17

「おっ。今日は珍しく早いな。早く席に着け」


 チャイムが鳴る中、教室に入って来た先生が教壇に立つまでの間にドアから中へ入って来た鬼塚さん。足を止めた先生は少し感心した様子だった。

 たった1日見なかっただけなのに今日の彼女からはどこか懐かしさすら感じる。


「鬼塚さん」


 その日の放課後、教室を出た鬼塚さんへ後ろから声を掛けるとゆっくりと振り返り疑問に染まった表情が僕を見た。


「今日もあのビルに行くの?」

「いや、今日はちょっと――」


 何か用事があるのだろう。彼女の言葉はそんな感じだった。


「そうなんだ。あっ、呼び止めてごめんね」

「うん」


 今日の鬼塚さんはどこか素っ気ないというか元気が無いというかいつもと少し違った様子だった。でも誰しも気分の乗らない日もあれば別にそんなことは無いのにそう捉えられてしまう事もあるし気にする事でもないのかも。


「また明日」

「うん」


 言葉と言うにはあまりにもぼんやりと輪郭のハッキリしていないそれを口にすると鬼塚さんは踵を返すように背を向け行ってしまった。遠ざかり小さくなっていく彼女の背中を佇んでいた僕は見送るように見えなくなるまで見つめていた。


「なーに、ぼーっと突っ立ってんだよ」


 声と共に軽く叩かれた肩。僕は声のした方へ顔を向けた。

 そこに居たのはまだ制服姿の蒼空。


「別に何でもないよ」


 相変わらずの爽やかさを纏った女子に人気の顔で子どものような笑顔を浮かべてる。でもいつも耳で光っているはずのピアスの姿は無い。


「部活は?」

「今から。ちょっと忘れもんしたから。題して世界の名言100選」

「なにそれ?」

「世界の偉人たちが残した名言が載ってる本。例えばピアニストのサン=ラフニス=クライス、『私にとって旋律は言葉の一種だ。そして想いを込めた旋律は時に言葉をも超越する。だが言葉同様、奏でなければ相手の心には届かない』とかそう言うのが100個載ってる本だな」

「なるほど。そういうの好きだよね蒼空って」

「まぁそうだな」

「あぁ。だからピアスも外してるんだ。部活前だから」

「そういうこと」


 蒼空はそう言うとピアスを恋しそうにする穴の開いた耳たぶを指先で弾いた。


「じゃあ僕は帰るから部活頑張ってね」

「あいよ。じゃあ明日な」

「うん。明日」


 僕は部活のある蒼空と別れるとそのまま帰路に就いた。


 その日の夜。寝る前にツイッターを見ていると何やらあるニュースがバズってた。

 海外での出来事らしいが、吸血鬼居住区を(その国の吸血鬼と発覚した人はここに住むことを余儀なくされるらしい)武装集団が襲撃したという事件。吸血鬼側と襲撃側の両方に死者も重傷者も多数で現場は血の海と表現される程に悲惨だったらしい。襲撃を行ったのは所謂、吸血鬼反対派のグループ。その中でも過激な思想を持った人たちが集まり犯行に及んだと記事には書いてあった。

 だけど一番驚愕したのは彼らは全員お酒を飲んでいて半ばその勢いで実行したという一文。元々、吸血鬼に否定な考えだったとはいえそんなノリと勢いみたいなことでこんなことをやってしまうなんて正直、恐怖すら覚える。

 そしてこの事件が今、世界的に物議をかもしているらしい。簡単にリプ欄を見て見たがこの事件に関しては否定派が多そう。

 そのことに少しホッとしながらも頭には鬼塚さんの事が思い浮かんでいた。もし吸血鬼であると分かった途端、理不尽な暴力が彼女に襲い掛かるかもしれない。そうなる可能性は低いと分っていても想像するだけで悪夢だ。

 僕はスマホを閉じてそんな今考えても仕方がないことから目を逸らそうと瞼を閉じる。

 だけど僕が眠りに落ちるのはそれからもう少し時間が経ってからだった。


                * * * * *


「あれ? 1人?」


 くっつきあった机の1つに置かれた弁当前に座る僕へ声を掛けながら蒼空は向かいに腰を下ろした。買って来た弁当(今日はカツ丼だ)とお茶を机に置きながら。


「うん。なんかやることがあるとか」

「なるほどな」


 そう言いながら蒼空はお茶を一口。

 僕も今日は登校してた鬼塚さんと一緒に何て思ってたけど気が付いたら居なくなってて(あの屋上にも行ってみたが居なかった)戻って来たんだけど。


「そんじゃいただきまーすっと」


 見慣れた光景で始まる昼休み。鬼塚さんと食べる弁当が特別で美味しいなら蒼空と食べる弁当はいつも通り美味しい。苦痛じゃない普通は呼吸する度に酸素を意識しないように改めて考えるまで当たり前に過ごしてしまいがちだけど、特別を一度味わった僕は同時にこの普通のありがたみというか良さも改めて知れた。特別が普通を際立させたとでもいうんだろうか。

 でも改めて蒼空にそんなことを言うのは気恥ずかしいからこれは心に留めておこう。そうスマホを片手に弁当を食べる蒼空を見ながら僕は秘かに思っていた。


「そういえば蒼空って大学生の人の彼女いたよね? 今も付き合ってるの?」

「おん」


 丁度、カツ丼を口にしたタイミングだったから唸るような返事が返って来た。


「半年ぐらいだっけ?」

「んー。半年ちょいぐらいかな」


 自慢気に彼女との写真を見せて来た時のことは今でも覚えてる。あの時の蒼空は自慢したいっていうより欣喜雀躍きんきじゃくやくとしててそれを誰かと共有したいって感じだった。


「まだ半年しか経ってないけど。にしても懐かしいなぁ。いや、実は最初はさぁ。あっちも高校生徒は無理かなぁって感じでふんわり断られちゃったんだよ」

「へぇー。なのによく付き合えたね」

「そりゃあ伝わったんだろ」

「何が?」

「愛」


 多分、蒼空は少しふざけたつもりなんだろうけど(言い方がそんな感じだった。でも全くそう思ってない訳でもないはず)残念ながら僕は言い返しが思い付かなかった。


「――そうだね」

「なんだよその反応」

「でも言っちゃえばそういうことでしょ?」

「まぁまぁそうだけど。今のはもうちょっと何か......」

「具体的にはどんなことしたの?」


 何かを言いかけた蒼空を遮って僕は会話を先に進めた。申し訳ないが自分でも何か良い返しが出来てればという後悔の念があったから大目に見てもらいたい。


「そーだな。――積極的に遊びに誘ったりライン送ったりとかしてたかな。うざがられない程度にだけど。でもやっぱり一番大事なのってラインでもリアルでもだけど時間を共有してる時に楽しいってどんだけ思ってもらえるかだと思うんだよ。あとはバランスだな」

「バランス?」

「そう。やっぱり与えるだけじゃダメだと思うんだよな。ギブアンドテイクっていうか――相手の為に色々やってっていうのは恋する者の性なのかもしれないけどそれも相手は同じな訳だしちゃんと受け取ってあげないと。人によるかもしれないけどされてばっかりじゃ重いっていうか申し訳なくなったりもするじゃん。だからつまり何が言いたいかと言うと――」


 頭でまとめているのか顎に手を添えながら少し言葉を止めた。


「さっきのこともそうだけど俺といるのが楽しかったり心地好いって思ってもらえるように精一杯やるだけってことだな。――まぁでも、結局のとこどう感じるかは相手次第だから俺は俺なりに全力でやるしかないんだけど」

「もしそれでダメだったら?」

「その時は落ち込むかもしれないけど。でも仕方ないだろ。だって俺もこのクラスだけじゃなくて色んな女の子を知ってるけどその中からたった1人、今の彼女に恋したんだから。それは彼女も同じじゃん。数いる男の人の中から1人に恋をする。それが俺かそれ以外かってことだし。そして俺はそれを少しでも自分になるように頑張るだけ。それで断られたら仕方ないとしか言いようがないだろ。俺だってもし彼女に片思いしてる時に、他の子から告白されても断っちゃうと思うし。それと同じで自分がどれだけ好きでもその人にとって自分が一番好きかは分からないからな。結局、1人の個人と1人の個人。相手は操作できないから俺が出来るのはひたすらアピールぐらいってこと。俺はそういう心理学とかも知らないからな」


 蒼空はお茶を手に取ると飲む直前に何かに気が付いた表情を見せた。


「――その甲斐あってか選ばれたのは俺でした」


 とペットボトルのパッケージを僕に見せた。きっとそのお茶のCMを真似してるんだろう。伝わった事は確信できたのか言葉の後、満足げな顔をしながらお茶を口へ運んだ。

 口角を上げたままお茶を飲む蒼空を見ながらさっき言ってた事が彼らしいと改めて感じつつ、意識的か無意識的か『1人の人間』じゃなくて『1人の個人』と言ったのが少し嬉しかった。


「お前も頑張れよ」


 それは不意に掛けられた言葉。多分、その時が来たらという意味なんだろうが秘かに僕はその真っ最中だから少し違った意味合いに聞こえてしまう。でもありがたくその言葉は受け取っておくことにした。


「うん。ありがと」

「――あっ、そうだ。これ余ってるからお前にやるよ」


 僕は何かと思いながら財布を探る蒼空を見ていた。すると「これだ」と呟きながらチケットのような物を2枚取り出し、1度確認してから僕の方へ。何かは分からず心内で首を傾げながらもとりあえずそれを受け取ってみる。

 それはフルーツシェイク専門店の無料券だった(2枚だから丁度2杯分の)。


「いいの? これ貰っちゃって?」

「いいよ。俺ら一回行ってるし、それに次のデートの時は期限切れになってるから。あっ、期限には気を付けろよ」


 注意に促され期限を確認してみるとあと2週間程度だった。


「分かった。ありがとう。でも何で2枚?」

「いや、別に理由はないけど。まぁ強いて言うなら俺が持ってても仕方ないし。だから適当に使っていいぜ。誰かと一緒に言っても良いしお前が2杯飲んでもいいし。好きにしてくれ。ちなみに味はめっちゃ美味い」

「分かった。ありがたく貰うよ」


 僕は頭で既に鬼塚さんの事を考えながら無料券を財布に仕舞った。今度の休日にでもこれを理由に鬼塚さんを誘ってみようとかな、なんて計画を立てながら。

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