。
そして僕はあまりの嬉しさに彼女をもう一度抱き締めた。少し遅れて彼女の腕にも力が入る。
さっきより確かに短い間だけのハグ。さっきと同じくらいずっとこうしてたかったけど、まずはすべきことをしよう。
「それじゃあ、そろそろ」
「うん」
離れもう一度顔を見合わせる。鬼塚さんはどこか不安気だった。
「いつでもいいよ」
そう言いながら再度、襟を少し引っ張り首を少し傾げる。
「痛かったら、ごめん」
「大丈夫だよ」
怖い、それが本音。だけど僕は少しでも平然を装った。
そして鬼塚さんはゆっくりと顔を僕の首筋へと近づけた。彼女が呼吸する度に首筋に掛かる息。どこかくすぐったくて少し緊張する。
「こんなことアタシが言うのも変だけど、ちょっと怖いかも」
「なんてことないよ。ちょっと噛んで吸うだけ。すぐ終わるって」
「そうだね。――あのさ。手、繋いでていい?」
「いいよ」
僕は左手を背から離し彼女の右手と合流させた。掌同士を重ね合わせ、1本1本指を絡めさせるように手を握る。人が願い事をする時と同じ様に僕らは互いの手を握り締め合った。
「じゃあ、いくよ?」
「うん」
返事の後、柔らかな唇と針先の触れるような感覚が首筋から伝わり痛みに対する心の準備をした。
だけどそうすぐに痛みはやってこず、唇と牙先が触れたまま。
「大丈夫」
耳元でそう囁いてあげると「うん」と静かに唸るような声が返ってきて――次の瞬間、突き刺す痛みが駆け抜けるように伝わってきた。思わず堪える声が漏れ、同時に握る手と背に回した手にも力が入る。まるで心臓がそこにあるように強い鼓動と共に痛みが全身に広がっていく感覚だった。一定のリズムで刺激される痛覚。その痛みに混じって吸われる感覚と時折、血を啜る音が聞こえた。
だけど何故か痛みは徐々に引いていき気が付けば最初のが嘘のように楽になっていた。でも血を吸われてる感覚はまだそこにある。痛みが消え握り締める手と首に回った片腕に時折、力が入るのを感じれる程には余裕を取り戻せていた。
今、一体どれくらい血を摂取できているのか。そんな事を考えながら僕は彼女の握った手の感触と首筋を吸われる感覚、彼女の香りと片手で抱き締める体を彼女の存在を確認するように感じていた。
実際、どれくらいの血を鬼塚さんが飲んだのか分からないけど、痛みが消えてから気にならない程の時間が流れた頃、彼女の顔が首筋から離れていった。最後にまるでお菓子を食べた後に指を舐めるみたいにひと舐めしてから(前読んだ本にもあった牙の傷を塞ぐ為だろう。だけど僕はごちそうさまと言っているようにも感じた)。
そしてどこか心ここに有らずといった彼女の口は半開きで、唇は真っ赤な口紅でも塗ってるように血で赤く染まていた。心做しか呼吸が荒れてるようにも思える。
「どう? その......気分とか」
「血って――こんなに美味しいんだ」
僕の声は届いていないのか鬼塚さんはぼそりと呟いた。
そして言葉の後、その顔が僕へ向けられた。
「アタシ......ちょっとハイになってるかも」
そう言う彼女の瞳孔は確かに開いていた。だとしたら呼吸が少し荒れているのも気の所為じゃないんだろう。
にしてもどれくらいの時間でこの状態は落ち着くんだろうか。そんな事を考えていると握っていた手が滑るように離れ首へ回ってきた。それに反応し視線を向けると丁度、舌なめずりをする彼女と目が合った。
「好き......大好き」
突然の言葉に少し驚いてしまったけど、嬉しくないはずが無かった。でも実際ちゃんと言葉にされると何だか言われてる僕が照れくさくなってきた。
でもそういえば、こうやって鬼塚さんの口から言われるのは初めかも。
頭に言葉を浮かべながら少し顔に熱を感じていると彼女は閉まりきらない口と共に軽く顔を横に振った。
「ううん。そんな言葉には入りきらないぐらい溢れ出して――どうしよう、アンタの事が好きで堪らない」
「それは......どうっ!」
言い切るより先に口は何かに塞がれた。追いつかぬ思考の中、今までで一番強く抱き締める腕と唇に触れる柔らかな感触。薄れゆく感嘆符に比例して今の状況が鮮明になっていく。気が付けば僕らは言葉を塞ぎながらも言葉以上の想いを口にしていた。
そして遅れて僕も彼女の体を抱き締めると口元で笑みが浮かんだ。釣られて僕も。静かに互いの笑い声が交差し、改めるように触れ合う。
――僕の初めてのキスは、血の味がした。
血滴る朱殷色の糸 佐武ろく @satake_roku
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