12

 だけどそんな中、カットの声がかかったように鬼塚さんの表情は一気に笑顔へと変わった。そして堪えきれなくなったように笑い出すとさっきまでの不気味さが嘘のように無くなり目の前に居るのはいつもと変わらない彼女。


「ごめんごめん。冗談だから」


 よっぽど僕が思った通りの反応をしたのか鬼塚さんは体を揺らしながら笑っていた。

 そんな彼女を見ながら――してやられた、そう思うのと同時にどこかほっとしている自分がいた。

 でもやっぱり彼女は女優になった方が良いと思う(何になるかは自由ではあるけど)。あれはどう見ても本気の目だったから。


「でもアンタぐらいなら押さえつけて噛みつくのも楽勝そうってのはほんとだけど」


 まだ僕をからかうつもりだろうか。さっきの余韻の中で悪い表情を浮かべるものだから笑みは意地悪なものに変わっていた。


「でもさ。疑ってる訳じゃないけど吸血鬼って実際、どれくらい人間と力の差があるの?」

「どれくらいって言われても......」


 鬼塚さんは少し悩み頭上に電球を光らせると大きく下がり距離を取った。そして寝そべると肘を立て僕を見上げる。


「試してみる?」

「それじゃあ」


 別に力に自信があるって訳でもないけど(むしろ無い方だ)鬼塚さんの細い腕を見る限り彼女が吸血鬼だとしてもいい勝負はできそうな気がする。それどころか男の意地とでも言うのだろうか、負けたくない。

 僕は彼女同様に寝転がると肘を立て手を取った。


「いくよ?」

「うん。いいよ」

「よーい。スタート」


 その声の直後、彼女の手を押し倒そうと僕は出せる限りの力を出した。歯を食いしばり息を止め力を籠める。その甲斐あってか僕の手は徐々に優勢になっていった。

 だけど少し勝ち誇りながら一瞥した彼女の表情は余裕そのもの。


「ちゃんと本気出してる?」


 力は緩めず振り絞るような声で思わずそう尋ねた。

 するとさっきまで徐々に押し込んでいた僕の手が止まる。


「多少はね」


 鬼塚さんがやはり僕とは違って余裕そうな声で答えると形成は一気に逆転。彼女の手が押し返し始める。僕はどうにか抵抗しようとするが定められた運命のようにどうにも出来なかった。

 そして段々と加速するように僕の手は反対側まで押され――ついに甲は地に(といってもデスクだが)着いてしまった。まるで降伏するようにベッタリと。


「はい。アタシの勝ち―」


 得意気でご機嫌そうな表情を浮かべながらそんなことを言われた僕だが、最初のプライドなどどうでもよくなる程の完敗を味わっていた。何度やっても勝てる気がしない。それほどまで完膚なきまでに負けた気がした。

 これが吸血鬼か。僕は鬼塚さんが吸血鬼であることをちょっとだけ感じた。


「これで少しくらいは分かった?」

「うん。少なくとも僕が鬼塚さんに勝てない事は十分わかったよ」

「なら良かった」


 鬼塚さんはそう言うと体を起こして足を放り出し寝転んだ姿勢からデスクに座った。足をぶらつかせ欣々然きんきんぜんとしている。僕に勝ったことが嬉しかったのかそれとも他の何かなのか――彼女の心が読めない僕には分からないが嬉しそうだからまぁいいか。


                * * * * *


 いつもなら憂鬱な月曜日。でもいつもより少し上機嫌で家を出た僕は学校に行って時間が来ればホームルームを受けていた。斜前の席は相変わらずの空席。

 すると先生の声に被って教室のドアが開く音が鳴り響いた。


「はい、おはよう。もうお前の遅刻は予めつけといたぞ」

「あざます」

「お前の場合、普通のヤツの遅刻数と逆なんだよな。まぁ出席自体はしてるし1限目もちゃんと受けてるからいいんだけどな」


 まだ何か言いたげな先生を背に鬼塚さんは自分の席へと足を進め、座る前に1度立ち止まった彼女と目が合った。


「おはよう」

「おはよう」


 教室の端で小さく交わされた挨拶は話し始めた先生の声に吹いた風のように掻き消され、鬼塚さんは席に着いた。その時、僕の目には彼女の鞄に付いていたキーホルダーが留まった。そのロケットに狼と黒猫がしがみついたぬいぐるみに。2匹と目が合うと僕は嬉しくなってつい笑みを浮かべながら顔を窓外に向けた。


 そしてその日も最後まで授業を乗り切った僕は部活生が部室へ向かう中、先に教室を出た鬼塚さんを追って少し速足で靴箱へ。彼女は丁度、靴を出しているところだった。


「鬼塚さん」


 僕の声に靴を持ったまま振り向く鬼塚さん。その頭上には疑問符が浮かんでいた。


「これから暇?」

「まぁ、別に何もないけど」

「じゃあもしよかったら――ここ行かない?」


 僕はポケットから取り出したスマホの画面を―何度か操作してから―彼女に見せた。それは少し前に出来たアクセサリー兼雑貨屋さん。


「あっ、ココ知ってる」

「もしかして行ったことある?」

「ないけど行こうとは思ってた」

「なら丁度良かった。僕も昨日見つけた時、鬼塚さんが好きそうだなって思ったんだよね」


 すると何故か鬼塚さんは急に黙り込み僕の方をじっと見ていた。


「なに? どうかした?」

「――いや、なんでも」


 それだけを言うと僕に背を向けて持っていた靴を地面に落とした。綺麗に着地した片方とコケてしまったもう片方。そんな靴を履くとつま先を地面でトントンと軽く叩いてから彼女は振り返り1段上にいる僕を見上げた。


「行かないの?」

「あっ、ごめん」


 別に見惚れていたという訳じゃないが佇み鬼塚さんを見てしまっていた僕は急いで靴に履き替えると彼女と並んで歩き始めた。

 そして学校を出て電車に乗った僕たちは目的のお店へ向かった。度々、スマホに視線を落としながら。

 だけどそれは知らぬうちにゆっくりと近づいて来ていた。


「あれ? ちょっと待って」


 ちゃんと地図を見て進んでいたはずなのに、気が付けばよく分からなくなってしまっていた。


「これ......。こっち? いや、こっちか?」


 スマホと睨めっこながらその場でぐるりと1回転。

 そんな僕を見かねたのか鬼塚さんがスマホを覗き込む。


「こっちでしょ」


 僕がした一回転より早く車が行き交う横断歩道の向こう側を指差した。


「あっ、本当だ」

「もしかして方向音痴?」

「いやぁ。そういう訳じゃないと思うんだけど。もしかしたらちょっとぐらいそうなのかも。鬼塚さんはそういうのないの?」

「別に迷わないかな。地図見れば大体の場所分かるし」


 鬼塚さんは言葉を言い切る前に青になった横断歩道を渡り始め、少し遅れて僕も彼女を追った。

 それからは迷うことなく順調に進んでいき地図的にもあと少し。

 変わらず度々スマホに視線を落としながら着実にお店へ向かっていると横で歩幅を合わせ歩いていた鬼塚さんが立ち止まった。


「ちょっと待って」


 それに気が付かず数歩だけ先に行ってしまった僕を彼女の声が呼び止めた。スマホから顔をを上げ振り返ると彼女は自販機の前で鞄を探っている。僕は飲み物を買おうとしてる鬼塚さんの傍まで戻るとこの先の道を先に確認していた。

 すると傍にいた2人組の女子高生が話を始めその会話が耳へ嫌でも入ってきた。


「そー言えばあれ聞いた?」

「えーなに?」

「教師に佐々木っていたじゃん」

「あの数学のやつね」

「そうそう。あいつさ、吸血鬼だったらしいよ」

「まじ?」

「なんか新しい学校の検査で引っかかって調べたらそうだったらしい」

「えー! まじ!? でもうちの学校も検査してんじゃないの?」

「なんか友達だったかな? 覚えてないけど、その人の血を使って検査は誤魔化してたらしいんだよね」

「うわーやっば! そう言えばあたし変な目で見られてことあったわ」

「えぇー! 狙われてんじゃん」

「マジでキモイ。てか吸血鬼とかさっさと捕まえてっちゃえばいいのに。あんなの血ぃ吸うバケモンじゃん」

「それヤバっ。でも刑務所とかには入れといてほしいよね。すれ違った奴が吸血鬼かもってまじヤバいわ」

「分かるわー。あっ、でもイケメンなら血ーぐらい吸われてもいいかも」

「確かにイケメンなら考えるかも」


 人目もはばからず大声で笑う女子高生たち。会話の内容は今の僕にとってはあまり聞きたくないようなものだった。

 だけどそんなことより僕は鬼塚さんの事が気がかりでスマホから顔を上げる。彼女はお金を入れボタンの光った自販機を見つめていた。何も言わず動かないままじっと。


「鬼塚さん?」


 僕の声に鬼塚さんはゆっくりと顔だけをこっちに向けた。そこに何かしらの感情があった訳ではないがその表情を見ても何故か安心は出来なかった。


「大丈夫?」

「えっ? いや、何飲もうか迷ってただけだから」


 そう言うと自販機へ顔を戻し、真っすぐお茶のボタンに手を伸ばした。ガタンとペットボトルの落ちる音。だけどそれが消えても指先は依然とボタンに触れたまま。彼女は自販機との間にズレが生じているように遅れて取り出し口へと手を伸ばした。

 そしてそのお茶を手に片足で少しだけ回転し、僕の方を向いた鬼塚さんの表情はいつもと同じ静かなものだったが、どこか胸をざわつかせた。仮面でも付けてるみたいに何故か不自然さを感じる。


「いいよ。行こうか」

「――うん」


 もしかしたら僕の考え過ぎかもしれないけどどこかスッキリとしないまるで雨が降りそうで降らない雨雲のような気持ちが心を覆っていた。だけど変に訊かれるのも嫌かと思い喉まで上がってきていた言葉は呑み込みお店へ足を進めた。

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