14
「鬼塚さん」
電気を付けたまま朝を迎えた日のお昼休み。
いつものように教室から消えていく鬼塚さんを弁当片手に慌てて追いかけた僕は廊下でその後姿を捕まえた。学校では何故か(強いて言えば恥ずかしいぐらい)あまり話しかけないから緊張してたけどそれは主観的に聞けば震えたりしてない自然な声でまずは一安心。
そんな僕の声で振り返った彼女は両手をポケットに入れたままいつもの無表情を浮かべていた。別に何か言われたわけじゃないけど訊かれるまでもなく僕は用件を口にした。
「もし良かったら一緒にいい?」
手に持っていた弁当を顔の横まで持ち上げながら―心臓を落ち着かせ言葉を口まで押し上げる分の勇気も振り絞って―訊いてみた。
「別にいいけど」
「やった」
心の内だけで留めておこうとしたが思わず言葉となって漏れてしまった感情。それに気が付いた時にはもう発射された銃弾のように戻すことは出来ず、気恥ずかしさが湧き上がってきていた。
「今から弁当買いに行くの?」
それをどうにか誤魔化そうと内心慌てながらも新たな質問を投げかける。
「いや、パン」
「分かった。じゃあ行こうか」
あまり誤魔化せたとは思えないが変に感じてるのは僕だけなのかもしれない。
そんな全く気にしてなさそうな鬼塚さんと一緒に売店まで行くと彼女はパンを購入。その後にいつも彼女がお昼を食べてるという場所まで足並みを揃えた。前から昼休みになると教室から消えていく鬼塚さんがどこで食べてるのか―好きという感情を抜きにしても―気になっていた。その重大な秘密が今、明かされようとしている。と言うのは大袈裟かもしれないが、遺跡に入り込む考古学者のような気持ちで僕は鬼塚さんの横を歩いていた。
決められたルートを通るように迷いなく進む2組の足は廊下から渡り廊下を通り旧校舎へ。
今は主に部活生が使っててたまに授業で使うぐらいの旧校舎は静まり返り人けが無い。
僕はそんな旧校舎という存在に1人納得していた。それはこの旧校舎がどこか幽霊ビルと似た雰囲気を醸し出していたからなのかもしれない。人の居ない静けさと時間に置き去りにされたような廃れた空気感。初めて来たわけでもないのに少し騒がしい昼休みから一変し静まり返った旧校舎はまるで休日に来る学校のように新鮮で心躍った。正直、こういう雰囲気は嫌いじゃない。むしろ好きな方だ。
そんな事を思っていると鬼塚さんは階段を上り始めた。2階3階とテンポよく上がっていく。
どこかお気に入りの教室でもあるのだろうか?
だがそんな僕の予想も最後の階も越え彼女は更に階段を上がる。もうこれ以上、上の階は無いはずだけど。そう思いながらもついていくと案の定、階段の上には屋上へのドアとその前の小さなスペース。
「ここで食べてるの?」
僕は思わずそう尋ねた。屋上へのドアは施錠されて開かないは――。
「そっちじゃなくてこっち」
鬼塚さんは言葉を口にしながら屋上へのドアを開けた。どういう訳かドアノブを捻るだけでいとも簡単にそのドアは開いたのだ。
「え? 何で? 屋上って行けないはずじゃ?」
そうだと思い込んでいた強固な固定概念があっさりと壊されてしまった僕はドアが開いてもその前で佇んでいた。
「早く」
ドアを開けてくれてた鬼塚さんの声にまだ驚きつつも足を進め、初めて屋上へ出た。
目の前に広がる胸辺りの高さの欄干に囲まれた何もない屋上。まるで別世界に来たような感覚に胸を躍らせる僕を歓迎するように白日から降り注ぐ光。その暖かな陽射しを感じていると北風と太陽宛ら冷風が撫でるように通り過ぎる。
そこは何もない単なる屋上だったけど僕の気持ちを昂らせるにはそれだけで十分だった。
「うわぁー。屋上なんて初めて来た! 気持ちぃ」
でもやはり普通なら来れないからこそ、疑問が大腕を振ってやってきた。
「だけど何でここ開いてるの? まさかとは思うけど...」
「アタシが無理矢理開けった言いたいわけ?」
「さすがにそんな事しないでしょ?」
すると鬼塚さんは掌を空に向けた両手を少し広げて見せた。
「さぁ? どうだか」
からかっているのか鬼塚さんは濁した答えを放り投げるように言うと塔屋の壁際に腰を下ろした。
そんな彼女を見ていた僕の心は頭上の
「えっ? まさかだよね?」
そう尋ねながら僕も彼女の横に腰を下ろす。
「どっちだと思う?」
「さすがにそんなことはしてないとは思うけど」
「じゃあそういうことで」
「じゃあって...」
結局、明瞭さに欠けていた彼女の言葉に嘘と真とをメトロノームの如く揺れ動くだけで心は晴れぬまま。
だけどそれは弁当を食べ始めてから少しすればいつの間にか身を顰め気にならなくなっていた。実際はそれ程の事だったのかもしれない。
それからパンを口へ運ぶ鬼塚さんの隣で弁当を食べながら僕はふと空を見上げた。いつもの教室と違い今日は時折そよ風の吹く青天の下。新鮮な空気と仏様の優しさを感じさせる暖かい陽射しが母さんも知らない隠し味になって弁当が更に美味しく感じた。まさにピクニックやバーベキューで食べる方が何倍増しかで美味しく感じるのと同じで。
――いや、それだけじゃない。きっとこうやって鬼塚さんの隣で食べてるのも大きいんだと思う。1人で食べる高級肉より大切な人と食べる安い肉の方が美味しいとは言わないけど味を越えるものがそこにはあるはず。やっぱり食事は料理の美味しさも大事だけどそれ以上に楽しいかが大事なんだと思う。
だからきっと今日の弁当はいつもよりも美味しいのかもしれない(別にいつも一緒に食べてる友達より彼女の方がいいという訳じゃないけど今日はプラスが多過ぎた)。
そんないつもよりちょっと贅沢をした気分のまま、僕は自分の心で染め上げたような空から横の鬼塚さんへ視線を向けた。彼女は曲げた膝に腕を乗せながらそろそろ食べ終わりそうなパンを丁度、口へ運んでいる。
「鬼塚さんっていつもパン食べてるの?」
僕の何気ない問いかけに彼女は口を動かしながら顔を向けた。
「そうだけど」
「僕は、お昼は弁当がいいかな。母さんが作ってれるから自然とそうなるってのもあるけど、朝にパン食べてるからお昼はご飯がいいかな」
「いつも作ってもらってるんだ。いいね」
「弁当食べたくなる日とかないの? 僕がたまにパン食べたくなるみたいにさ」
彼女は視線を上げると思い出すように考え始めた。ほんの少しだけ。
「無いことも無いかな。でも結局パン食べてる」
その返事を聞きながら唐揚げとご飯を食べていた僕はふとこんなことを思い付いた。
「良かったら何か食べる?」
言葉と一緒に食べかけの弁当を差し出す。
鬼塚さんは食べようとしていたパンの手を止めると口を半開きにしたまま顔を僕の方へ。目と目が合うと無言の言葉に(ただの勘違いかもしれないけど)返事をした。
「いいよ。好きなのあげる」
鬼塚さんの視線は僕の顔から弁当へと落ちた。
「――じゃあ......。これ」
そう言って彼女が指を指したのは玉子焼き。
「玉子焼きね。いいよ」
僕は玉子焼きをお箸で掴むと鬼塚さんに差し出した。ちゃんと手とかを使わずとも食べやすい様に玉子焼きの端っこを掴んで。
「ありがと」
先にお礼を言うと鬼塚さんは口を開けながら玉子焼きへ顔を近づけた。玉子焼きの端を咥えるのだろう。そう思ってた僕は先に離して落とさないようにだけ気を付けていた。
だけど彼女はそのまま玉子焼きを一口で食べてしまった。
「あっ」
零れるように出たその声は小さく聞こえたかは分からない。でもそれを確認するより先にその声と共に視線は手に持っているお箸に向いていた。一緒に食べられたが今では玉子焼きだけが無くなったお箸。
そしてすぐに視線を戻すがもぐもぐと口を動かす鬼塚さんと目が合ったのも一瞬、彼女はつい数秒前まで僕が見ていたお箸に目を移動させる。
僕が思ったことに気が付いたのかハッとした表情を見せると口元に手をやり視線をこっちへ戻した。
「ごめん。そういうの嫌なタイプ?」
「いや、全然大丈夫だけど......。鬼塚さんは平気なの?」
「アタシは全然気にしないけど」
「な、ならいいんだけどさ。僕も気にしないタイプだから」
その言葉に嘘偽りは無いが相手が鬼塚さんなだけに変に意識してしまった。だけどそんな変に意識してる自分に対して自分で若干の嫌悪感を抱き、僕は平然を装った(あと彼女にも同じ様に思われたくないし)。
「それよりどう?」
「美味しい。アンタのお母さんって料理上手いんだね」
「他と比べたことないからよくは分かんないけど、いつも美味しく食べてるかな。夕飯とかも」
「ふーん。羨ましいね」
僕は反射的に喉まで上がって来た返事をやっぱりと呑み込んだ。あまり無闇矢鱈に踏み込んだ事を訊くのは良くない。そういう思いが僕に別の言葉を用意させた。
「鬼塚さんは料理とかするの?」
「――たまーにするかな。って言っても簡単なものしか作れないけど」
「訊いといてあれだけどちょっと意外かも。でも僕は全然しないから簡単なものでもやるってすごいね」
それからも僕らは昼ご飯を食べながら他愛もない会話をしていた。
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