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「そういえばあのニュース見た?」

「――あのニュース?」

「海外で起きたやつ。吸血鬼居住区が襲われたっていう」


 鬼塚さんの口にした2つの単語で僕の頭ではあのツイッターで見た悲惨なニュースが引っ張り出された。


「実行犯が吸血鬼反対派のグループのやつ?」

「そう」

「うん。ツイッターで見た」

「吸血鬼側にも亡くなった人が沢山いたらしいけど。あれってさ、結局、あの人たちは吸血鬼っていう理由だけで殺されちゃったんだよね」

「一通り記事は読んだけどあれは酷かったよね。ビックリしたと言うかあまりにも衝撃的だったかな」

「アタシは......何て言うんだろう。そんな気はしてた――っていうのは違うか。別に起きても不思議じゃないって感じたかな」

「不思議じゃない?」

「だって、吸血鬼ってそれぐらい嫌われてたり煙たがられたりしてるし。アンタもどれだけ印象が悪いかは分かるでしょ?」

「――まぁ」


 それは否定しようがない事実だった。


「だからなんかあんま想像も出来ない事件が起きたって感じでもないかな。ちょっと冷たいかもしれないけど。それに社会の裏ではそういうことも結構起こってそうな気はするんだよね。ただ表に出ないだけで。吸血鬼だから酷い事されたり最悪の場合は......。まぁ、実際どうかは分かんないけど」


 僕も現実がどうかは分からないけど鬼塚さんの言う事は妙に納得できてしまった。そして同時に恐怖も感じた。規模は違えどあのニュースのような事が起きている(もしかしたら自分の街のどこかでも)と思うと背筋が凍る。


「でもそれだけ吸血鬼の命が軽いってことだよね」


 だから仕方ない、僕には鬼塚さんがそう言っているように聞こえた。


「そしてあたしもそんな吸血鬼の1人。そう思う度に――改めて自分が吸血鬼だって思う度に......」


 鬼塚さんは言葉の続きを口にする前に立てた膝を両腕で抱きかかえ口元を覆うように顔を埋めた。帯びた憂愁に下がる視線。より力の入る腕は彼女の体を更に小さく丸めた。


「この世界にアタシの居場所なんて無いように感じるんだよね――街中とか大勢の人達に囲まれてると余計にね。こんだけ沢山の人がいるのに誰も知らないし。そんな事は無いかもしれないけど、この人混みの中でアタシだけ吸血鬼で他は人間って思ったりして。そんな事考えちゃうと余計に孤独を強く感じるっていうか。アタシって独りなんだなって思うんだよね」

「――だからこの場所が好きなの?」


 僕はそう尋ねながらそんな事を口にした自分に惝怳しょうきょうとしていた。もっと言うべきことがあるだろうって。


「そうかも。誰もいなくて静かなここに居ると世界に自分しかいないんじゃないかって思えるんだよね。人間も吸血鬼も誰もいなくてアタシだけ。でもそう思うとなんか悩みとかも全部考える必要が無くなる気がして、頭を空っぽに出来るんだよね。だからここが好きなのかも」


 僅かな静寂の後、彼女の声は言葉の続きを響かせた。


「それにもしかしたらここだけがアタシの唯一の居場所なのかもしれないし」


 それはどこか嬉しそうで、どこか淋しげな声。居場所と思える場所があることに幸せを感じながらもその場所が忘れられたように寂寞せきばくとした廃ビルということに索漠さくばくさを感じているようだった。

 でも僕は口を開くより先に彼女の言葉に対して首を横に振った。


「ここだけじゃないと思うよ」


 言葉の意味を問うように鬼塚さんは僕の方へ顔を向けた。


「だって全世界の人が吸血鬼に対して否定的な考えを持ってる訳じゃないし。だから絶対に居場所はあるよ」

「まぁ、中には幸せに生きてる吸血鬼もいるだろうね。自分が吸血鬼なことを認めて、認められて幸せに生きてる吸血鬼が。でもアタシは......。何で自分は吸血鬼何だろうって思ってるし、なるべく他人と関わらないようにしてきた。誰かに自分が吸血鬼だって知られるのが怖かったから。だからずっと独りでただ時間を消費する為だけに生きてきたんだ。今はクラスのみんなも必要な時、明るく声を掛けてくれるけど、多分アタシが吸血鬼って知ったら避けるだろうね。いや、避けられるだけならまだマシか。吸血鬼なんてこの世界からいなくなればいい、そこまでいかなくても別に居ても居なくてもどうでもいいって思てる人のが大半だろうから。そう言う事を言われないだけ......その方がマシなのかも」


 そうじゃない人もきっといる、僕がそう言おうと口を開いたタイミングで鬼塚さんは1歩先に言葉を声にした。


「――ねぇ。吸血鬼のアタシって生きてても良いのかな?」


 それは開けた口を閉じることすら忘れさせる一言だった。1拍分そのまま唖然としてしまったが、すぐに漏れた感情で小さく何度も首を横に振り口を動かす。


「いいよ。いいに決まってる! 吸血鬼だから生きてちゃダメなんて、そんなこと絶対に無いし、誰にもそんなこという権利はないよ。だから鬼塚さんは生きてていいんだよ」

「アンタはさ。アタシの事が、吸血鬼とか関係なく好き?」

「もちろん! だから吸血鬼だって知ってもまだ好きでいるんだよ」


 さっき同様に迷う必要はない。僕はその質問に即答した。思考するまでもなく反射的に言葉が出てきた。だって確実な想いがそこにはあるから。

 鬼塚さんは僕の返事を聞くと嬉しそうに笑みを浮かべたけど、一瞬だけ険しい表情を見せたかと思うと顔を逸らし放置していたペットボトルを手に取った。それから急ぐように蓋を開けると半分以上ある中身を目を瞑り一気に飲み干す。まるで砂漠を彷徨い水に飢えた人みたいに。あっという間に空になったペットボトルは蓋を締めずに放り捨てられその弾む音が響く中、彼女は舌舐めずりをした。

 そして彼女の顔は両目に再び光を浴びせながら僕の方へと向き直す。


「じゃあ――」


 僕の目をじっと見つめながら聞き逃してしまいそうな声が呟く。

 すると鬼塚さんは僕との間に手を着け一気に顔を近づけてきた。驚きながらも見上げる彼女の双眸を見るが目は合わない。でもその距離に折角聞き取った言葉ごと全てが追い出され瞬く間に頭は真っ白。

 その間にも何を考えているのか読み取れない表情の彼女が近づいてくる。心臓は暴れ狂うようにテンポを速め口は半開き。息がかかってしまいそうな程まで近づく艶やかに濡れた唇と見上げているが合わない視線。

 だけど彼女の顔は僕の顔を通り過ぎ、同時に首に両腕が回った。肌から伝わる温もりと空気と混じり合う香り。頭では何も考えられなかったけど、今までで一番鬼塚さんを近くに感じた。

 彼女に抱き締められたと気が付いたのはそんな感覚より少し遅れてからだった。

 だが僕の中に依然と存在する驚という感情に包み込まれている所為で把握しているはずの状況すらぼやけ気味。分かっているのに分からない、そんな矛盾した思考に戸惑っていると耳元で彼女が囁いた。


「アンタはアタシの事が好きだから――だからそう思えるのかもね。恋は盲目なんて言うけど今のアンタには本当のアタシが見えてないのかも。それか恋のせいで良い様に見えてるだけかも......」


 主張するような鼓動と重なりながら聞こえてきた言葉が消えていき、鬼塚さんはゆっくりと僕から離れていった。元の位置に戻った彼女とまだ静まらない心臓を胸に向き合うと彼女の口が再び開き始める。


「でもアタシはどこまでいっても吸血鬼。人間の血を吸って、人間を捕食する事も出来て、大昔に人間へ首輪を付けようと戦争を起こした者達の末裔」

「でもそれは――昔の事は今の鬼塚さんには関係ないよ。それに捕食だって別にしないといけない訳じゃないし。血はそうだけど、でもそれも仕方ないと言えばそうだと思うし」

「アタシさ。実はあのコンビニの時。途中から逃げないとって思ってたんだよね。手でも引っ張ってさっさとこの場から消えた方がいいって。でも出来なかった。何でか分かる?」


 最初のように唐突に始まったあの夜の話に若干戸惑いながらも僕は首を横に振って見せた。平気そうに見えたけど実は怖かったのだろうか。何て考えながら。

 彼女はそんな僕の反応を見ると片手で双眸を覆い少し顔を俯かせた。


「殴られて流れた血を見てさ、あと匂いも。それでアタシ――」


 言葉が止まるとズレた手から片目が僕の方を覗き見た。


「アンタの事が美味しそうに見えちゃってたんだよね」


 わざとそうしてるのかそれともその時の事を思い出してそうなってしまったのか、彼女の目は獲物を見るように鋭かった。そこから放たれる突き刺すような視線。僕は思わず慄然ぞっとしてしまった。気が付けば(その場から動いてはいなかったが)体は少しばかり引き気味になり相変わらず早鐘を打つ心臓の顔色が変わっていた。

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