16

 それから迎えたのは授業の内容よりもちょっとスリリングで愉しかった昼休みが頭を埋め尽くしていた午後。彼女と秘密を共有したみたいで返さぬ波のようにずっと押し寄せる心嬉しさを感じ1人幸福感に包まれていた。心を陽光のように優しく包み込んだ幸福感がそうさせているのかいつも長いはずの午後の授業が僕の体感ではあっという間。

 言ってしまえば全く集中できてないという事なんだろうが、数式の解も主人公の心情も全然覚えて無くて、宙に浮いてるみたいにふわふわとした気持ちのままいつの間にか放課後を迎えていた。


 学校が終わるとこの日は帰路に就き特別な事をする訳でもなく時間は流れ、夕食も全て済ませた僕はベッドに寝転がりながら鬼塚さんの事を考えてた。

 この数日間、多くの時間を一緒に過ごしてみて彼女の事を前よりは知れた気がする。それにより一層彼女の魅力は増して、より一層好きになっていた。いつでも気が付けばすり替えられたように頭で彼女の事を考えていて、その度に行き場のない想いに心を締め付けられる。痒い所に手が届かないような慕わしい恋のもどかしさを発散することは出来ず心はひとり昂っていた。じっとしてられない程に悶えているはずなのにどこか幸せに満たされ心地好い。それは言葉にすら出来ない宇宙に散らばる謎のように不思議な感覚。それ程に僕は彼女に夢中になっていた。

 知れば知る程に深みは増していきどんどん落ちていく。身動きが取れなくて自分ではもうどうすることも出来ない。でも好きが膨れ上がり想いが溢れ出すにつれて、知りたくなってくる。鬼塚さんが僕をどう思っているのかを。今のところは落ちていく先が地獄へと変わることはないさそうだけど、僕が彼女を想うように彼女も僕を想ってくれてるかは疑問だ。そうであって欲しいと願ってはいるけど自信も確信も無い。だったらいっそのこと―――。

 そう思うとスマホを手に取りラインを開くがトーク画面で指は止まる。一言一句しっかりと残された前回の会話を眺めながら感じた暗雲のように立ち込める不安。もし望まない返事を貰ってしまったら。そんなことが頭を過るとさっきまでとは正反対の理由が心臓を足早にさせる。すっかり弱気になってしまった心臓に止められるように僕はそっとラインを閉じ、スマホを枕元に置いた。


「はぁー」


 まるで誰かに操作されているみたいに無意識で零した溜息。それは鬼塚さんの心を知りたいと願いながらも悪いもしもに怯え、そうなってしまうぐらいなら曖昧な今のままで良いとさえ思ってる自分の弱さに対する落胆の表れなんだろう。こんな調子じゃこれから彼女を知れば知るほどどんどん好きになって、答えが気になって、でも好きな分訊くのが怖くなっていくのかもしれない。ならいっそ―――。


「あの時、フラれた方が良かったのかなぁ」


 でもそうなっていたら鬼塚さんと行ったショッピングモールも映画もeschcaseも今日の昼休みも幽霊ビルでさえ無かった。それに不安はあれど希望も少なからずそこにあるのもまた事実。

 シュレーディンガーの猫のように2つの異なる未来もしがそこには同時に存在している。箱を開けるまで――今になるまでそれがどっちかは決まってない。もっと言えば彼女の口から言葉が出て来るまで分からない。ならフラれて終わりより望む未来が待っているかもしれない今の方が良いのかも。

 それにやっぱりあと少しだけでも彼女と一緒の時間を楽しみたい。この理由が―告白の返事をする為に互いの事を知るという―なくなってしまうまで。


 だけどそんな僕を避けるように翌日の学校に鬼塚さんの姿は無かった。もしかしたら遅刻してくるかもしれない(たまに1限目の途中に来たりもする)。そう淡い期待を胸に1、2限目と授業を受けていたが結局、放課後まで彼女の姿を見ることは無かった。心配というよりも残念な気持ちのまま僕は帰路に――ではなく市内の図書館へ。

 割と大きなその図書館に着くと館内マップを見て目的の棚まで足を進めた。棚に挟まれた通路に人影は無くて見上げる程大きな棚にずらりと並ぶ大量の本。その中から数冊選ぶと近くの空いている席に腰を下ろした。

 そして机に置いた本の山からまず1冊。

『吸血鬼』、大きく書かれた題名を黙読し本を開く。目次を軽く確認してから気になる場所までと一気に飛び流れるように見ていくが、僕が知りたいことは書かれていなかった。その本の著者には申し訳ないがあまり読むことも無く閉じると山の隣に並べる。

 そして次を手に取っては違うと心の中で首を振り新たな本の山を築いていった。あっという間に元の山の隣に築かれた単純にひっくり返したような新たな山。僕はそれらを元の場所に戻すと別の本を数冊手に取り同じ様に読み始める。

 僕はただ単純に吸血鬼の事が知りたかった。吸血鬼の事を知ればもう少し鬼塚さんの事も分かるような気がして。別に調べるだけならスマホでも良かったのだけど、図書館の雰囲気が好きだからという理由だけでここへ来て折角ならと本に視線を落としてる。

 そして題名も何冊目かも覚えてない本を開き文字を見ているとこんな文が目に入った。


『実を言えば吸血鬼と人間の間にはそれほどの違いは無い。これは遺伝子レベルでも同じことである。だがやはり血を飲みそれによる反応の働きによって生じる特徴は、似ても似つかない最も異なる点であり人間と吸血鬼を別つ部分だろう。

 では早速その特徴について見ていこうと思う』


 それは少し疲れ始めていた僕を一瞬で復活させ釘付けにさせるものだった。歴史や吸血鬼と人間の祖先など確かに全く興味ないわけではないが僕はこういった根本的な事が知りたかった。個人ではどうしようもない吸血鬼そのものの生態とも言うべき部分が。


『吸血鬼は血を飲むと体内で特殊な反応が起こる。それにより身体能力や治癒能力の向上、病気や毒性への耐性・抗体など様々な効力を得ることは今や広く知られていることだ。

 そしてそんな優れた治癒能力を持つ吸血鬼の広義的体液には本人よりその能力は落ちるものの止血や癒合、鎮静効果があるとされている(ちなみに大昔の吸血鬼は人間から血を摂取した際、牙による傷を舐めて治したらしい)。

 だが一方で血が不足すれば衰弱していき、その状態が続けは命を落としてしまう。人間にとっても血は大事なものだが吸血鬼にとっては水や食料以上に大事なものになる。それは血さえあれば(期間は不明だが)水や食料が無くとも活動をしていられるという事実を見れば明らかだろう』


 そこから少しの間、専門用語などを含んだより詳細な説明が書かれていたが僕には難しく理解することは出来なかった。


『血の補給は基本的に月1回程度とされている(その際に最も重要視されるのは鮮度だ)。

 しかし条件が異なれば更なる補給が必要となってくる。

 それは出血である。人間が大量出血をすれば輸血をするのと同様に吸血鬼も大量に出血すれば血を補給せざるを得ない。

 補給方法は鮮度を重視した直接的なものが主だったらしいが、当時の吸血鬼が直接以外の方法でどう血を補給していたかは未だ不明なままだ。

 そして吸血鬼は最初の吸血衝動が―人生初の衝動から初めて血を飲むまで突発性で起こる衝動全てを指す―起こる時期に(人間でいうところの16歳から18歳。尚、吸血鬼と人間では寿命も成長の仕方も異なる)初めて血を口にすることで成人するということも明らかになっている。つまり吸血鬼にとって最初の吸血衝動とその欲求を自らの手で満たすことは通過儀礼の1つであり言わば成人の儀式なのだ。

 またこの吸血行為に他の者は手を貸してはならないという掟も存在し、それも含め成人の儀式なのだろう。

 原理は分かってないがこの最初の吸血行為を行うまでの間は(つまり生まれてから成人するまでの間)血を必要としないだけでなく病原体やあらゆる外傷に対しても驚異的な回復力を有しているという記述が発見されている。その記述によれば限度はあれどそう簡単に命を失う事は無くその間に身を守る術を学ぶという』


 これは以前、鬼塚さんも言っていたことだ(最後の部分は初めて知ることだけど)。文章を読みながら頭では幽霊ビルでの彼女を思い出していた。別に疑ってた訳じゃないけど本当に吸血鬼は一定の時期まで血を飲む必要はないらしい。それに思ったよりも血を飲む回数が少ない(これも彼女が言ってたことだが)。


『そして事実確認まで至っていないが、この最初の吸血衝動は吸血鬼の人生の中でも一番強い衝動だという。それは自分を制御するのさえ困難な程に。しかも血を飲めず時間が経てば経つほど襲い掛かる衝動の強さが増してくという話もある。もしそうならそんな衝動の中、理性を保つのもまた試練なのかもしれない。

 そしてそれが本当に強い衝動なのか経験を重ねる度に慣れが生じているのかは定かではない。だが衝動の度に喉は酷く乾くが水をどれだけ飲めどその渇きは癒されないと聞く。血以外では癒されない渇きに苦しめられるのだ。

 一度、考えて欲しい。限界まで水を飲まずにいる状況を。それは激しく運動した後の渇きと同等かそれ以上だろう。その状態の君に1本の水が差し出される。君はすぐさま浴びるようにその水を飲む事だろう。だがどれだけ喉を水が通ろうともその渇きは潤わないのだ。そう血を飲むか衝動が一時的に納まるまでは』


 その文章を読んでいると段々と僕の喉も渇き始め、鞄から取り出したお茶を流し込む。飲んだ分、潤い渇きが納まったことに心のどこかでホッとするのを感じた。

 渇きの地獄を味合わずに済んだ僕は続きに視線を落した。


『そして無事成人となった吸血鬼はこれから人生の大半を占める時期(人間でいうところの18歳から24歳程度)を迎える。

 だがこの最初の吸血衝動が起こる時期は生死の分かれ目でもある。この時期に鮮血を飲むことが出来なければ血が不足し命を落としてしまう。

 1説では最初の吸血衝動だけは起こってから生命に関わる程の血が不足するまでの期間は短く迅速に補給しなければ段々と衰弱していき最後は動くことすらままならなくなり死を待つのみとなるらしい』


 授業では吸血鬼は血を飲む生き物だとしか教わらなったが、人間が水や食料を食べ睡眠を取ることを強制されているように彼らもまた血を飲むことを強制されているのかもしれない。

 だから吸血鬼が血を飲むという行為自体は仕方がない、そう言えばそうなのかも。だからと言って食料にされそうになった人間が抵抗したのを間違っているとは思わないけど。

 それからも色々な本を読んでみて多少なりとも知識はついた。

 吸血鬼は血を飲むと一時的に一種の興奮状態となることや彼らの身体能力は人間のアスリートレベル(もしくはそれ以上)が平均的で鍛えることによって更に高まることとか。

 だけどこれが何か鬼塚さんとの関係に役に立つかと言われれば首を傾げざるを得ない。でも唯一、気になる事は最初の吸血衝動の時期と今の鬼塚さんが被っているということ。現代の吸血鬼事情は知らないから無駄な心配かもしれないけど彼女が血を補給出来るのかは気になってしまう。だって命に関わる事らしいから。

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