22
次の日の朝、僕は鏡を見て傷の状態があまり酷くなっていないことにホッとひと安心した。だけどその安堵もつかの間、朝ご飯は少し辛くて―口内の傷が染みるけど幸いにも片側では食べられる―これがもうしばらく続くと思うと溜息が零れそうになる。
そんな朝を終え学校に行くと蒼空に吃驚されたけど何とか適当な理由を付けた。そしていつも通りの時間にホームルームが始まりいつもの時間に鬼塚さんが登校。だけど彼女は席に座る前、僕の顔を見ると一瞬だけ眉を顰めた。僕もそのことに気を取られてしまいどちらも何も言わず朝の挨拶は舞台袖で控えてただけ。
その所為か分からないけど何だか少し距離を感じながらもリピートしたような学校生活を送っていると4限目から鬼塚さんの姿が見えなくなった。お昼を過ぎても午後になっても僕の斜前は空席のまま。結局、それは放課後になっても変わらず(途中から早退でもしたんだろうと分ってたけど)部室へ向かう部活生の中、僕は校門を出た。
その足で向かったのは近くの百貨店。朝、母さんから貰ったお金でハンカチを買う為だ。
でもまず僕はそもそもどこに売り場があるのかすら分からない状態。ハンカチを買う以前の問題だ。だけどそれは何とか店内地図を見ながら探し出した。
しかし次なる試練とも言うべき難題が襲い掛かる。
「一体どれがいいんだろう」
僕はずらりと並ぶハンカチを見ながらどれがいいのかと1人首を傾げていた(本当は同じ物があればいいんだけど)。シンプルな物から派手な物まで色々な種類があるからこそ余計に迷ってしまう。
それからしばらくあれでもないこれでもない、と1人悩み続けてた。でも結局、何が良いかなんて分からず半ば投げやりで決めてしまった(もちろん投げやりとは言ってもちゃんと良いと思う物を買ったけど)。
個人的には良いと思うハンカチを鞄に百貨店を出た僕は初めてのおつかいを終わらせた子どものような達成感に満たされいた。
そしていつどこで渡そうかを考えながらとりあえずで足を進める。
「もしかしたらあそこに居たりしないかな?」
いつの間にか早退してしまっていた鬼塚さんだけど別に体調が悪そうには見えなかったからもしかしたら例の場所にいるのかも。そう思った僕は行くだけ行ってみようと幽霊ビルへ方向転換した。
* * * * *
相変わらず不気味な雰囲気がある幽霊ビル。だけど心なしか初めて来た時より慣れてきたようにも思える(まだ多少は怖いけど)。
そんな心にあるバリアのような余裕を胸にカラスの鳴き声と木々の囁きの中、見慣れた幽霊ビルに入って行った。階段を上り馴染みある209という数字の部屋へ。ドアの無い入り口の前に立ち定位置と言うべき正面のデスクを見るとそこには僕の求めていた姿が寝転がっていた。
その姿に止めていた足を動かし閑静な部屋に足音を響かせる。鬼塚さんは確認する為だろう1度顔を僕の方へ向けてから起き上がった。彼女が胡坐を掻く頃にはデスクの前まで来ていた僕は空いたスペースを指差した。
「いい?」
「別にいいけど」
わざわざ訊く必要はない。そう言いたげな返事を受け取ると僕はデスクへ腰を下ろした。
「傷、どう?」
丁度、座って鞄を横に置いたタイミングであまり元気のない心配そうな声にそう尋ねられた。だから僕は大丈夫だということを見せる為、明るめに答えを返す。
「思ったよりも浅かったし、全然平気」
「ならいいけど」
声色が変わった気はしないけど、彼女の気持ちが少しぐらい軽くなっていたらいいな。僕は彼女を見ながら願うようにそう思っていた。
すると僕の頭に忘れないでと言わんばかりに要事が顔を見せた。
「あぁ、そうだ」
僕はそう呟きながら鞄を覗き込み、すぐそこにあった紙袋を取り出すと封を切った。
「昨日、貸してもらったハンカチなんだけど。血塗れになっちゃったから新しく買ったんだけど......」
言葉を止め紙袋の中から出したハンカチを広げて見せる。それは中々に緊張の一瞬だった。目の前で広がるシンプルなハンカチ。派手な柄とかは無いけど端の方にあのキーホルダー(クレーンゲームで取った黒猫と狼のキーホルダー)と同じキャラが居るのが個人的にはポイントだ。
「どうかな?」
「アタシに?」
「そう。汚しちゃったからその代わりに」
「別にあれぐらい気にしなくてもよかったのに」
「――でもほら、もう買っちゃったっていうことで」
でも僕がハンカチを鬼塚さんに差し出すと、彼女は素直に受取ってくれた。
「本当は同じ物を買おうかなって思ってたんだけど無かったからこれにした。どうかな?」
少しの間、視線を落としハンカチを見つめる彼女の感想を僕はドキドキしながら待っていた。
「これってあのキーホルダーのやつだよね?」
「そうそう」
僕の返事を聞きながら鬼塚さんはまだ鞄に付けてくれていたロケットにしがみ付く2匹のキーホルダーへ視線を移した。見比べてるのだろうか?
そして数回ほど行き来した視線が今度は僕の方へ向けられた。
「これ気に入ってるから嬉しい。ありがとう」
言葉と共に微笑む鬼塚さん。何だか久しぶりに彼女の笑顔を見れたような気がして僕もついつい釣られてしまった。
「しかもこれ宇宙服着てるじゃん。可愛い」
「そうなんだよ。それにこの2匹って実は名前があるらしくて。――確か黒猫の方が女の子のローシャで狼の方が男の子のイグニスっていうらしいよ」
「へぇー。結構ちゃんとしたキャラだったんだ」
「そうらしいよ」
「――わざわざありがとう」
少しの間ハンカチのローシャとイグニスを眺めた後、鬼塚さんは改めてお礼を口にした。
でも僕は鬼塚さんが喜んでくれただけで、少し開いたように感じていた距離が戻っただけで十分。声に出さなかったがハンカチを鞄に仕舞う彼女を見ながら僕はそんな事を思っていた。
お礼を最後に川の流れのような自然さで終わりを迎えた会話。そんな会話と次の会話を繋ぐように外からはカラスの鳴き声が聞こえていた。何を言っているのかさっぱり分からない鳴き声が響く中、じっとしていた僕の隣で鬼塚さんが鞄からペットボトルを取り出す。だがその途中でペットボトルは逃げ出すように滑り落ち、転がりながら僕の方へ。
「はい」
それを拾い差し出すと自分の手に視線を落としていた彼女はお礼を言いながらわざわざ両手で支えるように受け取った。でも何故だかそれは飲まずにそのまま鞄の隣に並べられた。見捨てられたように鞄の横で佇むペットボトル。本当に何となくそのペットボトルを眺めていると、ぼそりと呟いた彼女の声が聞こえた。
「吸血鬼って何で生き残っちゃったんだろうね」
「え?」
僕にとってそれは気が付けばそこに瞬間移動してきたみたいな何の脈絡もない言葉で一言一句ちゃんと聞こえたのにも関わらず意味が理解できなかった。それが日本語だと認識出来るのに知らない外国語のように分からなくなったみたいな不思議な感覚。
「もし大昔の戦争で吸血鬼が全滅してたらアタシって生まれてこなかったのかな? それとも人間として生まれてきたのかな?」
体育座りで自分の手に視線を落としながら彼女は独り言のように続けた。少なくとも僕にはもしかしたら本当に単なる独り言なんじゃないかって思えるぐらいに突然過ぎる言葉だったことは間違いない。
すると、呆気にとられ黙っていたからか鬼塚さんは顔を上げ僕の方へ目を向けた。
「あっ。ごめん。急に変なこと言って......」
「いや。ビックリはしたけど全然。――鬼塚さんは、その......。吸血鬼じゃなくて人間が良かったの?」
頭に思い浮かんでから口にするかどうか迷ったけど、それは言葉となって鬼塚さんの元へ。今の世界が吸血鬼にとって生きずらい事は分かっているけど僕は吸血鬼じゃないから彼女らが吸血鬼をどう思っているのかは分からない。吸血鬼であることを誇りに思ってる可能性もある。だから迷ったけど訊いてみた。
「もし生まれる前にどっちか選べるなら、そりゃ人間がいいでしょ。正直、吸血鬼なんて――ハズレクジみたいなもんだし」
多分、吸血鬼でもない僕にその言葉を否定する権利も肯定する権利もない。だから質問をしておいてただ黙っているしかなかった。
そんな僕の隣で顔を俯かせる鬼塚さん。
「生まれた時から周りにいる多くの人達と違ってて、その違うってことがバレちゃダメで。自由でいたかったら出来るだけひっそりと静かに生きないといけない。人前で大きな怪我をするのもダメだし血もどうにかしないといけない。それに気を付けないといけないって程じゃないけど下手したら人間を傷つけるかもしれないし。そして吸血鬼だってバレれば端に追いやられる。折角世界は広いのにほんの一区域に閉じ込められちゃうなんて、まぁ嫌だよね。――そんな風に生まれてから死ぬまで枷を掛けたまま生きることを強いられる人生なんてハズレ以外のなにものでもないでしょ」
こういう時って何て返せばいいんだろう。そればかりが巡る僕の頭はまるで本体しかない無いデスクPCのように全く使い物にならなかった。結局、無駄に開いた口は静かに閉じていく羽目に。
「たまに考えることがあるんだよね。もし人間として生まれてたら今頃どんな人生を送ってたんだろうって。もっとこう友達とか沢山いて部活してたかもしれないし、毎日放課後は色んなとこに遊びに行ってたかもしれないし。でもたまにはこんな風に1人で静かな場所に来たり。もっと人生を謳歌してたのかも」
その時の彼女の表情はまるで煌びやな夢を語る少女のようだったけど、結果と言うどうしようもない現実がどこか陰を掛けていた。
すると、俯いていた彼女の顔が回転し僕の方を向いた。その僕を見上げる横になった顔に少し胸がくすぐられる。
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