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「――にしても何でここなんだろう?」


 自分でも少し声が震えてるのが分かる。仄暗ほのぐらい中、見上げていた僕の瞳には時代に忘れられたようなすっかり廃れたビルが不気味に映っていた。

 周りは森という程ではないが木々が取り囲んでおりそれが更に不気味さを増幅させている。


「わっ!」


 その雰囲気で既にお化け屋敷に入る前のような気持ちになっていると突然、カラスの鳴き声と共に飛び立つ音が僕を怖がらせる為と言わんばかりに響いた。

 もしカラスがわざとそうしたのなら今頃ご満悦だろう。やられたこっちはたまったもんじゃないが。


「なんだカラスかぁ。――早く入ろう」


 僕はより一層速く動く心臓を胸に感じながらその廃ビルへと足を進めた。


「カラスって意外と大きいから怖いんだよなぁ。あと結構ハッキリ鳴くし」


 1人でそんなことを呟きながら廃ビルの中へ。

 ただでさえ外は仄暗いのにビル内は余計に暗い。


「幽霊ビル......」


 この廃ビルは僕の学校ではそこそこ有名で今まで数えきれない噂が―ほぼほぼ嘘だと思うけど―生徒達の間で語られてきた。そしてある時から『幽霊ビル』そう呼ばれるようになった(一体誰がそんな風に呼び始めたのやら)。


「怖いのは苦手なんだよなぁ」


 肝試しはもちろんのことお化け屋敷にすら入りたくない(ホラー映画やホラーゲームは顔を背けがちだけど辛うじて見れる)僕が今の状況に溜息をつくのは仕方ないことだろう。

 若干、気分が落ち込んでいた僕はふと重要な事を思い出した。


「あっ。そういえばあの紙に......」


 ポケットに手を入れ鬼塚さんから貰ったあの紙を取り出す。


「やっぱりここのどこにいるかは書いてないや」


 そこには幽霊ビルとは書かれていたものの何階のどの部屋にいるかは書いてなかった。


「えぇー。どうしよう......。1階から順に確認していくしかないのかな?」


 この場所を歩いて回るなんて想像するだけで嫌だ。

 眉を顰めながらも僕は近くにあった地図の前まで足を進める。


「3階建てか。――んー。1回だけ当てずっぽうで行ってみようかな」


 少しの間、地図とにらめっこをした後、適当に場所を決めた。


「それじゃあ2階の209にしよう」


 そうと決まると早速、階段へ向かい2階を目指した。

 1段1段階段を上がるテンポのいい足音だけが響く中、まだ鬼塚さんが来ていない可能性について考えるのを忘れていたということが頭を過り足が止まる。

 だけどまずはと思いすぐにまた上り始めた。最悪、LINEをすればいいわけだし(でもその為にはまずクラスLINEグループから友達登録しないといけないわけだが)。

 そして慣れてきたのか思ったより怖さはないまま2階に着くと地図を思い出しながら209へと向かった。

 これで彼女がいたらきっと成功する。そんなおみくじのようなことを考えながら廊下を歩き、やっと209に着いた。


「ここだ」


 ドアは無く常時解放状態。

 僕はあまり期待はせず―だってこのビルには沢山部屋があったから―軽い気持ちで部屋を覗いた。

 片側へ雑に寄せられ積まれたデスクや椅子、割れたりひびが入った窓。

 夕日の木漏れ日が窓から入り込み微弱ながらもこの空間に光を与えていた。

 そして薄暗くぱっと見では分からなかったが、入り口から丁度正面にある並んだデスクには人影がまるで夕日を避け暗闇に紛れるように座っていた。顔は窓外を向いている――気がする。


「あっ、居た」


 あまり期待していなかった分、不意を突かれた気分で気が付けば心の声を口から漏らしていた。容姿はハッキリと見えなかったが他に人がいるとは思ってなかった僕はその人影を自動的に鬼塚さんとして認識していた。

 その声にその人影は僕の方を見遣る。


「――何してんの? 入って来たら?」


 その言葉に入り口の前で立ちっぱなしになっていた僕は―居ると思って選んだけどまさか本当に居るとは思ってなくて―我に返った。

 そして微かに夕焼けに染められたその部屋へ僕は足を踏み入れ彼女の元まで足音を響かせていく。僕の足が止まると彼女はデスクから降り目の前へ。

 そんな彼女を仏のように背後から照らす夕日。そのおかげで見えた彼女の姿は学校で会った時と同じだった。


「それで――何?」

「え?」

「いや、場所変更したのはアタシだけど呼び出したのはそっちじゃん」


 そう言えばそうだった。正直、ちょっと忘れていた。

 でも自分のしようとしていたことを思い出すと急に、緊張がテンポを上げた鼓動に乗って体中を駆け巡り始めた。鼓動の1回1回が頭の先からつま先まで響き窮地に立たされたように呼吸が浅くなる。


「――あ、あの、その......」


 自分でも驚くほどに頭は真っ白で口は砂漠みたいに乾いていた。僕は切り出すべき話を先延ばしにするように鞄からお茶を取り出して一口、二口。その間も鬼塚さんは黙って待ってくれていた。

 あまり待たせるのも悪い。依然、緊張は止まることを知らなかったが徐々に現れ始めた罪悪感が口を動かし始める。


「じ、実は。あの――前から鬼塚さんのことが、その。気になってて......。だから、その――」


 僕は大きく息を吸いながら空気と共に勇気を体に取り込んだ。

 そしてもうどうにでもなれ。若干投げやりな気持ちで覚悟を決めた。


「好きです!僕と付き合って下さい!」


 取り込み振り絞った勇気で押し上げた言葉を口にしながら、僕は頭を下げ片手を前に出した。

 部屋に反響した僕の声が静かに消え、訪れた沈黙。その中で今にも口から飛び出そうな心臓と共に彼女の返事を待つ。


「アタシさ......」


 廃墟に相応しい静けさを彼女の声がそっと端に退けた。


「実は――吸血鬼なんだよね」


 言葉の後に訪れたまるで彼女の言葉を無かったことにするような沈黙の中、僕はゆっくりと顔だけを上げた。手は伸ばしたまま見上げた鬼塚さんは首に手を回しいつもの無表情を浮かべている。

 まず彼女の言葉を理解するのに数十秒かかった僕の脳は次に言葉の意味を解析し始めた。言葉通りの意味からそこに隠された意味まで。ありとあらゆる角度からの解析を僕の脳はしていた。普段の授業よりも回ってたと思う。

 にしても今日はやけに吸血鬼という単語が目に止まる。単語は止まるが――存在自体を目の前にしたのは......人生でも初めてだ。

 いや、違う。遅れて上がって来た解析結果が感動も混じったその考えを他所へ押し退けた。

 多分、そう言う意味なんだろう。


「そう......なんだ。――でも、僕は別に正直に断ってくれても全然大丈夫だよ」


 手を引っ込め体を上げた僕の言葉を聞いた彼女は悪い回線の所為で届くのが遅れたように少し間を空けてから口を開いた。するりと落とした首の手を微かに動かしながら。


「は? いや、別に嫌だからアンタが自分から諦めるように促してる訳じゃないっての」


 少し眉間に寄った皺と強めの口調。

 どうやら僕は間違った解釈をしてしまったみたいだ。


「えっ? ――ごめん」


 僕が小さな声―でも相手には聞こえる大きさ―で謝ると、「いや、別に...」と更に小さな声で彼女は呟いた。顔を逸らして再び首に手を回しどこかバツが悪そうにしながら。こんな時にこんな事を考えてしまうのはどうなのかと誰かに言われてしまいそうだが、彼女のその横顔はとても可愛らしかった。

 だがそんな見惚れボーっとしていた僕の頭を叩くように先程の疑問が、ただいまと顔を見せた。そして僕が我に返ると連動するように彼女の顔がこちらを向く。

 もう一度、僕は彼女の言葉を思い出した。


『アタシさ...。実は――吸血鬼なんだよね』


 やっぱりこれ以上そのままの意味以外に何か意味を見出すことは出来ない。だとすると本当に......。


「本当に――吸血鬼なの?」


 恐々となりながら彼女に尋ねてみる。


「――だからそうだって言ってんじゃん」


 彼女は投げやり気味にそう答えたが、やはり僕はちゃんと受け取ることが出来なかった。でも嘘をついているとも思えない。

 彼女の言っていることは信じられないが嘘を言っているとも思えない――気が付けば僕は無限回廊に迷い込んでいた。前に進んでいるにも関わらずぐるぐると同じところを回っている。そんな気分だった。


「信じてないでしょ?」


 そんな僕の表情から察したのか――でも知っていたと言うように彼女は言葉を口にした。


「えっ? ――まぁ。......ごめん」


 少なくとも彼女は謝罪など求めていないだろうがつい謝ってしまった。もしかしたら素直に信じてあげられない自分にどこか負い目のようなものを感じていたのかもしれない。


「でもそれが普通の反応か」


 1人そう呟くと腕を組み何やら考え始める鬼塚さん。でもそれはカップラーメンすらまともに出来ないぐらいの時間で終わり、彼女は徐に手を口へ。

 そして唇に指を引っ掛けるとかみ合わせた歯を剥き出しにするように見せた。


「ほら」


 彼女はその一言しか言わなかったが、何が言いたいかは分かる。吸血鬼の特徴である牙の事を言っているのだろう。

 確かに彼女の歯は犬歯にしては尖鋭で少し長い。だけど正直それは人間の範疇と言えばそうだった。何ならギネスでもっと凄いのを見た事がある(ちなみにその人はちゃんと検査をして人間であることが証明されているらしいから吸血鬼ではない)。


「んー。確かに一般的よりはだけど......」

「まぁ、そうか。ギネスとかだと人間なのにもっと凄かったりするし」


 あっ、鬼塚さんも見た事あるんだ。その思わぬ共通点がちょっとだけ嬉しく感じた。


「じゃあ......」


 多分、僕へ向けたものではない言葉を零すように口にすると彼女は辺りを軽く見回し始めた。

 そして近くにあった何かを拾い再び僕の前へ戻ってくると腕を差し出すように伸ばす。その行動を頭に疑問符を浮かべながら眺めていると、目に入って来た光景に僕は驚愕せざるを得なかった。目を見張り口は半開きにし―もしかしたら声も出してしまっていたかも―少しばかり体は前のめりになる。

 鬼塚さんの日に焼けていない腕―肘裏と掌との間辺り―には刃物のように鋭利なガラスの破片が添えられていた。


「鬼塚さんっ!」


 叫ぶ声と伸ばした手がスイッチを押してしまったようにガラス片は躊躇なく動き出した。

 汚れたコンクリの床に飛び散った血。白い肌に引かれた1本の赤い線。

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