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 だけどそんな僕の反応に対して彼女はすぐに顔を逸らした。視線が外れ僕もすぐに我に返る。

 それはほんの一瞬の出来事だった。


「血の事で頭が一杯になって、アンタがあんな目にあってたのに自分の事で精一杯で......」


 まるでさっきの無言のやりとりが無かったかのように顔を背けたまま鬼塚さんは言葉を続けた。


「もしアタシが吸血鬼じゃなかったらあんな風にならずに済んだのに......ごめん。――アタシずっと独りだったし、今までは血を吸う必要も無かったからちょっと自覚が足りてなかったけどあの時、改めて強く自覚したんだよね。自分が吸血鬼だって。嫌悪の眼差しで睨まれる血を吸う化物だって......」


 言葉が止まると鬼塚さんはゆっくりと顔を僕の方へと向けた。先程とは打って変わり愁いに潤んだ瞳から届くか細く消えてしまいそうな視線。


「結局、アタシはどこまでいっても吸血鬼なの。それは絶対に変わらない。だからアタシと一緒に居たらいずれアンタにも迷惑かかるかもしれないし――もしかしたらアタシが噛みついちゃうかも」


 鬼塚さんは冗談交じりに言ったつもりだろうが浮かべた笑みは残り香のように依然と先程の感情を帯びていた。

 だけど僕は彼女が何を言いたいのかが上手く掴めずそれを気にする程の余裕は無かった。


「つまり、えーっと......」

「つまりあの時、保留にしてた返事を今するから」


 彼女はそう言うと顔はそのまま体も僕の方へ。改まるように彼女と向き合った僕の中には多少の風では晴れることのない程の暗雲が垂れ込めていた。


「あの日から今日まで何回か遊びに行ったりここでこうやって話したりしたけど、それはすごく楽しかったっていうのは先に言っとく。こうやって誰かと遊びに行ったりとかあんまり無かったから、ありがと」


 そうどこか照れくさそうに、そしてどこか嬉しそうな表情を浮かべる鬼塚さんはこういう状況でも可愛く思えた。


「だけどやっぱりアタシは吸血鬼で普通じゃないから。――だから......ごめん」


 顔を俯かせ小さく呟いた最後の言葉は幽霊のように現れてはすぐに消えていった。

 すると彼女は僕が返事を口にする前に転がっていたペットボトルに手を伸ばし蓋を閉め鞄へ。


「まぁでもアンタが優しくて良い奴なのはアタシでも感じたから、きっと良い人が見つかると思うよ」


 無理矢理浮かべたような笑顔でそう言いながら鬼塚さんは鞄を手に立ち上がりデスクから飛び降りた。そしてスカートを靡かせながらこちらを振り返る。


「その時はまた頑張って告白するんだね。アンタなら大丈夫だと思うよ。まぁ相手の好みにもよるだろうけど」


 言葉の後、鬼塚さんは持っていた鞄を顔の高さまで持ち上げて見せた。


「それとハンカチとこのキーホルダーありがと。――それじゃあ......じゃあね」


 ぎこちなく一方的な別れの言葉を僕の反応を阻むように口にした鬼塚さんはすぐに背を向け歩き出した。徐々に遠ざかっていく背中。

 彼女のペースに呑まれ呆然としてしまっていた僕はその背中にハッと我に返った。


「ちょっ、鬼塚さん。待ってよ」


 僕は慌ててデスクから降りると彼女の元まで駆けその腕を掴んだ。足が止まり振り向く彼女の表情にはもうあの無理矢理浮かべたような笑顔は無かった。


「何回も言うけど別にそんな事――」

「でもアタシにはある。それにアタシはもう......」


 僕の声を遮った彼女の言葉は途中で力を失ったように消えていった。その先にどんな言葉が待っていたのか僕には分からない。


「とにかくアタシの答えは変わらないから。――もうこうやって話すこともないかもね。じゃっ」


 滑り落ちるように僕の手を彼女の腕がすり抜けると、鬼塚さんはそのまま部屋を出ていった。

 1人取り残された僕の横を通り過ぎていく階段を下る音。手に残る温もりと感触。

 僕は自分の意識のようにぽっかりと壁に空いた出入り口をただ見ていた。いや、見ているようで見ていない。まるで目から入ってきた光がそのまま貫通してしまってるように。

 そして自分だけ時が止まっていたんじゃないかって思えるぐらいには何も考えられず何も聞こえず、何も見えていなかった。もしかしたら長い間その場でそうしていたのかも。それすらも分からない。

 でも我に返った時、僕の感覚でそれはほんの一瞬の出来事でしかなかった。ただ足音はもう消えていて木々の囁きもカラスの鳴き声すら無い森閑しんかんの中に僕はただ佇んでいた。何故こんなことになったのかすら分からず、鬼塚さんの悲し気な表情がただ頭に浮かぶ。

 確かに僕は何の前触れもなく明確にフラれた訳だけど、どこかスッキリとせず拭い切れない何かが心にはこびり付いていた。諦めきれないというより腑に落ちない、慣れていたはずのモノが突然合わなくなるような感覚がそこには存在ていた。


「どうして急にあんなこと......」


 小さく響いては消えていく僕の声。そんな四方へ飛び散った声の1つを追うように僕は外へ目をやった。瞼を下ろし始めた空に伴って外は薄暗い。

 僕はデスクまで戻ると鞄を手に取りモヤモヤと晴れない気持ちのまま幽霊ビルを後にした。


 でも心に残り続けたそれは一晩中、色々な思考を巡らせ僕は寝ぼけ眼でホームルームをする先生を見る羽目に。

 そして今日は朝から斜前は空席。鬼塚さんはそれからも休むことが多くなり登校しても早退することがしばしば。

 その間、僕はずっとあの日の幽霊ビルでの事が気になっていた。別にフラれた事がどうこうという訳じゃなくてあまりにも急だったのと彼女が心配だったから。

 やっぱりあのコンビニでの出来事が彼女に何か変化をもたらしたんだろうか? それまで僕としては上手くやれてたと思う。だから何かあるならあの時なはず。

 それか、実は僕の知らない間に何かが蓄積されてその結果としての出来事何だろうか? もしそうなら仕方のない事なのかもしれない。でもどうせなら僕のこういうとこが嫌いでこういうとこが合わないからってフラれた方がもっと簡単に割り切れたのに。

 そんな考えても意味のない事が頭に浮かぶがそれを払いのけあの時の会話を―と言っても半分以上鬼塚さんが話していたんだけど―思い出していた。彼女の言葉や表情は鮮明に覚えてる。

 僕はこれまでどこか勝手に彼女は――というより吸血鬼の人達は自分達の種族の事を誇りに思ってると思ってた。だけど、実際はそうじゃない人もいるんだ。鬼塚さんのように。僕は吸血鬼じゃないから分からないけど、やっぱり現代で吸血鬼として生きるのは想像以上に辛いのかもしれない。

 そして彼女はそんな吸血鬼が嫌い。いや、嫌いなのはそんな吸血鬼の自分なのかも。鬼塚さんはこれまでどいう気持ちを胸に抱えて日々を過ごしてきたんだろうか? 人を避け、自分が吸血鬼だということを隠して生きるという事はどれだけ淋しく辛いんだろう。友達同士で楽しそうにする同級生へどんな眼差しを向け、ニュースや吸血鬼に対する酷い言葉をどんな気持ちで聞いていたんだろうか? 

 僕には想像すら出来ない。ましてや理解してあげることなど言葉では言えても人間の僕には到底無理だ。

 そしてその吸血鬼であるということが鬼塚さんにどれだけ重荷として圧し掛かっていたんだろうか? 僕は彼女と言葉を交わし一緒に出掛けただけで少しずつ彼女の事を分かってきたと思っていたけれど、それは所詮その気になってただけなのかも。もしかしたら僕と一緒に居たことが彼女に自分が吸血鬼であることを追い打ちをかけるように感じさせていたのかもしれない。そう思うと幽霊ビルで彼女が自分の所為であるかのように言ったのは優しさだったのかもと思えてくる。

 だけど僕と――人間と居るのが彼女にとって苦痛となっていたのなら。僕は彼女の為にももう関わらない方がいいことは誰の目にも明らかだ。

 でももし何か出来る事があるのなら――もし彼女の毎日が少しでも楽しくなるのなら僕は何だってしてあげたい。それはまるで世界を救うヒーローのように強い想いだったけど、そう都合よくその何かであるアイディアは姿を現しはしなかった。

 そもそも何かなんて本当は必要なくてただ僕が考えすぎという可能性もゼロじゃないし、問題は別のとこにある可能性だって無いとは言い切れない。

 結局、何一つ変わらないままあの日から日めくりカレンダーの数字だけが増えていった。

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