15

 どれもなんてことない明日にでも内容を忘れてしまいそうな会話だったが、それは弁当をほとんど食べ終えた頃。


「ひとつ訊きたいことがあるんだけど」

「ん? 何?」


 鬼塚さんは最後のパンを口に放り飲み物で流し込む。それはまるで言おうとしている事を少しでも先延ばしにしよとする僕みたいだった。でも結局、言うべき時はやってくる。


「何でアタシなの?」


 その質問に即答出来ればよかったのだけど僕はちゃんと答えようと腕を組み真剣に考えてしまった。


「何でって......。うーん」


 実は自分でも気が付いたら好きになっていたからいつどのタイミングで恋心が芽生えたのかはよく分かってなかった。記憶を遡り始めて鬼塚さんを見た時から思い返してみる。


「最初見た時は正直、ちょっと怖そうというかそういう風に思っちゃったけど」


 僕は今の鬼塚さんの反応を見る勇気が出なくて目を逸らしたまま頭の映像に集中した。


「でも何だろう。気が付いたら気になってたというか。うーん」


 いくら考えてみてもパズルのピースみたいにピッタリと嵌まるような理由は思い浮かばなかった。でも僕にとってそれは自然なことだったのかもしれない。林檎が木から垂直に落ちるように種を植え世話をすれば芽が出るように。理由や引き金など感じる間もなく僕の意識すら、すり抜けてそれは気が付けばそこにいた。

 僕はゆっくりと視線を鬼塚さんへ向けた。


「分かんないかも。何でとかそういうのは。強いて言えば――ひと目惚れ? になるのかなぁ。でもひと目じゃないからどうだろう」

「ひと目惚れねぇ――。でもひと目惚れってさ。いや、別に自分の顔が良いとか思ってないんだけど、最大級の面食いじゃない?」

「そう?」

「だって何も知らない相手をひと目見ただけで惚れるって顔とか外見以外判断するとこなくない?」

「まぁ確かに」


 言われてみればそうかもしれない。性格どころか声すら知らない人に惚れるっていうのはそういうことか。と言うことは僕もそういうこと? ひと目ではないにしろ鬼塚さんのことを全然知らない状態で好きになったんだから。


「まぁでもやっぱり外見も必要だと思うけどね。だって人間って情報の8割だか9割だかを視覚から得てるっていうし。それに結局、カッコいいとか可愛いって人によって違う訳だから」


 僕はまるで自分で自分に言い訳するように言葉を並べていた。自分は顔だけで鬼塚さんを好きになった訳じゃないと自分に言い聞かせたかったんだと思う。


「それに好きな理由は分からなくても僕は他の誰でもなくて鬼塚さんだから好きなんだ。鬼塚さんみたいな人が好きなんじゃなくて鬼塚さんが好きって事は自信持って言えるかな」


 既に言葉が口から離れてしまった後、僕は勢い余って言ってしまったことを理解した。脳内で再生されるさっきの言葉。やっと羞恥心が正常に機能したようで顔が熱くなり始める(多分今、僕は心を取り出して見せているように赤面していると思う)。


「あぁ、いや。今のは違くて、違くないけど違くて――その......」


 既に告白をしているから今更恥ずかしいがることも無いのかもしれないけど、今のはなんか普通に好きというより恥ずかしい。


「――まぁ、何て言うか。ありがと」


 僕が1人あたふたしてる傍で鬼塚さんはいつの間にか体育座りをし口元を包み込むように腕へ埋めていた。それに加えて横顔だというこもあり表情は見えず声も少し籠り気味。だけど言葉としてちゃんと聞き取れたし思ったより嫌そうな反応ではなかったことに安心した(別にバカにされたり引かれたりするとは思ってないけど)。

 それにしてもどこか照れているようにも感じた―もちろん勘違いかもしれないが―彼女の声。もしかしたらさっきのセリフを聞いた鬼塚さんが逆に恥ずかしくなってしまったのかも。だとしたら申し訳ないな。


「いや――うん」


 何か言おうと思ったが上手く言葉は出てこない。その所為で流れ始めた沈黙はキスシーンに気まずくなるお茶の間にも似たものだった。

 そんな静けさの中、僕は手持ち無沙汰という訳ではないが、完食した弁当を包みに戻す。この状況をどうしたものかと思いながら。

 すると、ドア越しの階段から足音と話し声が微かに聞こえてきた。その音に無言のまま顔を見合わせた僕ら。頭に響くアラート。どうすればいいか、気付けばそれだけを最優先で考えていた。だがその間も大きくなっていく音はもうすぐそこ。

 そしてついにドアの開く音は屋上に広がり――そよ風に流された。


「そういえば西山先生。ここの鍵見つかりましたか?」

「それがまだなんだよ」

「そろそろまずくないですか? さすがにずっと開けっ放しっていうのは」

「まぁ旧校舎だし大丈夫だろ」


 それは化学と物理の先生の声。

 僕らはその会話を薄暗い塔屋の陰で息を顰めながら聞いていた。今あそこで先生たちと顔を合わせずに済んでいるのは、ドアが開く直前、鬼塚さんが僕の手を取り静かにだが迅速にここまで引っ張てくれたから。

 今も左手に感じる優しい温もりと頼もしさ。理由はどうあれ今も握り締めている彼女の手。嬉しいはずなのにその温もりと一緒にあの時、先に動けなかった情けなさを少し感じた。


「あれっ? 西山先生。禁煙してたんじゃないんですか?」

「止めるのを止めた」


 カチッっとライターの灯る音。それが耳へ届く中、僕はふと顔を隣に向けた。物音も立てられず下手に動くこともできない状況で鬼塚さんはただボーっと斜下を見ている。

 すると視線を感じたのか突然、僕の方を向き時間が止まったようにお互いの顔を瞳に映し合った。静黙せいもくとしながらどうしていいのかも分からず、ただ彼女を見つめていることしか出来ない。

 すると鬼塚さんは視線を僕らの間へ落とした。そして少し慌てたように握り続けていた手を離し、片手を顔前で立てて見せた。同時に口を動かし一文字ずつ丁寧にハッキリと、無言の言葉を僕に伝える。『ごめん』。ほんのり桃色がかった(そう見えただけかもしれないけど)彼女の口とスラッと伸びた手はそう一言謝った。確かに僕はもう少しその手を握っていたかったが、それに対する言葉でないことは考えるまでも無い。ずっと握りっぱなしでごめん。そういう意味の言葉なんだと思う。いや、そんな事は考えるまでも無い。

 その通じ合わない心を表すかのように離れてしまった手。僕はさっきまで触れ合っていた手の温もりが少しずつ薄れゆくのに離愁りしゅうにも似た淋しさを感じながらも、もう一度掴むことは出来ずにいた。そうすればこのままがいいと、言葉が無くても伝えられるはずなのに。僕は無駄だと分っていてもただ手から消えていく最後の温もりを逃がさぬよう握り締めることしか出来なかった。


「うっわ!」


 同じ屋上にいるのに世界が別れているように干渉し合わない先生たちの方から不意に大きな声が大砲のように飛んできた。


「何ですか? 急に大きな声出して」

「次の授業の準備すんの忘れてたわ」


 声の後に聞こえた感情ごと吐き出す溜息。


「先、戻るわ」

「自分も行きますよ」


 その会話の少し後、ドアの閉まる音が聞こえては消えていき森閑しんかんとする屋上。

 僕は恐々と顔を覗かせ本当にもう居ないのかを確認した。


「行ったみたい」


 誰も居ない貸し切り状態を確認するとそれを隣の鬼塚さんにも伝えた。


「良かった」


 溜息交じりにそう言いながら鬼塚さんは歩き出し太陽の下に顔を出した。僕もその後に続くとバレなかったということを改めて実感しホッと息を零す。


「ていうかここ開いてたのってそいうことだったんだ」


 そんな僕の横で鬼塚さんはボソッと呟いた。

 ほぼ同時に僕と彼女は互いへ顔を向ける。


「そういうこと」


 目が合うと鬼塚さんはワンテンポおいて僕の心を読んだように一言。


「アタシがカギ盗んで開けたとでも思ってた?」

「さすがにそういうことはしないと思ってたけど...」

「けど?」

「まさかとは思ってた......かも。あとは無理やりこじ開けたとか?」

「なるほど。アタシってそういう風にも見られてるわけか」


 ふーん、という声もセットで聞こえてきそうな顔が僕を見る。わざとらしい意地悪な表情。

 僕は返事をすることを忘れ少しの間、そのいつもと違ったその愛らしさについ魅入ってしまった。

 その所為で気が付けば不自然な静けさに包まれ、僕はワンテンポ遅れて口を開き始める。何を言うかも考えてないのに。

 だけど、そんな僕に救いの手を差し伸べるように予鈴のチャイムが鳴り響いた。


「あっ、次移動だから行かないと」


 何の迷いもなくその救いの手を取った僕は足を進めドアを開けた。そのドアをいつもの表情に戻っていた鬼塚さんが通ると、僕もそれに続き屋上を後にした。

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